第1章 学校生活と出会い
第1話 戻ってきた男
「これは、完全に忘れていますね」
数年ぶりに目にした駅前の景色は、大きく変化していました。
最初に目に付いたのは、玉を弾いたり穴に入れたりして景品を得る巨大な遊技場で、更地だった場所には喫茶店が出来ており、多くの客が珈琲を片手にそれぞれの時間を過ごしている姿を目にすることができ、また、安値で髪を切ってくれる店も賑わっていますが、万引が跋扈していた書店がその姿を消していたことは残念です。
変化の方が多いその場所の中で、ぼくは見慣れた自動車を探しましたが、確認することはできませんでした。
そのため、携帯電話を取りだし、迎えに来ると言っていた相手に電話をかけましたが、応ずる気配はありません。
「いい加減なところがあるとは知っていましたが、ここまでとは」
嘆息しながら携帯電話を仕舞い、乗合自動車の時刻を確認しに向かいます。
ですが、其処でもぼくは、数年という時間の流れを嫌でも味わわなければなりませんでした。
昼間であるにも関わらず、乗合自動車が一時間に一本のみ、または、一時間に一本も来ることがないという時間帯が存在していたのです。
運転手が不足していると同時に赤字が多くなっているという話は聞いていましたが、実際にその影響を目にすると、なかなかの衝撃でした。
徒歩で自宅まで戻る時間と、次なる乗合自動車が来るまでの待ち時間がほとんど同じだったために、ぼくは歩くことにしました。
思わぬ運動となりましたが、健康のためだと自分に言い聞かせながら、ぼくは足を動かし続けました。
***
「おや」
駅と自宅の中間ほどの場所で、ぼくはその老齢の女性を目にしました。
困惑したような表情を浮かべ、携帯電話を片手に道行く人々に声をかけようとしていましたが、誰も彼もが応ずる様子を見せることはありません。
何と不親切な人間たちなんだと憤慨しながら、ぼくは女性に声をかけることにしました。
「何か、お困り事でしょうか」
ぼくが声をかけると、女性は安心したような様子を見せました。
その反応が、ぼくには新鮮でした。
何故なら、初対面の人間のほとんどはぼくの姿に驚き、または、怯えていたためなのですが、今はそのような話をしている場合でありません。
眼前の女性のために、行動しなくてはならないのです。
話を聞いたところ、どうやら娘夫婦の住む家へと向かおうとしているようです。
しかし、地図を表示しようにも、携帯電話が起動しなくなってしまったらしく、途方に暮れていたという事情でした。
営業用自動車に乗れば良かったのではと訊ねたところ、駅からそれほど離れているわけではなかったために、徒歩で向かおうと決めたということのようです。
娘夫婦の家の近くに何か目印となるような建物は無かったかと訊ねたところ、ぼくがこの土地を離れる前から営業している飲食店の名前が女性の口から出てきました。
とりあえずその店まで道案内をすることを伝えると、女性は笑みを浮かべながら感謝の言葉を口にしました。
感謝されると、こちらまで気分が良くなるものです。
***
くだんの飲食店に向かったところ、女性が娘夫婦、そして孫と共に店を訪れていたことを憶えていた店主が、自宅の場所を教えてくれました。
店主に頭を下げ、雑談をしながら女性の娘夫婦の自宅へと向かいます。
やがて到着し、呼び鈴を鳴らすと、家の中から一人の女性が飛び出してきました。
年齢的に、どうやら女性の孫娘のようです。
店主から連絡を受けて事情を聞いていたのでしょう、孫娘は安堵した様子で、祖母の手を握りながら、何事も無くて良かったなどという言葉を口にしていました。
その後、孫娘はぼくに意識を転ずると、深々と頭を下げました。
感謝の言葉を述べるその姿を見て、ぼくの姿を目にしても祖母である女性が驚くことがなかった理由が分かりました。
孫娘の髪の毛は頭頂が黒色でしたがその他は金色で、数多くの耳飾りとは裏腹に眉毛の姿は無く、剥き出しになっている腹部には何かの模様が表現されていました。
道行く人々が思わず距離をとってしまうかのような外見である孫娘が存在しているために、ぼくの姿を目にしても、女性が驚くことがなかったのでしょう。
孫娘はぼくの目を真っ直ぐに見つめながら、何か困ったことがあれば何時でも力になると告げてくれました。
人間を外見で判断してはなりませんが、いわゆる普通の人間たちが困っている人間を助けることがない一方で、世間的には避けられるような姿をした人間が義理堅い姿を見せるとは、おかしな話です。
***
『――重傷を負っていますが、生命に別条は無いそうです。手口が共通していることから、警察では同一人物による犯行と見て、調べを進めています。変わりまして、季節の風物詩である――』
自宅に入ると同時に、報道の音声が聞こえてきましたが、気になったことはそれだけではありません。
居間へと続く廊下に、数多くの塵袋が並んでいたのです。
ぼくが知らないだけで塵の収集は止めたのだろうかと思いながら居間へと進んでいくと、居間の状況また、酷いものでした。
動線と思しき場所は床を見ることができましたが、それ以外の場所には、漏れなく塵が溢れていたのです。
洋卓の上には何らかの汁が入ったままの食器が並び、台所の流しには洗い物ではなく中身の入っていない菓子の袋や酒の空き缶で溢れ、換気という言葉を知らないのか、室内には鼻が曲がりそうな臭いが充満していました。
今すぐにでも逃げ出したいような中で、その女性は、長椅子で鼾をかいていました。
おそらく、このような場所で生活し続けているために、塵の量や悪臭が気にならなくなったのでしょう。
他の場所よりは比較的片付いている浴室に向かい、洗濯盥に水を満たすと、その中身を女性に向かってぶちまけました。
ですが、女性は突然の行為に驚く様子も見せず、緩慢な動きで身を起こしました。
長い欠伸をしてしばらく首を動かした後、ぼくを認めると、女性は手を挙げながら、
「やあ、ジロくん、久しぶりだね。しかし、実際に見ると、随分な変化だ。驚きを隠すことができないよ。引き越す前はまだまだ子どもだったから、変化が際立っているね。今は少年というよりも、男性という表現が相応しい」
動ずる様子も無く、昨日も顔を合わせたかのような調子の女性を見て、ぼくは溜息を吐きました。
「ぼくも、自分の家が塵屋敷になっていることに驚きです。何故このような状況になっているのか、説明してくれますか、叔母さん」
ぼくの問いに、叔母さんは今日の天気を告げるかのような様子で、
「生きていれば、塵が出る。当然のことだろう。妙な疑問を口にするなあ、きみは」
「母さんに報告します」
「今すぐ片付けよう。手伝ってくれ」
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