『魂の方程式』
@CHIKARA44
第1話
第1章:残響の始まり
第1節:還暦の朝
「60歳か……」
志倉陽(しぐら・ひかり)はカレンダーを見つめてぼんやり呟いた。壁にかかったシンプルなカレンダーの今日の日付には、赤い丸で「還暦」とだけ書かれている。自分で書き込んだものだが、改めて目にすると何とも言えない気分になる。
リビングの椅子に腰を下ろし、淹れたての珈琲を一口飲む。窓の外は曇り空。大阪市内のマンションの窓から見える風景は、いつもと変わらないはずなのに、今日はやけにぼやけて見える気がした。
「還暦やから言うて、何が変わるわけでもないけどな……」
自分に言い聞かせるように呟く。独り身のマンションには、返事をしてくれる人もおらん。静まり返った部屋で、時計の秒針だけが響いている。
「なんや、寂しなっとるんかいな、俺……」
志倉は自嘲気味に笑って立ち上がり、ベランダに出た。冷たい風が頬を撫でる。コーヒーカップを握る手に、少しだけ力が入る。
両親が亡くなってから、もう10年以上経つ。父が亡くなったのが50代半ば、母がその3年後に後を追うように逝った。志倉が両親を見送ったのは50代前半。あれから一人で過ごす日々が続いた。
その時は、「命ってあっけないもんやな」とただ虚しく思うだけやった。それ以上のことを考える余裕もなかった。けれど、還暦を迎えた今、その出来事をどうしても思い返してしまう。
母親がよく言っていた言葉が頭をよぎる。
「陽、命っちゅうのはな、どこかで繋がっとるもんや。だからな、感謝を忘れたらあかんで。どんな小さいことでも、ちゃんとお礼言いなはれ。」
子どもの頃、母が言うたその言葉の意味が、当時は全然分からんかった。「感謝する」っちゅうても、どうしたらええんか分からん年頃やったし、「命が繋がっとる」なんて抽象的すぎてピンとけえへんかった。
けど、今は違う。還暦を迎えた自分には、その言葉がなんとなく理解できる気がする。
「人間て、歳取ったら親の言うてたことがわかるもんやな……」
呟いてみると、少しだけ気持ちが軽くなった。親がこの世を去った今も、どこかで見守ってくれてるような気がするのは、気のせいやろか。
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