スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら
石田フビト
一章 迷宮に挑むための準備編
一話 かくして彼は迷宮に挑む
大体、七歳くらいのときだったろうか。
その日はやけにインターホンが煩くて、ピンポンピンポン、無機質な音が響いて。
誰もいない部屋に、怖くなるほど、何度も続いて。
郵便屋さんが来たのかな。
出たほうがいいのかな。
足りない頭で悩んでいる間もピンポンは止まらない。
それがとても怖かった。
でも、出なきゃいけないと思ったんだ。
だってもしかしたら、外にいる人は何か困っているかもしれなくて。
こんな僕にでも、何かができるかもしれなくて。
だから僕は、あれだけ知らない人が来たら無視しなさいと母さんに言われたのに、扉へと向かい、ちょっと背伸びして。
不用心に鍵をガチャリと開けた。
――迷宮にて、貴方のお父様が亡くなられました。
全身を黒服で染めた二人の男が淡々と述べた。
中層にて、パーティは全滅。回収できたのは破損した装備品と僅かな肉片だけ。それら以外は全て、迷宮が飲み込んでしまった。
遺品の受け渡しについては後程。
こちらをお母様にお渡しください。
それでは。
バタン。
扉が閉まっても僕は動けないでいた。というかそもそも、何を言っていたのか全然分からなかった。
小難しい言葉を言われても分からない。
お亡くなりってなんだ。死んだってなんだ。全滅って、お悔やみ申し上げるって。
そんなことを言われても僕には分からない。
分からないよ。
だから、扉の前で突っ立っていた。
何も言えずに、何もできずに。渡された紙を握りしめたまま立っていた。
母さんが家に帰って、目の前にいた僕にびっくりして買い物袋を落とすまで。
ずっと、立っていた。
「母さん」
……僕にはどうも、死というものの実感がなくて。
まだ小学生だから当たり前、なのかもしれない。だってお爺ちゃんもお婆ちゃんも元気だし、親戚のおじさんだって元気だ。
死ぬってどういうことなのかを僕はよく知らなかった。知ろうとも思わなかった。
だから、どうすればよかったのだろう。
僕は、目の前でさめざめと泣く母の小さな背を見て、僕は何と声をかければよかったのだろう。いつもは明るく笑っている母が、僕の渡した紙を見て泣き崩れてしまったのを。
どうすればよかったのだろう。
小さく、とても小さく蹲った母の背を、恐る恐る。
……ゆっくりと撫でた。
その日の夜、僕は布団の中で考えた。なんだか眠れなかったのだ。このまま寝てしまえば、何か暗い、恐ろしいものに連れていかれると思って。
普段は使わない頭をぐるぐる回した。真っ暗な部屋が、気にならないように。
……死ぬって何だろう。
父さんが死んだって、どういうことなんだろう。あの黒い服の人が言っていたことは、どういう意味なんだろう。
母さんはどうしてあんなに泣いていたんだろう。
何でそんなに悲しんでいたんだろう。
分からない、分からない。
……黒服の人が言っていた。
貴方のお父様は中層のにじゅう……なんだっけ。とにかくそこで、死亡しました。パーティは全滅。お悔やみ申し上げます。
僕はあのとき、間抜けに聞いた。
しぼうって、なに?
……死んだ、ということです。
しぬってなに? どういうこと?
……もう会えなくなる、ということです。
なんで? なんでもう会えないの?
……貴方のお父様が、冒険者であったためです。
むずかしくて、よくわかんないよ。
……詳細は貴方のお母様に後程お伝えします。これをお渡しください。いいですね?
うん……。
「……」
うん、うん。
馬鹿みたいに頷いたはいいけれど。こんな紙を貰ったって、なんにも分かりやしない。分かったのは、母さんだけだ。
だから考えてみる。
考えることは得意じゃないけれど。
そうすべきだと、思ったから。
父さんは冒険者だった。
冒険者。迷宮に潜って悪い魔物を倒すお仕事だ。それぐらいは知っている。
そして……大工さんよりも、危険な仕事だってことも。
大怪我する人もいるらしい。でも、大怪我って、どんな感じなんだろう。この前転んで、膝からちょっと血が出ちゃったけど、それよりも痛いのかな。
僕はあのとき泣いちゃったけど、あれ以上痛かったら、どうなるんだろう。
分からないや。
ううん、分かんなくてもいい。だって怖いもん。
「……ふわぁ、あ」
欠伸を一つ。
少し眠たくなってきた。いつもはとうに寝ている時間だ。それでも寝る気にはならない。
……母さんもまだ、寝ないだろうし。
もうちょっと。もうちょっとだけ、考えてみることにする。
……たしか、父さんは言ってたっけ。つよい魔物をやっつけると、たくさんお金が手に入るって。だから父さん頑張るから、また遊園地行こうなって。それで母さんは、あなた子供にそんなお金のことなんて。まぁまぁいいじゃないか、これも大切なことだ。
――おぼえておけよ、
いつかはお前も、誰かのためにお金を稼ぐ必要がある。
それは、きっと大変だけど。父さんも時々、怖くて辞めたくなるけど。
でも諦めちゃいけない。
大切な人のために、たくさん努力をしなさい。努力できる人になりなさい。
「うん」
はは。お前、さてはあんま分かってないだろ?
「……うん」
ははは。うん……優しいな、お前は。きっと、母さんに似たんだな。
「……」
……なあ、和幸。
今は分からなくてもいい。でも、お前にもいつか分かる日が来る。俺がそうしたいと思ったように、お前にもきっと。
だからそのときは、お前も……。
「……う、ん」
……。
……。
ぼやけた夢現のなか。
一つだけ、分かったことがある。
来週は僕の誕生日だけど。遊園地に行って、たくさん遊ぼうって、約束したけど。
プレゼント、何が欲しいって、言ってくれたけど。
「……ぅ、ぅ」
知らなかった。
死んじゃうって……もうお誕生日に、父さんがおめでとうって言ってくれないことなんだ。
いやだな。いやだな。
「……ぅ、ぅぅ、あぁぁ……」
父さん。
そんな夜を過ごしたのが、もう十年も前になる。
かつての記憶は大分薄れてしまって。褪せてしまって。小さい頃読んだ絵本の内容もほとんど忘れてしまったが。
あの日のことだけはよく覚えている。
握りしめた紙の感触と、湿った枕の冷たさ。
うん、覚えている。
「……それじゃあ、行ってくるよ。ちょっと遅くなるかもだから、夕飯は……あー、どうしよ」
「アンタ今いくら持っとるの」
「え、ええとね……ジュース十本は買える、かな」
「電車賃抜いたら?」
「……二本です」
「ん」
母さんが袖を捲る。
……有難い。どうやら夕飯の心配はなさそうだ。
「アンタの好きなハンバーグ作っといてあげるよ。とびっきり美味しいやつ」
「その自信。まさか……牛? ミートなの?」
「ああ。畑の方のね」
「でた! い、つ、も、の! ひゅう! ぃえあ! しゃあっ!」
「そんなに喜ばれるとは。……哀れな」
頭が可哀想な子を見つめるような目で母さんが呟く。
まぁ確かに、迫真の顔でぴょんぴょん飛んで騒いでる高校二年生を見れば仕方がないかもしれない。
でも、それ、お宅の息子さんですよ。もっと優しくしてあげてね。ほんとね。
ゴン。
「……ったぁ。ぃ、っつぁ……。え? めっちゃ痛い……泣きそう……ママ……」
「嘘でしょ。うちの息子……アホなんか?」
そうだよ。
振り回した拳で靴箱を強打した僕は暫し息を潜める。
気分だけなら負傷した凄腕の暗殺者だった。実態は別として。
「……」
「……」
妙な間が開いてしまった。
……あー、ミスったな。
こりゃ駄目な方の沈黙だ。ああ、しまった。こんな空気にさせたくなくて、茶化してたのに。
馬鹿だな、僕。
「……ねぇ、和幸」
「うん」
名前を呼ばれる。何万回と聞いた音色だ。
怒った声、嬉しそうな声、呆れた声、そして……悲しそうな声。
母さんの目を見つめる。
いつの間にか背を抜かしていた。僕は顔を下に向けて言葉を待っている。
「ほんとに……お金のことは、考えなくていいから。アンタがそんな、無理せんでもいいんやからね」
「うん、分かってる。大丈夫、言われんでも無理はしないさね。だって僕ビビりだもん」
「ふふ……そうやね。うん……そうね……」
さすり、と左手を撫でる。不安なときによくやる母さんの癖だ。
安心してよ。危ないことなんかしないよ。大丈夫、僕はどこにも行かないよ。
そんな言葉を吐こうとして……母さんの、化粧で隠しきれてない赤い目元が見えた。
だからちょっと、考えて。
「母さんはさ、やっぱり僕が冒険者になるの不安?」
「……まあ、そりゃね」
「迷宮で父さんが死んだから?」
「っ、アンタっ、……っはぁ、何でそういうとこも似るんだか!」
「ごめん。でも誤魔化したくないんだ。じゃないと母さんも、ずっと納得しないままだと思うし」
「……」
母さんは、お金のことをあまり話したがらない。聞いても、大丈夫、考えなくていいの一点張りだ。
和幸は、何も心配せんでいいって。
いいわけないだろ。
金ないんだろ。無理してんだろ。だから倒れたんじゃないか。
パート先で倒れたって電話来た時、どれだけ心配したと思ってんだ。
しかも病院で起きるなり、また働くってよ。
ふざけんな。
僕にもちょっとは苦労を分けやがれってんだ。お馬鹿さんめ。
「何度も言うけどさ。冒険者になれるってんなら、やらない理由はないよ。学費もある程度免除されるし、就職にだって役立つ。しかも一攫千金も狙えるときた。いいこと尽くしじゃないのさ」
「死ぬ危険があるのに目を瞑れば、ね」
「うん。でも僕は死なないよ」
「どうして」
「……ど、どうしてって、言われても。その……特にないですが」
「はぁ……」
深いため息をつかれる。眉間に手を当てて、いかにも頭が痛いという感じだ。
なんか、すみません。
「アンタのそういう考えなしで勢い任せなとこ、直しなね、まじで。早死にするよ」
「うん! わかった!」
「……」
な、なんて冷たい目なんだ。これが息子に向けるべき視線だろうか?
凍えるブリザードから何とか逃れるべく、いそいそと足を滑らせる。右へ左へふらふらり。
着いた先には、扉。
「……」
「……」
すでに荷物は背負っている。中身も十回は確認した。
あとはこの扉を開けるだけ。
だっていうのに、僕は未練がましくも背を向けていた。マザコンと呼ばれても仕方のない意気地なさだ。
僕は母さんの言葉を待っている。
「……あのね、和幸」
「うん」
「やっぱりね、お母さんやっぱり……何言われても、納得なんてできないの。自分の子供をさ、そんな働かせて……しかも、死ぬかもしれない危険な仕事を」
「別に珍しかぁないさ。今時、高校生で迷宮に潜るやつなんてごまんといるよ」
それに、死ぬかもしれない……なんて言うが。母さんの危険なイメージは中層ぐらいの話だ。
迷宮組合の方も建前上、全階層危ないよーとは言ってるものの。
実のところ、低階層での死亡率はゼロに等しい。
理由は単純。
出てくる魔物がくそ弱いのだ。それこそ、鼻垂れた小学生でも倒せるレベルらしい。
よほどのイレギュラーと不運が重ならなければまず安全。
講習もばっちり受けた。
教官に面倒くさがられるほど質問もした。
だから大丈夫だよって伝えても、母さんの懐疑的な視線は変わらなかった。
「……ほんとにぃ?」
「ほんとほんと。思ってるほど、迷宮ってそんなに危なくないさ。うちのクラスの武内君だって、この前何とかウルフを倒したって大騒ぎしてたもん」
あれちょっと喧しいから止めてほしいんだけどな。無視しようにも、なにせほら、声大きいし。
クラスの端っこでも聞こえちゃうのよ。
おかげで僕はかなりの武内マスターだ。その内ほくろの数まで覚えそう。
……なんの話だっけ。
「それで武内君のお尻のほくろの危険性がね」
「いつからそんな話になったの。お母さんちょっと本気で心配なんだけど」
「だから心配しないでって! 怪我なんてしないよ」
「うーん、重症ね」
自覚はある。いや、頭の心配じゃなくて……この状況について。
こんな風にだらだら喋るのは結局あれだ。
びびってるのだ、僕は。
「ていうかあれだよね。確か登録する際に、スキルとか分かるんだよね。えー、どうしよスキル『無敵』とかだったら」
「小学生か」
「あと速さは時速一億キロで握力も百億キロで最強とかさ」
「幼稚園児……?」
雨夜和幸。おぎゃあと産声を上げてから十七年、喧嘩なんざ一度もやったことのない生粋のもやしっ子である。
そんな奴が、いきなり魔物との殺し合いに足を踏み入れるんだ。
もう場違いとかいうレベルじゃないよね。
頭おかしいんじゃないかな。
「うっわなんかテンション上がってきた。やべぇ、やべぇよ」
「うちの息子が能天気すぎる件について」
「正直、昨日はウキウキでよく眠れませんでした」
「遠足じゃないんだから。もっと危機感持ちなさい、危機感。……怖くないの?」
「全然!」
怖いよ。
めっちゃ怖い。だって死ぬかもしれない。誰にも看取られずに一人で。
……そりゃ怖いよ。
だから本当は、母さんの言葉が聞きたかった。僕を引き留めようとする言葉を聞きたかった。
本当は僕もそう思っているから。
そんな冒険者とか、死人が平気で出る職業になんざ就きたくないから。
見栄を張る勇気が欲しかった。
迷宮なんてへっちゃらだっていう、偽りの自信が欲しかった。
「ああ、どうしよう。沢山の女の子に囲まれちゃったら。ごめん、写真撮影はちょっと事務所を通して……」
「……はぁ、もうアホなこと言ってないで、さっさと行きなさい。電車遅れるわよ」
「あ、ほんとだ! やばい!」
背中を押してほしかった。
どん、て。取り返しのつかないとこまで吹っ飛ばして。
そしたらもう、こっちのものだ。
僕は臆病者だから、きっと途中で辞める勇気なんて出ないから。
「……行ってらっしゃい、和幸。気を付けてね」
あとは前に進むだけ。
「――うん」
弱々しく扉を開ける。
それからちょっと体を出して……やっぱり最後にもう一度だけ振り返った。
「行ってきます」
情けなく、無様に、頼りない。なんとも僕らしい足取りで。
僕は冒険の、最初の一歩を踏み出した。
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