第36話 春、新学年のはじまり

 三月末、高校の校庭にはまだ満開とは言えないまでも、ほころび始めた桜が青空に映えている。


 学年末の終業式と春休みを経て、僕・大友遼は高校三年生になる日を迎えた。クラス替えがあるのかないのか、噂が飛び交っていたが、結局学校側は「三年ではクラス替えなし」という決定を下したらしい。つまり、二年生のときと同じクラスで過ごすことになる。


 「大友ー、やったじゃん! このまま変わらず同じメンバーだってさ!」


 ホームルームで、芦沢が満面の笑みで叫ぶ。クラス委員も「また一年、よろしくー!」とハイタッチしてきて、僕は「うん、こちらこそ」と苦笑する。


 同じクラスに岸本亜衣がいることももちろん嬉しいが、僕の場合は既に“彼女”となっているだけに、引き続き同じ空間で過ごせる安心感を味わっていた。彼女も目が合うとにっこり微笑み、小さく手を振る。


 (よかった……これでクラスが離れたら寂しかったかも)


 担任の佐々木先生がやって来て、黒板に「三年生としての年間行事」や「受験に向けたスケジュール」などを書き込みながら、改めて厳しい表情で説く。


 「皆さん、いよいよ受験学年です。進路を固めていく時期ですから、気を引き締めてくださいね。部活との両立も大変でしょうが、後悔のない一年にしましょう」


 クラスがどよめく。部活を続ける人、引退して受験に専念する人――それぞれの選択肢があり、全員が一様ではない。僕ら吹奏楽部は、夏の大会や秋のコンクールもあるので“秋頃に引退”という流れが一般的だが、受験先によってはもっと早く離脱する人もいるだろう。


 昼休みに吹奏楽部のメンバーが集まり、顧問と新部長が「新入生歓迎演奏」のスケジュールを伝えたり、「三年の先輩たちが抜けたあとの楽器配置」を最終決定したりしている。二年の後半から新体制は始まっていたが、正式に「三年生のいない部活」がスタートするのはこの春からだ。


 「クラリネットパートは、岸本がリーダーでいいよな? 大友も副リーダー的にサポートしてくれ」


 新部長がそう提案し、僕らは驚く。確かに実力的には岸本さんが一番だが、二人ともまだ経験は浅いほうだ。しかし他に候補がいない以上、自然とそうなるのだろう。


 「大丈夫ですかね、私、リーダーって……」


 岸本さんが不安げに言うと、部長は「大丈夫だよ。周りもフォローするし、何よりお前ら二人が一番頑張ってるじゃん」と笑う。他のメンバーもうなずいていて、拍手を送ってくれる。


 そういうわけで、クラリネットパートリーダー・岸本亜衣、そのサポートに僕・大友遼という形になった。部活全体でも「岸本と大友って付き合ってるんだよね?」みたいな噂が広まっており、一部の下級生が「いいなあ、カップルリーダーかあ」なんて呟くが、僕らは「うるさいよ」と苦笑する。


 とはいえ、好きな人と部活を盛り上げるのは悪くない。僕も不安より楽しみのほうが大きいし、彼女と共に音楽を追求できるなら最高だと思う。


 新学期が始まってすぐ、新一年生の入学式が行われる。吹奏楽部は恒例行事として、式終了後に校庭や講堂の一角で演奏を披露し、新入生にアピールをするのだ。


 三年生が抜けたばかりの新体制ゆえ、技術的には不安もあるが、春らしい曲を選んで明るいムードを演出し、「私たちと一緒に音楽やりませんか?」というメッセージを送る。


 講堂の舞台で「スプリング・ポップス」や「アニメ曲メドレー」を元気よく吹き鳴らすと、新入生や保護者の拍手が想像以上に大きく返ってきて、部員たちはホッと胸を撫で下ろす。


 僕と岸本さんもクラリネットパートとして張り切って演奏し、お互いを視線で確認しながらリズムを合わせる。既にカップルであることは部全体が知っているし、新入生の前で隠す必要もない。ただ、あえて目立ったことをする気はなく、淡々と演奏に集中した。


 結果、数名の一年生が「クラリネット志望です!」とか「吹奏楽やってみたいです!」と声をかけてくれたらしく、リーダーの岸本さんは嬉しそうに相談に乗っている。僕はそれをそっと見守りながら、「これが新体制か……」と新鮮な気持ちを噛みしめた。


 新学期が始まって数週間が経ち、部活動も新入生を勧誘しながら慌ただしい日々を送るが、僕と岸本さんは恋人としての時間を少しでも作ろうと、放課後に近所のカフェに立ち寄ったりするようになった。


 クラスメイトには「部活の打ち合わせ行ってくる」と言っているが、実際は二人きりでお茶を飲んだり、宿題を一緒に進めたり。まだ正式にデートというほど派手ではないが、この穏やかな日常がたまらなく愛おしい。


 「今日は新入部員が思ったより多くて、楽譜のコピーが大変だったよね」


 「うん、でも嬉しい悲鳴かも。部が盛り上がるし、私たちも先輩として教えがいがあるし」


 カフェの奥の席で、彼女がホットティーを啜りながら笑う。僕はホットコーヒーを飲みつつ、机の下でそっと手を繋ぎたい衝動に駆られるが、狭い店内に知り合いがいないか気になってできない。


 (もう少し大胆になってもいいんじゃないか……?)


 自問するが、無理して慣れない行動をして彼女を困らせてもいけない。付き合い始めてから1ヶ月ほどで、まだ「手を繋いで歩く」程度しかしていないからだ。


 彼女はそんな僕の内心に気づいているのか、ふと目が合うと、小さくクスッと笑う。「もう、大友くんはシャイなんだから」といった表情だ。僕は耳が赤くなるのを感じ、「いや、その……」と視線を外す。


 でも、そのなんとも言えないもどかしくも甘い空気こそが高校生同士の恋愛なのだろう。僕らはそれを満喫していた。


 放課後デートを終えて、家へ帰る道すがら、僕はふと「自分の将来」について思い巡らす。岸本さんが音楽の道を進むにせよ、一般大学へ行くにせよ、遠方に行く可能性は高い。


 僕はどうする――? 家族(叔父叔母)からは、特に縛られていないが、親は海外赴任でいつ帰国するか分からないし、進学先を同じにするために無理をして追いかけるのは、彼女にとって負担ではないか……?


 いろんな迷いが頭を巡り、気づくと夜になっている。スマホに目を落とすと、彼女から「今日はありがとう! 楽しかった。また明日ね」というメッセージが届いていた。


 (焦る必要はないか――先日、おみくじで“焦らず時を待て”と言われたんだっけ)


 僕はスマホを握りしめ、「うん、また明日」とスタンプを返す。家の玄関を開けると、叔母さんの「おかえりー」の声が聞こえ、少し料理の匂いが漂ってくる。こんな日常も、あと一年で大きく変わるのだと思うと、少し切ない。


 (でも、一人じゃない。岸本さんがいる。それだけで頑張れる気がする)

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