第5節:「真犯人への迫り来る闇」

夜のリハーサルスタジオは、人がまばらでひどく静かだった。

私は重たい足取りのまま、ある人物を探して通路を歩き回る。

舞台袖の暗がりの奥に視線を向けると――やっぱり、いた。

橘かりんがスポットライトのケーブルを片付けるスタッフの横で何かを話している。その姿を見つけた瞬間、胸に湧き上がるのは怒りと悲しみが入り混じった複雑な思いだった。


(本当に……かりんなの?)


数時間前、私は衣装室で、かりんの衣装に残された血痕のようなシミと莉音のスマホケースを見つけてしまった。

彼女が事件と深く関わっているという確信と同時に、「どうして?」という疑問が頭から離れない。

そんな心の乱れを落ち着かせるように深呼吸して、一歩踏み出した。


「かりん、ちょっといい?」


静かに呼びかけると、かりんは一瞬だけ身を硬くしてから振り向いた。

暗がりのスポットライトの残照で、その表情までははっきり見えない。

でも、瞳の奥には何かを隠しているように見える。

私は舞台袖へと誘導するようにかりんを軽く促し、そして意を決して口を開いた。


「この衣装……。洗い流された血痕、それから莉音のスマホケース。あなたのだよね?」


手のひらに握ったスマホケースを見せると、かりんは思わず息を呑んだように見えた。

足元から冷たい空気が吹き上げるような感覚に襲われる。


「どうして、それ……」


かりんの声は震え混じりだった。

だけど、すぐに感情を押し殺すかのように背筋を伸ばし、私の言葉を遮ろうとする。まるでそれ以上話題に触れさせないように。「違う」――そう否定するだけで、証拠を目の当たりにしているというのに、はっきりとした釈明はしない。


「じゃあ、どうしてあなたの衣装に莉音のスマホケースが入ってたの? 事件のあの日、物販中に“トイレに行く”って言って姿を消してたよね……?」


詰問するような口調になってしまう。

それでも、もう後戻りはできない。私自身がこの事件を追いかけ始めた以上、グループの関係を壊しかねないとわかっていても、ここで真実から目を背けるわけにはいかない。


かりんはギュッと拳を握りしめ、目を伏せたまま小さく唇を震わせる。

思わず足元に視線が落ちる。

嫌な静寂が舞台袖に落ち、遠くで誰かが機材を動かす音だけが聞こえてくる。

やがて、かりんは震えた声で言う。


「そんなの……いろいろ事情があるのよ。私だって、やりたくてやったわけじゃ……」


その言葉だけでは何も説明にならない。怒りと悲しみの混ざった火が、私の胸で燃え上がりそうになったとき、急に頭の中である疑問が弾けたように蘇った。


(待って……あの予約投稿の設定時間。かりんが姿を消していた時間と、微妙にズレてるような……?)


そういえば、警察に聞いた予約投稿の正確な時刻は思っていたより早かった。

もし本当にかりんが犯人なら、あのタイミングでスマホを操作するにはもう少し別の時間帯が必要だ。

ってことは……私が想定していた“犯行時刻”と実際のかりんの“動線”が合致していないかもしれない。

それに、照明事故の前後も、かりんはどうしていたんだっけ……。


頭の中で時系列を再整理する。

すると、どうしても時間のズレに違和感を覚える。

確かに、かりんの衣装にあった血痕やスマホケースは強力な証拠に見える。

けれど、もしそれがトリックの一部だったとしたら――かりんも誰かにハメられたという可能性はないのか?


「もしかして……誰かに利用された? かりんは犯人の片棒を担がされてるだけなの?」


思わずそんな考えが声になりそうになるが、隣でかりんが肩を震わせているため言えなかった。

まるで心の底で何かを訴えようとしているのに、声にできない――そんな表情に見える。

私が追及の言葉を飲み込んだ瞬間、誰かの足音が近づいてきたのを感じて、かりんはサッと背を向ける。


「……もう、放っておいて。」


かりんはそう短く呟いて、早足で舞台袖を出て行ってしまった。

私はその背中を追う気にもなれず、ただ立ち尽くす。

手のひらの中では莉音のスマホケースが冷たく光っている。

この決定的と思われた証拠が、実はさらなる謎を孕んでいるのかもしれない。


(かりんが犯人なのか、それとも……まだ別の誰かが裏で糸を引いてる?)


脳裏には警察から聞いた「予約投稿設定履歴」の話がよぎる。

そこにはもう一人別の痕跡があった、と刑事が口にしかけていたのを思い出す。

見過ごされた第三者の存在。

そう考えれば、この悲劇にはさらに深い闇があるのかもしれない。


照明の落ちた舞台袖で、私は一人、スマホケースを握りしめながら唇を噛む。

足音が去った通路には、かりんの気配すらもう感じられない。

すると、背後の暗がりから、まるで誰かの視線を感じたような気がして、思わず振り返ったが、そこには何もいなかった。


「まだ……真実は遠いんだね。」


吐き捨てるように呟いて、私は舞台裏の重たい空気を吸い込む。

ドアの向こうにある闇は深く、不気味な気配が私を包んでいる。

もし犯人がもっと大きな仕掛けを用意しているとしたら、これから私たちはどんな代償を払うことになるのか。

考えれば考えるほど、胸が痛んで仕方ない。


(真犯人はもっと深いところにいる――これはまだほんの入り口に過ぎないのかもしれない。)


最後にもう一度、スマホケースを見つめてから、私は舞台袖を離れた。

背後に残された闇の中、誰かの視線が確かに存在したように思える。

まるで、この先のすべてを見透かしているような、そんな冷たい眼差し……。ともあれ、私が進める道は一つだ。

真犯人を探し出し、再びあのステージに光を取り戻すために。

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