二十九話 踏破
ギィ、と軋む音を立てて扉がゆっくり開かれる。
眼前に敵はなし。慎重に歩みを進める。
「……」
これで本日、五度目の扉だ。
かつてない手応えと実績に背筋が震える。思えば改良と失敗を重ねた日々であった。
蘇るのは苦い思い出ばかり。これだ、と考え付いた作戦はスライムに吹き飛ばされ、蹂躙され。
逃げ回るだけの日々。
しかし、今回は違う。
僕は今日こそスライムを完全に圧倒する術を得たのだ。
今からその方法をお見せしよう……。
「……発見」
目測三十五メートル前方にスライム発見。
ごめん適当言った。もしかしたら三十メートルかも。距離不明。
「ま、関係ないんだけどね……」
スライムに聴力はないが、それでも小声で独りごちる。
大事なのは距離ではなく気付かれていないという、この状況であった。
素晴らしい。
これより第二フェーズに移行する。
「よいせっと」
屑魔石が入った袋が空中で揺れる。
固く結ばれた紐の先には、黒い長物。それは刀の鞘であった。
僕は悟ったのだ。いくら本気で投げようとも、僕の非力な肩では十メートルも飛ばないと。
だからこその道具である。
やはり人間、頭で勝負しないとね。
ぐるぐる巻きに括り付けられた剣の鞘をしっかりと握りしめ、一歩二歩と距離を縮める。
「……これくらいかな?」
都合四度、今までを合わせたら十五を超えるスライムとの戦闘経験。
全ては無駄ではなかった。
迷宮にて研ぎ澄まされた感覚が、スライムの索敵範囲を正確に捉える。
いや正確は少し盛ったかも。でも大体は掴めている。
「ふぅ。……んじゃま、やりますかね」
腕に力を籠め、鞘を胸程度の高さに持ってくる。
この際、迷宮の壁に寄るのがポイントだ。背中を左の壁にくっつけ、水平に構えた鞘を見つめる。
紐、よし。結び目、よし。袋の破損、よし。
それじゃあ、行ってこい!
「でりゃ、ぁあっ!」
横薙ぎにして振るわれた刀と鞘。左手は刀の柄に、右手は鞘が抜けないよう真ん中辺りを握っている。
何回か試行錯誤したが、この方法が一番飛距離を伸ばせた。
さぁ、飛んでいけ。
両手と体を使って放たれた魔石袋が勢いよくスライムへ向かう。
「ふん……!」
だが、紐の長さは元々十メートルしかない。
鞘にかかる重さをこらえ、すっぽ抜けないよう体で支える。白い紐が直線になったのも一瞬、魔石袋は勢いを急激に失い、地面へ墜落した。
スライムは……かからないか。
鞘をくるくる回しながら魔石袋を回収する。
勘違いされるかもしれないが、これはほのぼの釣り物語ではない。
命と命を懸けた真剣勝負なのだ。
「焦るなよ、焦っちゃ終わりだ。堅実に堅実に……」
魔石袋を回収して投げる。
何てことないように思えるが実際、こんな一動作にも集中力が求められる。少しでもミスをしたら死ぬのは自分だ。
気など抜けるはずもない。
「はぁ、はぁ……」
迷宮に潜り始めて、もう体感二時間は経っているだろうか。
以前の塩撒き作戦だと十五分くらいで死にそうだったのに、えらい進歩だ。
だが集中力や体力にも限界がある。
恐らく、安全に戦闘できるのは今回までだ。
これで五回目の戦闘。
一般的に一つの階層では、『扉』が多くても五個しかないらしい……が、もう一般的とか常識とかは信じないようにしている。
もし次に『階段』がなければ、引き返そう。
「せい、のっ」
巻き終えた袋を、再度鞘を使って投擲する。
空中を舞うボロボロの麻袋。ごめん、あともう少し頑張ってくれ。
引っ張られるように鞘に巻かれた紐がするすると解けていき、目の前で紐のアーチが出来ていく。
迫りくる魔石袋にスライムは……。
『……!? ピッ!』
反応した。
だがこれは……早すぎる! まだ魔石袋は宙に浮いたままだ。
くそ、索敵に特化した個体か!
「うお、おお……!」
動揺は一瞬。紐が巻かれた鞘の部分を握りしめ、強制的に袋を止める。
袋を落とす時間はない。このまま、振り切る……!
『ピギ、ギィ!』
「づっ……!」
言い忘れていたが、魔石袋は結構重い。大体一キロくらいだったろうか。
それを空中で、しかも勢いのある状態で真反対に力を籠めたのだ。腕にかかる衝撃は、もやしっ子の僕にはかなり辛いものだった。
だが泣き言は言ってられない。
もう、スライムは戦闘態勢に入っている。
「ふんぎぃいいいい!」
腰の回転、次いで足、腕、指。力が体の中心から外へ流れるよう、放出する。
横薙ぎの一閃。
気合で刀を振りぬいた僕は、鞘を握っていた右手を外した。
『ピギ……! ……ピ!?』
魔石袋を追うように高速で前方を通り過ぎる青色の弾丸。僕の存在に気付いたところでもう遅い。
袋が右へ右へと進み……僅かな衝撃。
鯉口は既に切っている。
素早く引き抜かれる銀色の刀身。鞘が地面へと転がり落ち、傷付いてしまうが仕方ない。
今は構うな。
全力で疾走しろ。
「はぁっ、はぁっ、はっ、ああああ!」
今回のスライムは斜めに飛び出した。だが初めのように天井にぶつかってはいない。その分飛距離が出てしまう。
間に合うかは不明だ。
それでも走る。地を駆ける。
「く、ぁっ!」
スライムが遥か前方で着地した。距離はまだ全然詰めれていない。
どうする、一旦引くべきか? しかし帰りの扉を通るにはスライムを倒さねばならない。というか止まれない。
あぁ、どうする。
どうするどうするどうする。
『ピ、ピ……!』
やばい、スライムが震えた。狙うのは頭か、肩か、足か?
駄目だ知識が足りない。経験が足りない。力が、早さが、何もかもが不足している。
ぶるぶると振動する青色の悪魔。
もう間に合わない。貯めた力が一気に開放される……。
『ピギ!』
直撃。
中身を守る柔らかな布は破られ、千切れ、中に入っていたものが空に溢れ出る。
見るも無残な姿。
あぁ、なんてことだ……。
「これ結構高かったんだぞおおおお!」
『ピ!?』
地面に散らばった屑魔石を踏みしめる。
ご丁寧にこっちへ来やがって、歓迎するよクソッタレ。
全力で振り上げた刀が風を切り、振り下ろされる。
今更になって震えだしたスライム。
おせぇよ。
「税込み三千円んんんっ!」
『ギギッ! ギ、ィ……』
核を斬られたスライムの体が弛緩する。もう動くことはない。
僕の勝利だ……。
しかし、失ったものも大きい。
唯一無二の戦友を、失くしてしまった。
「はぁっ、はぁっ、屑魔石く、はぁ。どうしてこんな、ふぅ、こと、はぁ、ちょっとまじできつい。はぁ、はぁ……」
もはやふざける余裕もない。
魔石袋には悪いが、囮になってくれて本当に助かった。位置関係的に、魔石袋の方が僕の前にいたからね。
あと、僕の足が遅いのも助かった要因か。
おかげで索敵範囲に入らず、結果的に相手を惑わすことができた。
「はぁ、はぁ、きっつ。はぁ、あぁ、びびったぁ……はぁ、もう、無理……」
綱渡りだった。
あれだけ策を弄して、準備をしたというのに。未だ僕は一方的な立ち位置にいない。
良い意味でも悪い意味でも対等だ。
どっちが死んでもおかしくはない、そんな関係。
これがスライムでなければ、格好もつくのだが……仕方ない。
所詮は僕だ。こんなものである。
「ふぅ……でもまぁ、倒せた。これで五体目……さて、どうなることやら」
今にも座り込んでしまいそうな体に活を入れ、歩き始める。
粉々になった屑魔石は……まだ使える奴だけ拾っておこう。あとスライムの核も忘れずに。
ふふふ……これで五万円。
危険に見合った金額と問われれば疑問だが、それでも大金は大金だ。
「……よし」
そして更なる大金を得るためには、次の階層へ進まねばならない。
魔物は階層を進むごとに強くなるが、その分魔石の純度も高まる。とはいえ、僕の場合は核だから少し異なるのだけど。
なんにせよ、次の階層へ降りるには『階段』を見つけなければならない。
取りあえずこのまま進んでみよう。
それでまた扉を見つけたら、残念だけど帰還するって感じで。
「ふぅ、ふぅ……」
度重なる戦闘により僕の体はへとへとである。明日は筋肉痛確実だな。
……うん? ていうか、これ以上戦闘しないならポーション飲んじゃえばいいのでは?
さっきまでは万が一に備えて温存してたけど、あとは帰るだけだしね。
これは名案だと手を叩き。
僕は歩きながらポーチの中身を開け、ポーションを取り出した。
「うーん、相変わらず凄いバナナ臭だ」
嫌いではないのだが、迷宮という状況下でこの匂いはなんというか、緊張感に欠けないかな。
戦闘中でこれ飲んだら集中できない自信があるぞ。
本当にどうしてこんなものを作ったんだろう、と思いつつも口に含む。
くそ、地味に美味しい。なんか悔しいな。
「……ぉ、お? あぁ~、これは……」
キマリますわ~。
もうね、体中に染み渡るの。あぁ~しゅごい~、疲れが取れていく~。
今までにも何回かやったけど、やっぱいいわこれ。
あれだけ疲弊していた体が嘘のように回復する。
何なら今からシャトルランしてもいいくらいである。
「この回復力だけは、唯一の強みだよねぇ」
これが僕の能力?であることは既に実験済みである。
一度は美月さんのポーションが特別なのではと疑ったが、市販のものを飲んでも効果は同じだったのだ。
やはり回復力がおかしい。
普通、最下級のポーションといえば切り傷が治るかな、というレベルで。そもそも体力の回復には、そのためのポーションを買わねばならない。
それがこんな普通未満の失敗作……言い過ぎた。価値のない在庫処理必須のポーションで完全回復できるのだ。
いやはや嬉しい誤算である。
だからステータス君、ちょっとは情報量増やしてくれていいのよ?
ね?
――――――――――――――
雨夜和幸
スキル 『剣術 Lv 3』
――――――――――――――
「はいはい面白い面白い」
一瞬にしてステータス画面を閉じる。
スキルレベルも上がってないし、ほんっと使えないな僕のステータス君は。
せめてHPとMPくらいは表示してよ。頼むから。
そんな恨み辛みを抱きながら歩いて数分。
かくして、僕はそこに辿り着いた。
酷く待ちわびた瞬間である。
本当に長く長く待ちわびた……。
「……あぁ」
僕の眼下には、先の見えない闇が広がっている。
這い上がる冷たい空気。無機質な段々とした足場。
そこは正しく、階段であった。
「長かったなぁ」
苦節、一ヶ月と少し。
僕はようやく……ようやく、始まりの迷宮、第一階層を踏破したのだった。
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