第3節:「SNSが炎上する夜」

事件当日の夜、私は自宅に帰ったものの、まったく落ち着かない。

病院に搬送された水無瀬莉音の容体は依然としてわからず、控室で血を流して倒れていたあの光景が頭から離れない。

どれだけ目を閉じても、鮮明に蘇ってくる。


 スマホの電源を入れると、そこには荒れ狂うSNSのタイムラインが映し出された。「水無瀬莉音死亡説」なんて言葉まで飛び交い、誰もが憶測を垂れ流している。

まだ公式の発表すらないのに、噂だけが独り歩きしているのだ。


 そして、何より目を引くのは、莉音の最後のSNS投稿。

時刻は11:05――にもかかわらず、事件が起きたのは11:00前後とされているのだから、時間が明らかに矛盾している。


水無瀬莉音(@Rion_Minase)

11:05

今日は握手会! みんな会いに来てくれるかな? 楽しみにしてるよ✨


 この投稿が本当に莉音自身によって行われたのだとしたら、わずか5分前後の間に、いったい何が起きたのだろう。

倒れていた莉音が投稿したとは、どう考えても思えない。

私はスマホを持つ手が震えるのを感じながら、書き込みの数々を見つめる。


リプライ欄(抜粋)

@idol_fan001

「11時頃に事件があったって聞いたけど、これ11:05の投稿だよね? どういうこと…?」


@office_sikinasai

「運営、ちゃんと情報出してくれよ! もう誰も信じられないんだけど」


@kaorufan_xxx

「これが最後の投稿になるなんて…まだ信じられない」


@yazaki_suspect

「#莉音ちゃんのために真相を追え

犯行時間と投稿時間が合わないだろ? これは明らかに変だ。

みんな、なんでもいいから情報くれ!」


 ファンはもちろん、野次馬やインプレゾンビも入り乱れ、コメント欄は混乱の極みだ。

誰もが「どうして事件が起きた後に投稿されてるの?」と口々に疑問を叫ぶ。

実際、私たちメンバーにとっても、この矛盾は大きな謎だった。


 あるファンサイトの掲示板では、事件現場に居合わせた人からこんな書き込みが投稿されていた。


【スレ】「水無瀬莉音、倒れる…犯人は誰だ?」

スレ主:目撃者A

「俺、ちょうど11時くらいに舞台裏で人だかりができてるの見た。

そこで莉音ちゃんが倒れてたんだけど、その5分後にあの投稿って…絶対おかしいよな?」


「だよね。ありえない。犯人がスマホを勝手に使ったとか?」

「リアルに現場にいたけど、マジで救急車来てたしやばかった。運営も警察呼んでたっぽいぞ」

「誰かに刺されたって噂もあるけど、本当か? 情報錯綜してる」

「もしかしてメンバーがやったんじゃ…? 内部犯行説も出てるけどどうなの?」

「そんなこと言うなよ…内部犯だったら立ち直れないんだが…」


 書き込みを読むたびに、胸が痛くなる。本当のところ、私たちにすら何が起きたのかまだわからないままなのだ。

運営や警察も捜査中だと言うだけで、具体的な説明はしてくれない。

あの時、莉音のスマホは控室に落ちていた。

誰がいつ、どのように触ったのかすらわからない。


 その上、「#莉音ちゃんのために真相を追え」というハッシュタグを掲げた投稿を見ていると、そのリーダー格らしき矢崎誠というファンが煽るようにこんなツイートをしていた。


@yazaki_suspect

「犯行は11:00前後だって言われてるのに、11:05に投稿が上がるなんて、一体どうなっているの? 運営もメンバーも何か隠してんじゃないのか?」


 リプライには「マジで闇深い…」「ラストフレーズもう終わりだな」など、荒々しい意見が続々と寄せられている。


「ううっ…」


 思わず声を漏らした私を見て、同居している家族が心配そうに「大丈夫?」と声をかけてきた。

答えようと口を開くが、言葉が出てこない。

事件があったばかりで混乱している私たちメンバーに、こんな無責任な情報の洪水をどう止めろというのだろう。


 ファンの中には真剣に心配してくれる人や優しい言葉をかけてくれる人もいる。

でも、今はそれを見ても気持ちが晴れるわけじゃない。

11:05の投稿が示す矛盾が、私たちの心を重く押しつぶす。

もし、あれが本当に莉音の手によるものではないのだとしたら、いったい誰が、何のために投稿したのだろう……?


 SNSや掲示板を見続けても、答えが得られるわけではない。

それどころか、感情だけがさらにかき乱されてしまう。

私はスマホの画面を閉じ、深く息を吐いた。


 「莉音がどうか無事でありますように」――その願いを抱きながら、私は眠れぬ夜を過ごすしかなかった。

外の世界が勝手に“真犯人探し”で盛り上がる一方、私たちはただ手をこまねいている。

何が本当で、何が嘘なのか。

こんな苦しさ、アイドルとしても、一人の人間としても、耐えがたいものだった。

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