第19話 名前を呼んで

「間違ってないよ」


 昨日の大路さんの言葉が脳裏を離れない。だって、大路さんは私と難波さんがベタベタしていることに怒っていて、


「僕のお姫様なんだけど」


 そんな言葉と共に抱きよせたのは、私の肩で。またいつものポンコツかと思って嗜めたけれど、大路さんから帰ってきたのは冒頭で述べたような返答で。


 そんな事実を繋ぎ合わせると、ある一つの推測が浮かび上がってくる。


 え? 大路さんってもしかして私のことが好き?


 そんな結論に自然と至ってしまう。そして、そんな考えを慌てて私はかき消す。


 いやいやいや、ありえない。なんで女子校の王子様が私みたいな隠キャを好きになるんだ。それこそ、難波さんみたいな可愛い子と常日頃から一緒にいて、それで私を好きになるなんてよっぽど性癖が特殊でもない限りはありえない。


 すぐ自分のこと好きかも? って思ってしまうのは隠キャの悪い癖だ。ただ大路さんは自分の裏の顔がバレてしまったからなし崩し的に一緒にいるだけで、実は私のことが好き、だなんてあるわけがない。


 それに。


「おはよう月影さん。朝から君は本当に美しくて、綺麗だ」


 もし本当に私のことが好きなら。本気で口説こうとして、朝のHR前から休み時間までこんなだる絡みをしてきているのだとしたら。


 それはあまりにも不器用すぎる。


「おはよう。大路さんは相変わらずだね」


 私は呆れたようにそう呟いた。相変わらずが、変わらないようにと願いながら。


 ◇◇◇


「ひ……月影さん……!」

「どうしたの、改まって」

「今日はキスの練習の前にちょっとお願いがあって」

「お願い?」


 嫌な予感がする。空き教室に入って早々王子様の仮面をかなぐり捨てて、キョドりまくっている大路さんの様子がそれを後押しする。


 そのずば抜けた美貌を所作だけで台無しにするような、キョロキョロと動く大路さんの瞳を見つめながら、私は尋ねる。


「あの、私も名前で呼んでくれないかな?」

「え、なんで?」


 あまりにも突拍子もないお願いに私は素で尋ねる。


「いや、だって。陽子とは名前で呼び合ってたし……」

「それは、はるちゃんが無理やり」

「またはるちゃんって言った……」


 昨日の記憶に引っ張られてあだ名で呼んだ私に、大路さんは涙目で追求する。いや、なんで、涙目になるんだ。


 その、疑問に対して、インキャな私はすぐにまた勘違いして色ボケた推測をしようとする。まさか本当に私のことが好きってわけじゃないよな……?


 いやいやと、そんな推測をかき消す。ただ単に仲良しな難波さんと、割と喋らないわけではない私が仲良くなって、置いてけぼりを食らったような気分になっているだけだろう。そんな風に、言い聞かせる。


「わかったわかった。呼ぶから」

「ほんと?」


 そんな風に涙目で、弱々しい声で尋ねる大路さんは、もう王子様というよりは赤ちゃんみたいで。


「じゃあ、呼ぶからね」

「お願いします」


 それなのに、まっすぐ私を見つめる瞳の凛々しさや、私よりも遥かに優れたスタイルは、本物の王子様に遜色のない美しさを湛えていて。


「た、巧美」


 なぜか、その3文字を告げるのに、相当な体力を使ってしまった。頬が心なしか熱い気がする。


 そして、名前を呼ばれた当の本人は。


「へへへ」


 めっちゃニヤニヤしていた。いや、仮にも王子様がそんな笑い方したらだめだろ! そんな風に突っ込みたくなるほど。


 そして、大路さんはニヤニヤとしたまま尋ねる。


「もう一回、お願い」

「巧美」


 いや、なんのプレイ? 大路さんはそれはもうニコニコとご満悦といった様子で。


「なんで、そんなニヤニヤしてるの?」

「え? ニヤニヤなんてしてないけど」

「今すぐ鏡見ろ!」


 私は思わず大声で突っ込んで、スマホの液晶を突きつける。


「え、何この顔、きもちわる……」


 大路さんは突きつけられた事実に、我に帰ったように上がった口角に手を添える。しかし、それでもなお笑みは止まらなくて。


 なんか、遊ばれてるみたいで、腹立ってきたな。そんな隠キャ特有の尖りが顔を覗かせる。


 そして、そんな尖りから私はぶっきらぼうに大路さんに尋ねる。


「じゃあ、私も名前で呼んでよ」

「な、なんで?」


 なぜか大路さんは慌てたように目を丸くする。


「だって、私ばっかり呼んでるのずるいじゃん、なんか大路さんばっかり楽しそうで腹立つし」

「そ、それはそうだけど……」

「ほら、はやく呼んでよ」


 私はそう言って、大路さんを追い詰めるように距離を詰める。


「わ、わかった」

「呼ぶよ」

「呼ぶからね?」


 大路さんはなぜか顔を真っ赤にして言葉を重ね、モジモジする。


「どうぞ」

「ひ、ひ、」


 大路さんはそんな風に、何度か繰り返した後。


「ひめこ」


 拙い口調でそう告げた。


そして、呼べたことを喜ぶように。


「ひめこ、ひめこ」


 何度もそう告げる。やけにしっとりとした口調で、距離を詰めてくる。


「もういい、もういいから」


 なぜか顔が熱くて、鼓動が早くて、私は大路さんの顔の前で手を振る。


 それから、その呼び方に、少しだけくるみのことを思い出して、胸がきゅっと締め付けられた。大路さんも私を裏切るのだろうか、なんて。そんならしくもないことを考えていると。


「じゃ、じゃあ、ひめこ。キスの練習」


 な、なんかいつのまにか名前で呼ぶこととキスの練習が悪魔合体している?!


 衝撃のあまり、固まってしまった私に向かって、大路さんの美しさが落ちてくる。


 赤色に染まった頬。長いまつ毛。ハスキーで深みのある声。そして……


 荒い呼吸に、ぐりぐりと押し付けられる唇。


 いや、この流れでへたくそなんかーい。


 内心で突っ込んで、そんな大路さんの変わらなさにどこか安心した。


 


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