第47話 楯築遺跡・鯉喰神社

 頂部の5つの巨石だけでなく、斜面にも幾つもの巨石が顔を覗かせています。長年の風雨で倒れたのかもともとそうだったのかは分かりません。


 北東側は切り立っていて、下は住宅街です。道路を作るために斜面を削り取り、そのときに一緒に切り取られてしまったようです。


 惜しいです。


 もし両方の(アンノウンでいうところの)腕が残っていたのなら、これはすごい観光地になっていたでしょう。


 日本のストーンサークルでもトップクラスです。


 弥生時代、吉備の王が倭国で1番の権力を握っていたとしても不思議がありません。楯築遺跡からもちょろりと吉備の中山が見えます。


 当時も神体山を仰ぎ見る信仰があったことが窺えます。しかしその後、ヤマト王権に連なる人間の古墳がその神体山である吉備の中山の山頂に作られてしまいます。つまりこれはこれはどう考えても次の世代ではヤマト王権に制圧されたと考えるしかないのだと思います。


 ちなみにここも温羅と吉備津彦が戦った舞台で、石の楯として5つの立石を用いて温羅と戦ったという伝承があります。ここでサバイバルゲームしてたわけです。いや、ゲームじゃないな。文字通りサバイバルでした。伝説ですけど。


 給水塔の撤去が終わって腕が復元された頃、また来ようと思います。


 次に向かったのは楯築遺跡の次代の王墓と言われている鯉喰神社です。劣勢になった温羅が鯉になって逃げて、鵜に変身した吉備津彦に食べられてしまうという不思議なよくわからない伝承の地です。要するに温羅が討たれた地(の設定)なのでしょう。


 ちょっと登っている道路の右手に切り通しのようにコンクリートブロックで斜面が覆われています。しかし切り通しではなく、墳丘墓の側面なのです。その上に神社がある。古墳に神社があるのは普通のことですが、知らなければ分からないレベルです。


 ちなみになぜ次代の王墓と言われているかというとここでも弧帯文石が出土しているから。うーん。楯築遺跡と形状が全く違う。もちろん鯉喰神社にもご参拝します。


 鯉喰神社の周りは平地なのですが、山陽道が前を通っています。しかし弥生時代の当時はどうだったのか考えます。おそらくすぐ近くが内湾で、いい天然の港になっていたはずです。それがどんどん海水が引いていって天然の港がなくなり、貿易拠点としての価値が失われていったのでしょう。これは出雲と共通する点です。


 その後、貿易ではなく、広い耕作地や馬(今でいう戦車、MBTですよ)を生産する原野を持つ土地が力を持つようになります。馬を生産することで大きな力を持つようになったのが群馬や千葉の豪族です。長野でも生産が盛んでした。


 貿易は条件が変わると本当に揮わなくなる。その前にどうにかしなければならないかったのですが、吉備の場合は分割されたり制圧されたりとヤマト王権にいじめられて、結局潰されたのですね。


 しかしそう考えるとどうなんだろう。ヤマト王権と吉備の関係って。たぶん有力なパートナーだったけど、いざヤマト王権が中央集権化を目論むに当たって最初に排除しなければならない巨大な敵になった――というところなのでしょうか。

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