ただより高いものはない

八鼓火/七川 琴

第1話 葬儀での再会

 檻降家の当主、檻降光之助が死んだ。

 檻降家は魔法使いの名家の中の名家と呼ばれる由緒正しき家系であり、特に契約魔法と呪いに関しては当代随一とされている。

 都心から列車で数時間のこの山間には檻降家縁の人々が生活する小さな集落があり、その中に広大な敷地を有する檻降家の本宅がある。

 光之助は生前に檻降家の当主として財界、軍、政治、各方面に絶大なる影響力を持っていた。晩年は認知症により表舞台から姿を消したが、今なおその影響力は健在で、彼の葬儀のために、静かな山奥の集落が黒山の人だかりとなっている。

 私の名前は滅崎青子、檻降家の傍系のそのまた傍系の親族、つまり限りなく赤の他人に近い親戚にあたる滅崎家の長女である。そして檻降幸之助の孫で次期当主の檻降晃一の許嫁でもある。

 訳あってこの集落に近付くことを禁じられていたが、この度禁を解かれ、十六年ぶりこの本家へとやってきた。


 葬儀に参加するため、そして、この呪われた忌まわしい婚約を破棄するために。


 それにしても人が多い。

 焼き場から屋敷に戻り、屋敷の庭園で精進落としの食事会の準備を待つ間、つま先立ちであたりを見回すが、目的の人物は見つからない。目的の人物どころか美燈里や燐太郎にすら出くわさない。どっちを向いても喪服姿の人、人、人。

「青ちゃん、あんたは大人しくしてなさい。晃一さんは紺に探して貰えばいいでしょう」

「あ、う、うん」

 隣の母は声を潜め、辺りを憚るように俯いている。この家にとっては大罪人である娘が目立つのが怖くて仕方ないらしい。

「喪服、やっぱりこっちで勝手にお母さんのお古を直しておくんだった。あんた忙しい忙しいばっかりで全然帰ってこないんだもん」

 母は娘の頭のてっぺんからつま先まで見て溜息を吐く。

「ごめん」

 私の今日の服装は黒いパンツスーツだ。喪服と兼用にするために、スーツは黒しか買わないので、私にとってこれは立派な喪服なのであるが、和服とワンピースに囲まれていると肩身が狭い。バッグに至っては黒いというだけのナイロン製のザックである。これに関しては叱られても仕方ないかもしれない。

「亜輝子さんはうるさくない人だけど、年配の人達はそういうの見てるからね」

亜輝子、とは光之助の娘で檻降家の現当主であり、私の許嫁である晃一の母親である。彼女は今日の喪主を務めていた。

「ま、まあ今日話す相手は晃一さんだし」

「そういう話じゃないって分かってるでしょう」

 交渉前に隙を見せるな、と言いたいのだろう。叱られてばつが悪そうな娘に母は苦笑した。

「今更どうしようもないか。私も和服じゃなくてワンピースだから同罪だね」

「姉ちゃんさ、本当に晃一くんと直接話しに行くの?」

 弟の紺が心配そうに私を覗き込んだ。

 弟の目は明るい榛色をしている。彼のこの目は強い魔力の持ち主である証だ。

 檻降家の人間は魔力が強ければ強いほど、金に近い目の色をして生まれて来る。弟は傍系ながら檻降家の形質を強く受け継いでいた。一方私の目は黒に近いこげ茶色をしており、一般人と同様、魔力はほとんどない。

「なあ、やっぱやめといたら?」

 紺が眉を顰めながら私の袖を掴む。

 紺は魔法の修練のために本家に訪れているので晃一にも定期的に会っている。

 紺は小さい頃から晃一に可愛がられており、それなりに信頼関係を築いているらしいが、その紺でも心配になるほどに、晃一は私を嫌っているらしい。

「姉ちゃん別に結婚とか急いでないんだろ?」

 急いでいないどころではない。ほとんど何も考えていない。するかどうかも分からない。紺もそれは良く知っているはずだ。

「しばらくの間、晃一くんの許嫁のままだっていいはずじゃん。リスク冒してまで話しに行く必要ある?」

 紺は真剣だった。彼は強い魔法使いなので、晃一の危険性を私達一般人よりも肌身で感じているのかもしれない。

「晃一くんはちゃんとした人だけど、なんかこう、姉ちゃんが絡むと昔からちょっと変なんだよ。何するか分かんねえっていうかさ」

「そ、そんなに?」

「うん」

 紺は頷く。

 私はこの十六年間、許嫁である晃一との接触も禁止されていた。それでも、そこまで嫌われているとは。

 さすがに少し怖くなってきた。

 おおかた長年に渡って自分を縛り付けてきた婚約者が気に入らないだけだろうと思っていた。だが、そこまで嫌われているとなると、私が知らない何か別の理由でもあるのだろうか。

 写真では結構モテそうな感じの男の人に育ってたもんな。本当なら今頃はさぞ楽しい時期だろうに。それなのに男女交際制限されたら、そりゃ腹も立つよね。しょうがないわ。

 などと呑気に構えている場合ではなかったかもしれない。

「あっちから婚約解消してくれって頼みこんでくるまで待っててもいいんじゃないの。だいたい向こうが勝手に姉ちゃんを許嫁に指名してきたんだから逆恨みだろ」

「ちょ、紺君! しっ! なんて事言うの」

 母親が隣から弟の口を塞ぐ。

 弟から逃げ道を示されて少し心が揺れた。私だって晃一と話すのは怖い。

 向こうが勝手に指名してきた、と言えば確かにその通りだ。だが、その原因は私が作ったと言えなくもない。さらに晃一は私よりも六つも年下なのだ。契約のせいで身に危険が及ぶ可能性がある以上、せめて年上である私が責任を持って事態の収拾に動くべきだろう。たとえ相手にどう思われていようとも。

 紺だって、あの無茶な婚約の影響が皆無だったとは言えない。

「そういうわけにもいかないよ」

 ため息交じりに言った。

「でもさあ」

 傍で黙って話を聞いていた父も不安そうに口を開く。

「亜輝子さんには連絡は入れておいたが、ここのところ忙しかったろうしなあ。ちゃんと晃一くんに話してくれているかどうかは分からないぞ」

「でも……何にせよ、いつかは婚約解消しなきゃいけない。契約がある限り、私だって晃一さんだって危ないんだよ。向こうだってそれは分かってるはず。ね、紺も一緒に探してよ」

「まあ、姉ちゃんがいいなら、いいけど……」

 婚約解消のメリットが大きいのはむしろ私よりも晃一なのだ。いくら嫌われているとは言え、いきなり殴られたり、魔法をかけられたりすることはあるまい。


 そう、多少のリスクは覚悟してとにかく今は動かないと。

 私の人生は今までだって、ずっとそうだった。

 持たざる者の定めだ。今回も同じ。


 無意識に左手で右の腕をぎゅっと握りしめる。

 小雨が降り始め、ちらほらと傘を差す客が出て来た。余計に視界が遮られる。

まいったな。見つからない。

 事前に写真で今の晃一の姿を確認したとはいえ、彼とはもう長いこと会っていない。遠目に探し出す自信はなかった。写真の中の晃一はかなり背が高く、記憶にある幼い姿とはまるで違っていた。同じなのは金色に輝く瞳くらいのものだ。

 昔は可愛かったのにな。

 その時、強烈な視線を感じた。超自然的な力とはとことん縁遠い私でも、本能的な恐怖すら感じるほどの。

 思わずそちらを振り返ると金色の瞳がまっすぐこちらを見ていた。

 檻降晃一だ。

 必死になって探していたはずなのに、相手に先に見つけられてしまったらしい。案外向こうも私を探していたのかもしれない。

 そういえば、昔もこういう事があった。

 だが、今は思い出に耽っている暇はない。目を合わせたまま軽く会釈をして、いそいそと歩き出した。すみません、すみませんと謝りながら、人混みの中、なんとか晃一に近付く。

「あの!」

 間近で見ると本当に背が高い。というかガタイが良い。彼の父親に似たのだろう。

 髪は軍人らしく短く刈られ、無駄な脂肪などひとかけらもなさそうな鍛え上げられた身体を黒いスーツに包んでおり、それだけで少し物騒な雰囲気だ。顔立ちは非常に整っている。目つきは鋭く、金色の目が獣のように光っていた。

 佇まいからしてただ者ではない。体格差のせいもあり少し怯んでしまった。

 実際彼はとんでもなく強いそうだ。その気になれば私どころか、この集落をまるごと消し飛ばせるだけの力を持っている。その優秀さと極めて高い戦闘力のために、彼は国防の要とまで言われているらしい。

 だが、私が近付くと晃一は怯えたように少し身を引いた。

 あれ?

 強そうな外見とちぐはぐな仕草だ。嫌悪されているだけにしては違和感がある。

 警戒されているような?

 良く見ると少し頬が紅潮しているようだ。もう酒でも飲まされたのか。

 そこで、はっとした。

 まさかとは思うが、許嫁の契約を盾に結婚を迫るとでも思われているのだろうか。年増女が玉の輿を狙っていると。だから余計に嫌われているのだろうか。これは早いところ要件を伝えた方が良さそうだ。

「すみません、急に呼び止めてしまって。お久しぶりです。晃一さん。滅崎青子です。許嫁の。十六年ぶり、ですよね?」

「は、はい」

 晃一はまだビクついている。敬礼でもしそうな勢いで返事された。

 しかし、大きくなったなあ。

 たしか今年で二十二歳だったか、ずいぶんと大人びて見える。

 だがこうして見ると間違いない。

 晃ちゃんだ。

 写真では分からなかったが、幼い頃の面影がある。

 途端に脳内であの頃の夏の記憶があふれ出した。

 西日の眩しい縁側、オニヤンマ、篝火。

 無事なのは話に聞いて知っていたが、事件以来、彼の姿を直接目にするのは初めてだった。あの小さな男の子が無事に育っているのを見て、改めてほっとした。

 共に過ごした時間は短かったが、私にとって彼はこの檻降の集落での数少ない楽しい思い出そのものなのだ。

 だが私はもう十二歳の少女ではない。二十八歳のいい大人だ。そして相手も大人だ。晃ちゃんではない。晃一さんである。形だけの許嫁にそんな事を思われても、向こうだっていい迷惑だろう。そもそも私は嫌われているらしいのだから。

「早速ですが、私は晃一さんさえ良ければ出来るだけ早く婚約解消をしたいと考えています。手順さえ踏めば安全に契約魔法の解除が出来るとお聞きしたので……」

「……」

 晃一は無言だった。表情が読めない。というか、無だ。いつの間にか顔の赤みも引いている。通り越して蒼白に見える。

 え、なんで? これ安心するところじゃない?

「も、もしかして亜輝子さんからお話し伺ってないでしょうか?」

 しばらく無言が続いた。威圧感が凄い。

 だいぶ経ってから返事があった。

「…………いえ、聞いてます」

「そ、そうですか!」

 よ、よかった! このまま一生無視されるかと思った。ていうか、聞いてるんだ。早く言ってよ。

 晃一の不貞腐れたような態度が気にかかるが、それなら安心だ。

 これでようやく解放される。

 この子を開放してあげられる。

「当時、晃一さんはまだ小さかったのに、こんな事になってしまって、なんとお詫びして良いか……葬儀の場でするお話ではないかもしれませんが、本当に申し訳ございませんでした」

 深く頭を下げた。

 私はずっと彼に謝りたかったのだ。

 謝られたところで彼の今までの人生は返って来ないので、自己満足でしかない事は分かっているが。

「本来であれば私どもの方でもっと早くから婚約解消に向けて動き出すべきだったのですが、力が足りず、我が身可愛さに今まで放置してしまいました」

 下手なことをすれば命の危険があった。けれども、それはお互い様だ。

「晃一さんの人生を無駄にさせてしまい、お詫びのしようもございません。虫が良いのは分かっていますが、お互いのためにも速やかに婚約解消をすべきです。手順などについて話し合いたいので、後日席を設けて頂けないかと思いまして」

 顔を上げて晃一をそっと窺う。

 これだけ下手に出てもご機嫌斜めならもうお手上げだぞ。

 だが晃一はまだ無表情だった。朝日のようにまばゆい金色の目をしているのに、その目には今、光がない。その光のない目で私を見下ろしている。

 はい、駄目でした。お手上げでした。

「……再会して一言目がそれかよ」

 低い声で何か言っているがよく聞き取れない。

「こっちがどんな思いでずっと青ちゃんを……」

「え?」

 晃一は、はあっと苛立たし気に溜息を吐いて乱暴に頭を掻いた。

「え、ええと?」

「婚約解消の件、承知いたしました。後日改めてご連絡します。これでいいか。あんたがそうしたいならそれに従う。文句ねえだろ」

 それだけ言うと晃一は踵を返して去っていた。

 とりあえず目的は果たされた。婚約解消については合意してくれた、という事で良いのだろう。たぶん。

 しかし。

「……なんで?」

 態度悪っ! そんなに私が嫌いか。いや、それは置いとくとしても、契約から解放されて、これからようやく薔薇色の人生が始まるんだよ? 失われた青春が取り戻せるんだよ? もうちょっと嬉しそうにしてくれてもいいんじゃない?

「『あんたがそうしたいなら』って何?」

 意味が分からない。

 雨が強まってきても、私はしばらくその場から動けなかった。

 父と母と紺が駆け寄って来た。

「見てたよ、大丈夫だったの?」

「うん……婚約解消することになった。今度話そうって」

「契約に抵触しないように本人が動くべきだって青ちゃんが言うから、下手に親が間に入らない方がいいかと思って傍に控えてたけど、最後の方、ちょっと言い争ってた? やっぱり私達が居た方が良かったんじゃない?」

「言い争ってた、わけじゃない……と思うけど」

「だから言ったろ! 青子が直接話さなくても良かったんだよ、後はお父さんとお母さんに任せて、な」

 父にも心配されている。

「姉ちゃん、濡れちゃうよ……」

 紺が傘を差してくれた。

「ありがと……ははっ、やっぱ紺の言う通りだったかも。大人しく待ってればよかった」

「姉ちゃん」

「出来るだけ早く解放してあげたいと思って、急いで会いに行ったけど、もうなんかマジで嫌われているみたい。昔は可愛かったのになあ。悲しいね」

 気を抜くと鼻声になってしまいそうだったので早口で言った。


 ああ、今分かった。

 私は晃ちゃんに危害を加えられる事なんて本当はちっとも心配してなかった。

 頭では危険性は分かってても、晃ちゃんは絶対そんなことしないって信じてたから。

 怖かったのは、これだ。


 晃一に本当に嫌われていると実感することだった。


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