十三話 もしかして、馬鹿にしてる?

 それから数分ほど歩き、迷宮に潜った際に降りてきた階段まで戻ってきた。

 視線を遠くへ移す。

 外壁に囲まれた階段の先は不自然なほど暗かった。


「……これ上るの、ちょっと勇気がいるなぁ」


 闇は人間の根源的な恐怖だと聞いたことがある。

 なるほど、確かにこれは小さい頃にホラー映画を見て眠れなくなった感覚に似ている。

 超狂暴殺人スライムと出会ったからかな。

 あれも一種の怪異みたいなもんだし、同じでしょ。


 ……そう考えると、僕はまだあんな怪物がいる場所にいるんだよなぁ。


「……」


 若干、慌て気味に階段へ足をかける。 少し足が痛むが言ってられない。

 人間の本能的恐怖に、スライムが勝った瞬間だった。

 

「……ぅ、おぉ……っ?」


 階段を上り始めて、大体十秒が経ったくらいか。

 ビビッて閉じていた目蓋に突然、眩い光が入射してくる。

 思わず目を見開くと視界が真っ白に染まった。


「眩しっ……」


 細めた目が、段々光に慣れてくる。

 純白の世界はやがて輪郭を作り、色鮮やかな……というわけでもないか。普通にここ、壁とか床とか白色だし。

 余計に目がチカチカする。誰が設計したんだよこれ。


 ……まぁ、何はともあれ。


「戻ってきた……あぁ、よかったぁ……」


 安堵のため息をつき、膝下まで浸かっているポータルから抜け出す。

 ゴツゴツした足裏の感触が変わった。

 なんて素晴らしい。

 かつてこれほど、タイルの滑らかさに感動したことがあっただろうか。

 

 実家に帰省した安堵感にも似た感慨を抱き、僕は暫し立ち尽くした。


「おかえりなさいませ、冒険者様」

「んぇ? ……あ、あぁ、はい。どうも、ただいまです」

 

 平坦な声がした方に顔を向けると、淡い空色のショートヘアを綺麗に整えた女の子がいた。

 彼女は迷宮に潜る前に色々と教えてくれた親切な……受付嬢さん?である。


 まさか声をかけられると思ってなかったため、反応がキモくなってしまった。

 帰還した喜びで気が逸れていたのも要因かもしれない。

 申し訳ないな。気を悪くしてなきゃいいけど。


「本日は何階層まで踏破いたしましたか?」

「え」


 ピシリ、と固まる。

 い、今なんと言ったんだこの人は……?


「すみません、あの、もう一度」

「……はい、復唱します。本日は何階層まで踏破いたしましたか?」

「おぅふ」


 何階層まで踏破したか、だと。

 それ、いやちょっと、えぇ……言いたくねぇ……。

 一階層目でスライムにボコられて瀕死の重傷を負ったとか言いたくねぇ……。


「えーと、それって言わなきゃ駄目ですかねぇ?」

「……質問文を確認。質問に対し、迷宮協会側からは肯定を返答します」

「まじですか」


 任意にしてくれよそこは。

 ……この事実は墓まで持ってくつもりだったのに。


「……質問に対して追記。踏破した階層を申告することは義務付けられていますが、強制ではありません」

「あら、そうなんですか? じゃあ……」

「しかし冒険者様に見合った階層を正しく把握するために、踏破階層の申告を強くお勧めいたします。加えて被害状況なども詳しく教えていただけると、更なる助言やサポートが向上し、冒険者様の迷宮探索に大きな」

「あ、はい、分かりました。言います、ちゃんと言います」

「ご協力ありがとうございます」


 無表情ながら恐ろしい圧を発する彼女に、気付けば了承していた。

 でも仕方ないじゃん。あの口だけめっちゃ早く動いて喋るの怖いんだもの。

 それもうしないでね? なんか、トラウマになりそうだから。


 強制しないって言うけど、これ絶対了承するまで話してたよなぁと思いながら、僕は渋々口を開いた。


「あのぉ、そうですね。はい、まずですね。僕は今日、朝から全身筋肉痛だったんですよ。あと風邪気味だったかも。うん、今思えばそうだった。あれは風邪だよ」

「……体調管理の不足。並びに判断能力の欠如を確認」

「結構失礼なこと言わなかった?」


 言い訳をだらだら述べた僕も悪いけど、判断能力の欠如って。

 

「そのような状態であるのに迷宮に潜るのは大変危険です。以後、気を付けるよう努力をお願いいたします」

「……あ、はい、すみません」

「また、報告するのは迷宮内での情報だけに限定されます。過去、聞いてもいない自分の情報を長時間に渡り説明し、他の冒険者様を妨害したという事例がありました。このような迷惑行為が発生しないよう、報告は簡潔に、迷宮に関することだけをお伝えください」

「本当にすみませんでしたぁ……!」


 なんだかデジャブを感じる展開である。

 メソメソと情けなく泣く自分に対し、彼女は表情を動かさず再三の問いを投げた。


「以上のこと踏まえ、復唱します。冒険者様、本日は何階層まで踏破いたしましたか?」

「……ま、せん」

「すみません、よく聞き取れませんでした」

「……して、ません」

「……不鮮明な返答を確認。遅延行為と見なしてよろしいでしょうか」


 僕はもう、号泣しながら叫んだ。


「だから! 一階層も踏破してません! これでいいですか、女王様! ついでに足とか舐めましょうかっ?」

「……? 文章を解読中……一階層……女王……舐め……?」

「あ、そこは解読しなくていいです」


 再起動中のパソコンみたいになった彼女。

 というか僕、まだこの人の名前すら知らないんだよな。見た感じ、名札も付いてなさそうだし。

 後で聞けたら聞こう。


「申し訳ありません、今回の探索は下見、または調査ということでしょうか」

「いえ、普通にバリバリ進む気でいました」

「……?」


 あ、またフリーズしちゃった。

 そんなに衝撃的なことかね。

 僕はただ、小学生でも勝てるようなクソ雑魚モンスターに腕折られて敗北しただけだが?

 

「情報を元に新たな仮定を作成中……失敗。追加の情報を求めます」

「追加の情報と言われましても」

「……いくつかの質問にお答えください。まず、迷宮で戦闘はいたしましたか?」

「へ? まあ、はい」

「出現した魔物はスライムでしたか?」

「あー、うん、はい」

「そのスライムの色は……赤色でしたか?」

「え、赤色? いえいえ、青色でしたよ、普通の」

「……」


 何だったんだ今の質問。赤色のスライムとか、聞いたこともないが。

 しかしこの答えが決定的だったのか、彼女は暫し口を噤んで。

 無表情ながらどこか戸惑いがちに言った。


「……大変申し訳ありません、冒険者様。今の情報を元に考察すると、冒険者様が通常個体のスライムに敗れ、引き返してきたとなるのですが……」

「うん、まぁそうなりますね」

「……」


 彼女の碧眼が、僅かに見開かれる。

 どうやら僕の敗走は鉄仮面を崩すほどの衝撃だったらしい。

 それがちょっと面白かったので、僕は得意げになって言葉を続けた。

 

「ちなみに、今日出会ったスライムは一匹だけです」

「……情報を獲得、吟味、参照、考察……」

「その一匹にね、はは、突進で両腕と鼻を折られましたよ。今はポーションで治りましたけど、そのときは気絶しちゃいまして」

「情報を追加。更なる考察……過去のデータを閲覧中」

「いやぁ、ほんとやばかったです。扉くぐれてなきゃ死んでましたし、ポーションも無かったら死んでましたねぇ、たぶん。あははは」

「……」


 ここまでくると絶望的過ぎて笑えてくるな。

 よくあんな化け物から生きて帰れたよ僕。ベスト頑張ったね賞を贈りたい気分だ。


 はははは。

 もう二度と戦いたくねぇ……。


「データ閲覧終了……おめでとうございます、冒険者様」

「?」

「貴方は世界初……いえ、人類史上初、一階層のスライムに敗北した冒険者です」

「喧嘩売ってます?」


 どこにおめでたい要素があるんだよ。

 間違いなく人生の汚点じゃないですか。


「このような歴史的瞬間に立ち会えたこと、感謝いたします、冒険者様」

「ふふ、どういたしまして。お礼に貴女の顔を殴っていいですか?」

「構いませんが……参考程度に、私は中層級の冒険者と同等の能力を保有しています」

「ふーん」


 僕は振り上げた拳を静かに下ろした。

 別に怖気付いたわけじゃない。最初から肩の調子を確かめたかっただけなのだ。

 うん、まだちょっと痛む。

 今日一日は安静かな。


「ふっ、命拾いしましたね。僕の体が万全じゃなかったことを幸運に思いながら」

「記念写真撮ってもよろしいでしょうか」

「よろしくねぇよ携帯しまいなさい」

「……? 殿方はこういったことが好まれるのでは?」

「まぁ、ある一定の層には刺さるかもしれませんがね。取り敢えず僕にはやめて下さい。悲しくなるだけですから」

「……そうでしたか。申し訳ありません、スライムに完全敗北なされた弱々クソザコ冒険者様」

「話聞いてた?」


 どうしても僕のことを罵倒しないと気が済まないのだろうか。

 冷徹な無表情から放たれる言葉の刃はまじで傷付くので勘弁してください。

 

 ……これが朽葉さんならなぁ。

 あのニヒルな笑顔で馬鹿にされたら、喜んで傾聴するのに。


 ちらり。


「あれ……?」


 若干の期待を込めた視線は空を切った。

 受付のカウンターはいつもの如く繁盛しているが、どうにも朽葉さんの姿が見えなかった。

 

「列が邪魔だと、かっ?」


 背伸びしたり、ぴょんぴょんしたりしても彼女は映らない。

 もう帰ったのかな。

 まだ定時には早いような気もするけど。


「あれ、てか今何時だ? 携帯……はあっちか。すみません、今何時か分かりますか?」

「……質問文を確認。はい、現在は四時二十三分五十七秒です」

「何も見ずによく分か……え、四時ですか!?」

「はい、現在は四時二十四分二秒です」

「やっば……!」


 今日の夕飯の当番は僕だった。

 まじかこれ間に合うか? 今から着替えて電車に乗って一時間半くらいで……買い物行く余裕あるかな、家にあるものだけで……家に何残ってたっけ。


 非常にまずい事態だ。

 一刻も早く帰宅せねば……!


「すみません、ちょっと用事ができたんで行きます。説明はもういいですよね?」

「質問文に対し、肯定。お疲れさまでした、冒険者様」 

「そっちもお疲れ様です! ではまた!」

「……ぁ」


 手を振って走り去る。何か言いたげなようにも見えたけど、まぁ気のせいだろう。

 申し訳ないが今はこちらの方が優先なのだ。

 

「はっ、はっ……っ、おぉ、やば……!」

 

 よろよろ走る体から軋む音がする。歩くのは平気だったけど、走るとめちゃくちゃ痛い!

 くそったれがよ。

 

「全部スライムだ。あのスライムが悪いんだ……!」


 人をサッカーボールみたいに吹っ飛ばすわ、あいつのせいでポータル受付嬢さんに馬鹿にされるわ散々だよ。

 仕舞いには夕飯の支度も遅れるし、ほんとさぁ。


 次会ったときはタダじゃおかねぇ。

 覚えていやがれ、全身ポヨポヨ野郎が。

 

 どす黒く燃える情熱を抱きながら、僕は装備室へと向かうのだった。

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