第25話 悪夢の先






 幻影から醒めた先にイルと夢馬の姿はあった。


「イルッ!」


 ガヴィが叫ぶがイルは反応しない。彼女もまた、夢馬の幻影に囚われているのか。

 ガヴィは忌々しく舌打ちする。


 『――夢カラ抜ケ出タ者ガイルカ。苦シイ夢二囚ワレタ者ホド、我二力ヲ与エテクレル。……オマエハソコデ大人シクシテオレ』


 夢馬はそう言ったかと思うと高く嘶いて角を光らせた。


 ガヴィの目の前に一面の炎が広がって、遥か昔嗅いだことのある、人の焼ける嫌な臭いがする。


 ガヴィエインと名乗っていた頃、辛酸な経験を色々したが、目の前の幻影は自分に向けたものではない事はすぐに気がついた。


 それは、自分が今一番心を占めている少女に起きた、悲劇の記憶だったからだ。


 ガヴィが体験したわけではない。ただ、一緒に行った時に見た紅の里の惨状、彼女から聞き取った話からすぐに彼女へ向けた幻影だと理解した。


(やめろ)


 ――やめろ やめろ やめろ! こんなもの、あいつに見せるな!


 ガヴィは怒りに震えた。


 うんざりだ。


 己も、何度どうにもならない過去の後悔を夢に見たかしれない。自分の過ちを悔いたかしれない。


 けれど、イルが一体何をした?


 人は、もし自分に非がなくとも、悪い事が起こってしまえば自分に非があったのではないかと思うものだ。……優しい人間であればあるほどに。


 イルはある日、突然理不尽に全て奪われた。十四のなんの力もない彼女に一体何が出来たというのだ。なんの罪があると言うのだ。


 イルは過去を乗り越えて既に歩き出している。


 願わくば。もう、この先において一編たりとも過去のような苦しみを彼女に味あわせたくない。全て自分が護りきる。


 そう思っていたのに。


 炎に囲まれ、あちこちに転がる里の住民の遺体の中にイルはいた。


 イルは傷だらけの壮年の男に腕を掴まれている。ガヴィは前に出ようと思ったが、気づくと足が隆起した地面に飲み込まれていて動けない。


「――っ! イルっ!」


 名を呼ぶがガヴィの声は届いていない様であった。


『……何故だ、なんでこんな事になった』


 男はイルに縋りついた。


『……皆死んだ。アレも居なくなった。私の元から。……なぜ、なぜお前だけが残ったのだ』


 イルは怯んで一歩下がる。すると、今度は下がった足を掴む者がいた。

イルの足を掴んでいたのは、口から血を流した、若い男。あれは――


『イル。なんでお前だけ助かったんだ? 孤立していたお前に、あんなに優しくしてやったのに――』



 苦シイ クルシイ 助ケテクレ


 何故オマエガ、オマエダケガ 助カッタ



 父と兄の亡霊にすがられるイルを見てガヴィは藻掻いた。


 ――こんなもの、まやかしだ。


 解っている。これはアイツが、自分達を陥れようと画策した幻。

 けれど、幻影と解っていてもこんなシーンをもうイルには見せたくない。


 今すぐ、イルの側に行かなくては――

 ガヴィは全身の力を振り絞って、足の呪縛を解こうとした。

 



「――あなた達は父様や兄様じゃない」



 その時、その場にそぐわない、いやに凪いだ声が響いた。


 光を失ってはいない金色の瞳が、父と兄の姿をしたモノを静かに見つめている。


「父様は、私を必死に逃がそうとしてくれた。抱きしめてくれた。

 兄様は、……私の兄様は絶対にそんな事は言わない。……兄様だったら……自分の事は気にしないで、強く生きていけって、絶対に言うはずだもの」



 ガヴィが、私がいたから生きていこうと思ったって言ってくれた。

 私は、私のままでいいって言ってくれた。

 皆を失った悲しみは消えないけれど、私は生きていくの。ガヴィと生きていくの!



 イルはぐっと顔を上げる。


「――こんなの、嘘だって解ってる! 私は、騙されたりなんかしない!」


 イルがそう叫ぶと、イルを取り囲んでいた父と兄の幻は顔を歪め消えていった。そして次の瞬間、炎に包まれていた周りの空間も霧散する。


 ガヴィの足の戒めも、幻が消えると同時に解放された。


「イルッ!」


 たまらず駆け寄りイルを掻き抱く。

 イルは急にガヴィが現れてその胸に抱きしめられた事にびっくりしたが、いつになく強く抱きしめてくるガヴィの胸の熱さにイルもぎゅうとしがみついた。


(――とっくに、こいつは決めてた。未来を、俺と生きると)



『君はさ。彼女の幸せの中に、君自身は入っていないのかい?』



 森でレナートに言われた言葉が蘇った。


 イルの、彼女の幸せをいつでも願っている。そのために彼女を護ると決めた。

 護りきればいいと思っていた。たとえ、自分がそこに居なくとも。


 けれど、彼女の隣に在ることが、イルの、自分の幸せにも繋がっている――



(傍にいる。こいつを離したくない)



 溢れてくる想いはあるのに、言葉にはならなくて。感じるのは、ただ二人の体温と鼓動だけ。


 永遠のような、刹那のような抱擁のあと、ふっとガヴィは腕の力を緩めると、イルの額に己の額を合わせると笑った。



「……お前、強いよ。――流石は俺の相棒だ」



 ガヴィの言葉に、イルは目一杯の笑顔で「へへっ!」と笑った。

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