永遠の時代の物語
花宮守
第1話
キスをするのは、当たり前だった。ほっぺたに、おでこに。忠誠の証として、手の甲にも。
「ふふっ。イオ、大好き」
「私も、心よりお慕い申しております。エラ様」
子供の頃の愛称のまま、ひそやかに。
幼馴染みとして、親友として。時には姉妹のように。物心ついた時には、イオは私のそばにいた。赤ちゃんの私を見たことがあるとも聞いた。三つ年上の、すらりとした長身の美人。白銀の髪は腰より下まで伸びている。
王宮の、私専用の離れ。ちょっとした小国の、お城ひとつ分の広さはある。その一角、私が寛ぐための居間で、今日もそっと接吻を交わす。腕に、髪に、首筋に。
「ん、くすぐったい」
「私の髪が?」
「ううん……ここが」
私は人差し指で彼女の唇を軽くつついた。それが引き金。真っ青な瞳が見開かれ、切なげに細められた。と思ったら、何かが私の唇に触れていた。柔らかい。ほかの部分には幾度も押し当てられたことがあるもの。
「ン……」
これ以上接近できない距離にある彼女の顔には、苦しそうな表情が浮かんでいる。
「お許しください……」
吐息に混じる囁き。抱き寄せられ、唇がぴったりと合わさった。白銀のカーテンの中に閉じ込められているみたい。アルビナ国の一の騎士としての衣装には、私のドレスとは違って固い部分も多くて……揺らぐことのない頼もしさで包んでくれる。いつもずっと私より大人で、時には剣を抜いて守ってくれて。なのに今、どうして泣きそうなの?
訳が知りたくて、じっと見つめた。答えは、繰り返されるキスだった。
私は十六、イオは十九歳になったばかり。わずかひと月後、真綿にくるまれたようなこの幸せが破壊されるなど、想像すらできなかった。
「隣国へ派遣? イオを?」
「はっ。なにとぞ」
「そんな……前線に出るのは二十歳になってからというしきたりでしょう?」
王宮の中で二番目に広い、議会室。どうしても私の意見を聞きたい案件があるからと、請われて議会に出席した。それがそもそも、異例中の異例だった。難しい話を、わからなくても近くで聞くのが大好きな私を、お父様もお母様も苦労してこの部屋から遠ざけていた。王家の子女が議会に列席するのは、十八からと決められていたから。お父様、お母様が三年前に亡くなられてからも、変わることはなかった。
「姫もご承知のとおり、先日来、海の向こうより襲来した東国との戦に、隣国が非常に苦しんでおります。友好国として我が国も援軍を出すこととなったわけですが、海軍・陸軍双方の指揮をする者が少なくともあと一名は必要ということになりました」
騎士団長が凛とした声で説明した。
「イオに、それができると?」
「はい。彼女でしたら申し分ありません。お許しいただけるのでしたら、今夜にも私が連れて発ちます」
「今夜にも……」
私は、議会室の対角線上、一番遠い所に座っているイオを見た。彼女もこちらを見ている。使命に燃える目を見れば、反対などできようはずもない。今は議会が一丸となって、空位となっている王の役割を果たしてくれているにしても、この決断は確かに私が下さなければならなかった。
「許可します。イオ、すぐに支度を」
「はっ」
議会長を挟んで、私の右隣に座っているフェリクス叔父様が、彼女と私をちらりと見た。
お父様が前の戦で亡くなられてから、この国が兵を出すような戦は初めてだ。お母様はお父様の逝去から三月後、戦の事後処理の第一段階を終えたところで、後を追うように亡くなられた。残った処理は、フェリクス叔父様の指示のもと、議会の皆が最後まで済ませた。おかげで戦後のごたごたは、最小限のものにとどめることができた。
あれから三年。笑顔を取り戻すには時間がかかる。ようやく、空の色も人々の顔も晴れやかになってきた矢先、今度の戦が起こった。今思えば、唇を重ねたイオの行為は、この状況を察知してのものだったのかもしれない。
私たちは今日から、初めて離れ離れになる。
彼女の居室は、私の寝室から居間を抜けた所に位置している。喉に詰まる重い塊に気付かない振りをして、騎士を送り出す王女にふさわしい態度を保ち、その部屋を訪れた。
「そろそろ、出立の時刻ね」
「はい。あの星が木立のてっぺんに上る頃には」
二人で何度も、並んで星を眺めた窓辺。寂しくて眠れない夜、私は幾度、この部屋へやってきたことか。イオは困った顔をしながらも、私を抱きしめて同じ布団に入れてくれた。つやつや、キラキラした長い髪に触れていると、暗くて長い横穴の向こうに光が見える気がした。
「このようなことは、言うべきではないのでしょうけれど……イーオン、あなたに命じます。生きて戻りなさい」
戦で命を落とす者は大勢いる。それは家族を失う者もまた、大勢いるということ。私もその一人だった。そうなってしまう可能性の方が高い場所へ送り出すのに、こんな命令は矛盾している。イオに「命令」したのも、今までになかったことだ。
「エラ様……」
彼女は、点検していた短剣を靴の中へ戻し、私を抱き寄せた。
「まだ刻限には少しあります。泣いてもよろしいのですよ」
「……泣かない」
ほっそりとした指が、背を撫でていく。
「では、私が出立してから、どなたかの胸を借りますか? それは許しがたい……そう、あのフェリクス様であったとしても」
「誰の前でも泣かないわ……一人で、だって。わたし、は……イオがいないとっ……」
泣くのも笑うのも、あなたと一緒だった。
「死なないで、イオ……生きて、帰ってきてくれないと、いや……」
「エラ様、お約束します。必ず、生きて戻ります」
私は涙でぐちゃぐちゃの顔で彼女を見上げた。
「絶対よ……」
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