あやかし少女の花婿探し
檀 まゆみ
プロローグ 私の花婿さま
秋風が吹きすさび、道行く人々が長袖に衣替えする季節、和佳は物寂しく栗色の髪を下に傾けて帰り道をとぼとぼと歩く。足元に小石があったので勢いよく蹴り飛ばす。小石は道路をバウンドすると、側溝にチャポンと落ちた。
今回も婿取りに失敗してしまった。和佳は下を向きながら身体が震えるのを我慢する。
「また振られたぁ!?」
隣で一緒に歩く親友の咲希がこれで何度目と呆れ混じりのため息をつく。
「振られたわけじゃないのよ。彼女がいたってだけで」
そう言って和佳はお尻から生やした狐の尻尾をくるくると弄んだ。
「同じことじゃない」
和佳の尻尾をパシリとはたくと、咲希は身も蓋もないことを言う。
和佳には使命がある。齢十七にして、婚約者を自力で探さなければならないのだ。和佳は普通の高校二年生ではない。あやかしの一族の子孫である。
あやかしとは獣に化けることができ、神通力を操る種族のことだ。和佳の家では祖父がその力を持ち、隔世遺伝で和佳に引き継がれた。和佳は狐に変化することができる。祖父に及ばないながらも、空を飛んだり火を操ったりと人ならぬ力を使うことも多少ならできる。
十五の時に婿を取れと祖父に紹介された男が気に食わず、さりとて誰かと婚約せねば家においてもらえない勢いだった。それならば自力で探してくると啖呵を切って以来、和佳は気になる人を見つけては恋人になるべく画策を重ねてきた。だが残念なことにその努力が報われた試しは一度もない。
「だいたい和佳の相手に求める条件が厳しすぎやしない?」
親友はズケズケと物申す。
「あやかしの力があって、背が高くて文武両道のイケメンで。普通の男子高生から探すのは大変よ」
だってそうでなければおじじ様に認めてもらえそうにない。それに。
おじじ様が最初に指名してきた相手は歳こそ離れていたものの、背が高くて何でも卒なくこなすイケメンだった。
なぜその人との縁談を承知しなかったのかといえば、実は和佳には好きな人がいるからだ。だがその相手はあやかしの力を持たない普通の人間なのだ。到底おじじ様に認めてもらえる相手ではない。
婚約者探しと称して振られ続けているのも、わざとである。
振られ続けていれば好きでもない男と付き合わなくてもいい上、自分は婚約者を探しているんだという体裁ができる。だからこそ相手の理想は高めに設定し、可能なら彼女のいる相手を選んできた。その間に本命の彼に接近できるかもしれない。そんな期待を込めて。
歩きながら婿取りに失敗して身体が震えたのは、悲しみではなく喜びからだった。振られることなど想定の範囲内なのだ。
そして、咲希は和佳の計画を知る数少ない人間だ。
「その調子じゃ次のレンアイごっこの対象者もハイスペックになりそうね」
呆れながら咲希が両手を組む。
「おーい、和佳! 咲希!」
声をかけて来たのはクラスメイトの剣人だ。後ろから追いかけて来る。
剣人は黒い短髪をくしゃくしゃ撫でると、はあーっとひと息つき、やっと追いついたと呟いて二人と一緒に歩き出す。
「剣人君、部活は?」
和佳が少し緊張気味に聞いてみる。
「今日は急遽休みだって。せっかくだから和佳達と遊びに行こうかと思って追いかけてきたんだ」
そうか。私と遊ぶために走ってきてくれたのか。和佳は胸が高まるのを感じた。
何を隠そう、和佳が懸想している普通の男子高生とは剣人のことである。
剣人とは入学式の時に初めて出会った。一年生の時にクラスが同じになってから、クラスメイトとしてはもうすぐ二年の付き合いになる。
剣人の何が好きなのかと問われれば、その穏やかな性格と部活である剣道に打ち込む姿であろう。あやかしでないことは一族にとっては大問題でも、和佳にとっては取るに足りない要素であった。
剣人君がお婿さんなら良かったのに。
何度も思ったことだ。剣人はイケメンではないし、文武の武の方は一級だが文の方は怪しい。背も高いとは言い難い平均身長である。それでも。
それでも和佳は剣人が好きだった。時に言葉足らずだが行動に優しさの滲む彼は、和佳にとっては最大限に魅力的な存在だ。
剣人はボウリングに行こうと誘ってくれたので、三人は街外れのボウリング場に足を運んだ。
「ナイスボール!」
咲希がストライクを出す。ゲームは運動神経抜群の剣人がトップを走っているが、咲希も負けてはいない。和佳はガーターばかり出し、不貞腐れている。
「二人とも、何でそんなに上手いの?」
ゲームのコツを今ひとつ掴みかねていると、剣人が和佳のフォームを直してくれた。
「ボールを投げる前にだな……」
腕を掴まれて和佳はドキっとした。
(至福……!)
今日はなんていい日なのだろう。帰ったらこのことを日記に書かなくては。嬉しさで和佳は思わず狐に化けそうになったが、耳を生やしたところで我慢した。
ゲームを終えて帰宅すると、おじじ様が玄関で仁王立ちしていた。
「おかえり和佳。話がある。来なさい」
きっと婚約者探しのことだろう。
和佳はやれやれと思いながらおじじ様の後をついていく。
「おまえの婚約者探しのことなんだがな」
やはりそうきたか。
「それなら昨日、振られたばかりです」
和佳がにべもなく言い放てば、
「おまえ、真剣に探す気があるのか?」
おじじ様は呆れてじとりとした目を和佳に向けた。
「実はだな、和佳に婚約の申し入れが来てな」
「えっ」
それは想定外の事態だ。早急に断らなくては。
「相手はあやかしだし、立ち居振る舞いも経歴も完璧だ。歳も近い。こんなに有難いご縁はない」
どんなご縁でも剣人以外の人であれば和佳にとっては意味をなさない。
「おじじ様。私は……」
「婿は自分で探すと言いたいんだろう? だが今回ばかりは命令だ。この御仁と会いなさい」
おじじ様は和佳が口を挟む間もなく言い渡すと、そのまま自室に下がってしまった。
「また災難が降って湧いたな」
兄の由良が障子を開けて入ってくる。鳶色の目をいたずらっぽく揺らす。
「おじじ様、私に婿を取らせようと躍起なのよ」
和佳は口を尖らせて頬を膨らませる。また面倒なことになってしまった。
「俺にはあやかしの力がない分、婚約しろなんて言われないから気楽だけど」
由良は笑いながら和佳の側に寄ると、肩を叩いて大変だなと言った。
由良は和佳の双子の兄だ。と言っても血は繋がっていない。同じ一族で同じ日に生まれたのだ。和佳が生まれた時、あやかしの力があると知った一族は本家の養女に和佳を迎えた。
それほど一族にとってあやかしの力を持つことは重要であるし、貴重でもあるのだ。一族はその貴重な血を次世代に引き継ぐことを何よりも重視している。
和佳は由良の座っている座布団の隣にでんと座ると、そのまま後ろに倒れ込むようにして寝転んだ。
「いいなぁ由良は。婿を取れってプレッシャー、結構重たいのよ」
ため息を漏らしながら天井を仰ぎ見れば、電灯を点灯する紐がゆらゆらと揺れている。和佳は何ともなしにその紐を神通力でパシパシと叩いた。猫じゃらしに戯れる猫の若く。
「俺にあやかしの力があったら、元従兄弟のよしみで和佳を嫁さんにもらうんだがなぁ」
由良はケタケタ笑いながら、宙を舞う電灯の紐を手で押さえた。
「兄さん冗談でしょ」
和佳もつられてケタケタ笑う。
「冗談でもないさ」
由良は寝転んだ和佳の目元に手を置くと、そのまま額にキスを落とした。
和佳は飛び起きて由良を見る。
「俺、和佳のこと結構気に入ってんだ。義理とはいえ双子でなければよかったのにな」
「由良……」
和佳は黙って由良を見つめた。キスをされた額に手をやる。いつものこととはいえ、一体どういうつもりなのだろう。兄妹のじゃれ合いにしては行き過ぎなこの行動は。
すると由良は和佳の頭をくしゃくしゃと撫で、
「なあんてな」
ニカッと笑って茶化した。
「何て顔してんだ。俺はこれでも本気なんだぞ」
由良は和佳の背中を軽く叩くと、立ち上がって部屋を出ていった。
由良は時々冗談か本気か分からないことを言う。この兄は小さな頃から和佳を甘やかし溺愛してきた。和佳が婿を取るなら自分がその相手になりたいと言い出したのも今回が初めてではない。その度にどんな態度をとったものか、和佳は困ってしまうのだった。
美術部のスケッチをしながら、そんな出来事を思い出しハッとする。
剣人が試合をするらしい。
和佳はスケッチと称して室外活動である剣道部の観察を許可されている。実際は剣人を見に来るためであったが、当然そのことは内緒だ。制作は至って真面目にこなしているのだから許されよう。
竹刀のぶつかる音がそこかしこで響く。
剣人は先輩と対戦しており、接戦のようだ。相手の虚を突こうとお互いにせめぎ合っている。
体育館は秋の寒さに負けず熱気がこもっていた。面! 胴! と叫ぶ声が館内に響く。剣人はまだ決着がつかないらしく、竹刀を握る手に力が入っている。
「剣人君がんばれ!」
思わずスケッチの手を止めて応援すれば、対戦相手のファンであるらしき女性部員に睨みつけられた。どうやら対戦相手は実力派で人気者の三年、佐藤直也であるようだ。
直也は守りから攻めに転じたらしく、剣人を容赦なく突いてくる。剣人も巧みに避けているので負けてはいないが、そろそろスタミナ切れのようだ。胴を一本取られて、試合は終了した。
「剣人君、ドンマイ!」
和佳が叫ぶ。
「和佳! 情けないところを見られちまったな」
面を外した剣人が照れくさそうに和佳に手を振る。
和佳は胸がいっぱいだった。負けてしまったとはいえ、剣人の勇姿をこの目に焼き付けられたのだ。
「ううん。かっこ良かったよ!」
和佳は満面の笑みで手を振り返した。その言葉に剣人は照れながらも満足したようで、頬を染めながら
「俺、まだ練習があるから」
と言って仲間達の方へ駆けて行った。
和佳が悦びに浸ってヘラヘラする。顔がにやけてしまう。そうだ、剣人君の今日の勇姿を日記に記そう。そんなことを考えた。
「危ない!」
突然、部員が叫んだ。ヒュンと音がして、和歌の方角に竹刀が飛んてくる。練習の最中、手を滑らせたらしい。
ぶつかるーー! 思わず目を瞑る。だが、竹刀はぶつからなかった。狼に変化した佐藤直也が竹刀に飛びつき、口に加えて止めてくれたのだ。わぁっと歓声が上がる。
「危なかったな。怪我はないか?」
竹刀を床に置くと狼の直也が和佳に声をかける。
「はい。危ないところをありがとうございます」
和佳は丁寧に頭を下げた。
「佐藤先輩、あやかしだったんですね。しかも狼の」
大きくて強そうな狼である。体長は1メートル半はあろうか。
「ああ。あまり公にはしていなかったが、隠すことでもあるまい。怪我がないなら何よりだ」
直也は尻尾で和佳の横腹を撫でると竹刀を咥え直し、手を滑らせた部員の方へ歩いていった。
「大丈夫だったか?」
剣人が駆け寄ってきて、心配そうに顔を覗き込む。
「うん。竹刀は当たらなかったし。先輩がキャッチしてくれたから」
「そうか」
剣人はほっとすると同時に、微妙な表情をした。
「やっぱり和佳も佐藤先輩みたくあやかしの方がカッコイイと思うか……?」
「え?」
どういう意味だろう? 剣人の言葉を飲み込めずにいると、
「ちょっと美術部員の斉藤さん? 直也先輩に助けられたからって言い気にならないでね」
剣道部のマネージャーに睨まれた。
「はあ、すみません」
やっかみだろう。和佳はさして気にしないことにした。それよりも剣人の言葉の方が気になった。何か誤解されているのなら解かねばならない。
「私はあやかしでなくても一生懸命な人はカッコイイと思うよ」
剣人君のことだけど、とは言えなかったが、和佳は笑顔で答えた。
「そっか」
剣人の表情がみるみる明るくなる。
「俺、まだ試合があるから行くな。和佳もスケッチ頑張って」
ありがとうとお礼を言うと、剣人は部活に戻った。
和佳は竹刀を振る剣人のデッサンに力を入れた。
気が進まないお見合いの日は否応なくやってきた。
堅苦しいのは抜きでという先方の意向もあって、正装までは装わなかったものの、それなりにオシャレをさせられた。今日は念入りに化粧も施された。
会場は先方の家だった。ずいぶん立派な日本家屋だ。庭があり、中央に広い池がある。
獅子落としの音を聞きながら案内された部屋に通される。室内は畳の上に絨毯が敷かれ、その上に洋風のソファーやテーブルが並べられていた。一言で言って洒落ている。
着席を促され、遠慮しておじじ様と一緒に下座に座って待っていると、程なくして主人がやってきた。
「初めまして。この家の当主の佐藤薫です。もうすぐ息子が参りますのでしばらくお待ちください」
佐藤と名乗った中年は、この部屋に似合いそうなロマンスグレーの髪の上品な男性だった。
お見合い相手を待つ間、両家はあやかしの一族についての話題で盛り上がった。
「昨今はあやかし自体の数がめっきり減ってきておりますな。昔は兄弟全員があやかしという家庭も珍しくはなかった」
おじじ様と佐藤は和気あいあいとしている。そこへお見合い相手が申し訳無さそうに静かに襖を引いて部屋に入ってきた。
「遅くなり申し訳ありません」
「先輩!?」
和佳は思わず声を上げた。そこにいたのはこの間助けてもらった佐藤直也だったからだ。
「ああ、斉藤。どうした、そんなに驚いて。お見合いの相手が僕だと知らなかったのか?」
直也は大きく笑うと、和佳の前の席に上品に座った。
このお見合いに興味のなかった和佳は、相手のことを知ろうとすらしていなかったのだ。
「あ、えと、先輩。先日はお世話になりました」
「おや、二人は既に面識があるのかい?」
直也の父は嬉しそうに聞いてきた。
「学校でちょっと。な、斉藤」
和佳に向かって意味ありげに微笑む。
「それなら若い者同士で話をするといい。我々は席を外すから」
そう言うと、直也の父はおじじ様を連れて別の部屋へと下がってしまった。
二人きりになると、何を話して良いのか分からず、和佳は黙って下を向いてしまった。
「斉藤、おまえ、このお見合い承知してないだろ?」
直也が突然そんなことを言い出す。
「どうしてそう思うんですか」
顔を上げて和佳は率直に聞いてみる。
「うん。僕に興味がないっていう態度も新鮮で面白いんだが、見合い相手の情報くらい、事前にチェックしてくるもんだろ? それすらしてないってことは、承知してないってことかな、と」
「すみません」
「謝らなくてもいいさ。何か事情でもあるのか?」
和佳は婚約者探しを隠れ蓑に本命に近づこうと画策していることを話すべきか悩んだ。ともすれば直也に対して失礼な話になってしまうからだ。だが、直也の目は聞きたがっていた。
この人になら、本当のことを話しても気分を害したり怒ったりしないのではいだろう。和佳はそう判断して思い切って事情を説明することにした。
「ふうん。なるほど。つまり好きな男があやかしでないからそんなことをしているんだね」
「……はい」
「なあ。僕に提案があるんだが、ひとつ、聞いてくれるか?」
「ええ?」
直也の提案は、お互いに体裁だけ婚約者になろう、と言うものだった。
「あやかしに生まれた以上、婚約者を定めなければ周りがうるさい。だが我々はそんなものに縛られたくない。それならば仮の婚約者として体裁だけ整えればいいだろう? 君は好きなだけ本命の男を追いかけていい」
「直也先輩にも他に好きな女性がいらっしゃるんですか?」
興味本位で聞いてみると
「それは内緒。僕の方にもそうしたい事情があるのは事実だけどね」
直也は唇に人差し指を当ててしーっとウインクを飛ばす。お茶目な人だ。
「どうだろう? お互いに悪い話ではないと思うんだけど」
けれど和佳は断った。というのも、いくらフリとはいえ婚約者を正式に持ってしまうと、他に好きな人を作るのが困難になるだろうと考えたからだ。
剣人が和佳に婚約者ができたと知ったらどう思うだろうか? どうも思われない可能性もあるが、万が一にも脈がある場合、剣人はいい気はしないだろう。
そもそも相手が悪い。何せ学校でも屈指の人気を誇るあの佐藤直也だ。この人の婚約者になったと聞いた女子生徒からどんな嫌がらせをされるかと考えただけで気が重い。
そんなことを慮ると、こんなに良い提案にも乗れないのだ。和佳は生真面目だった。
「ごめんなさい。せっかく提案していただいたんですが、私には難しいです」
「……そうか。残念だけど仕方ない」
直也は目を伏せて考え事をするように黙りこくったが、気を取り直したのか顔を上げてにこりと笑った。
「でも僕は君が気に入った。これからも仲良くしてもらえるかな?」
「もちろんです」
直也があっさりと引いてくれたので和佳は拍子抜けしたが、安心もした。
帰り道はおじじ様に散々叱られた。
「こんな良い話を断るとは何事か! またとない機会なんだぞ」
タクシーの中で小言を聞き流しながら、和佳は剣人のことを考えた。
もしもお見合いの相手が剣人だったら二つ返事で承諾しただろう。どうして自分はあやかしに生まれてしまったのか。普通の人間に生まれていたら、障害なく剣人と恋愛できたのだろうか。
そこまで考えて、和佳は涙が出てきた。自分も普通の高校生として青春を謳歌したかった。
和佳の様子に気づいたおじじ様はきつく叱りすぎたのかと勘違いして口をつぐんだ。
「わしも言いすぎた。まあ、おまえは婚約者を自分で探すと言うておるし、見つかればそれでよい」
最後にはそんなことを付け加えた。
「和佳、佐藤先輩とお見合いしたって本当?」
翌日、学校に出て行くと、いの一番に咲希に聞かれた言葉だ。
どこから噂が流れたのか、校内は和佳と直也がお見合いをしたという話でもちきりだった。和佳はたじろいだ。
「ほ、本当だけど、ちゃんと断ったよ……」
その言葉に直也のファンは憤った。やれ身の程知らずだの、分不相応だの揶揄される。面倒臭いが、和佳は放っておくことにした。
「だってあの人たちは断っても受け入れても、文句を言うでしょう?」
和佳は机に頬杖を突いて不貞腐れる。
和佳の様子を気にした剣人が声をかけようと近づいたその時。
「斉藤さん、佐藤先輩が呼んでる」
直也が二年の和佳のクラスにやってきた。
「あの、先輩、すみません。なぜお見合いしたことがバレちゃっているのか、私には訳が分からないですが……」
「気にしなくていい。それは僕が話したことなんだ。昨日は断られちゃったけど、今日はきちんと気持ちを伝えようと思って来たんだ」
「はい……?」
「婚約のことは今は考えなくてもいい。僕と付き合ってくれないか? これは正式な交際の申し込みなんだ」
クラスは騒然とした。特に先ほど和佳に文句を言っていた女子生徒達は金切り声を上げる。
「返事は急がないよ。昨日の今日で振られたくはないからね」
直也はそう言うと、柔らかく微笑み、和佳の頬にキスをして自分の教室に帰って行った。教室のざわめきは一層大きくなった。ほとんどの女子生徒を敵に回してしまうことになった和佳は、ため息を吐いた。
自分の教室へ戻りながら、直也は考えた。
なんとしてもあやかしの花嫁が欲しい。そのためには和佳を懐柔する必要がある。
直也はあやかしの一族を手に入れたかった。和佳の一族に婿入りすることで、一族を乗っ取りたいと考えた。
直也にとって和佳は乗っ取りの手段でしかない。愛する相手でも恋しい相手でもなかった。自分の野望を実現するために必要な駒に過ぎなかった。
あの駒は好きな男がいると言っていた。ではその男を差し置いて自分が駒を落とすにはどう動けばいいか。女子高生が憧れる白馬の王子様を演じるか? 優しい言葉をかけて自分に熱中させようか?
直也は頭の中で念入りに計算した。表面の柔和さとは裏腹に、直也は腹黒くも和佳を手に入れるための計画を立てることにした。
「なあ和佳、いつの間に佐藤先輩と仲良くなったんだ?」
剣人が呆然とする和佳に声をかける。
「え? あ、えっと。うちのおじじ様が勝手に持ってきた婚約話を断りに行ったら、相手が先輩だったのよ」
和佳はしどろもどろになりながら答える。剣人にだけは誤解されたくない。
「ふうん……。家の事情なら仕方ないけど、先輩は和佳のことが気に入ったみたいだな」
和佳から視線を逸らし、窓の外を眺めながら剣人は言った。何故か不機嫌そうだった。
「和佳は気が乗らないかもしれないけど、あやかし同士、お似合いじゃないのか?」
剣人はそんなことまで言った。
「私、佐藤先輩には悪いけれど、他に好きな人がいるから受ける気はないわ」
和佳はうっかりそんなことを漏らしてしまった。婚約者探しをしているはずの身だというのに。
剣人は虚をつかれた表情をしたが、
「そうか」
とだけ言って自分の席に戻って行った。
覇気のない剣人の様子を見送りながら、和佳はあやかし同士お似合いだと言われた剣人の言葉に落ち込んだ。
気が重いまま家に帰ると、由良が血相を変えて和佳に迫ってきた。
「佐藤直也に告られたって本当か!?」
和佳の両肩を掴んで揺する。由良とは学校が違うのだが、何故こんなに情報が早く回るのだろうか。
「俺の友達が和佳と同じクラスなんだよ」
由良はそんなことを言った。
「それで、和佳は佐藤の申し出を受ける気なのか!?」
和佳は疲れてしまった。
二人の男に言い寄られるものの、本命とは全くうまくいかない。
「由良兄、ほっといてよ、もう……」
いつになくぞんざいに兄を扱う和佳に、由良はショックで固まってしまった。
「放っておけるかよ! 佐藤直也については良くない噂があるんだよ」
由良は本気で和佳のことを心配している。
「良くない噂?」
気になって問い返す。
「佐藤はあやかしとはいえ、普通の家庭に生まれた突然変異なんだ。だから我々の家のようなあやかし一族ではない。それに劣等感を抱く佐藤はあやかし一族の乗っ取りを考えているという噂だ」
「それはあくまで噂でしょう? 先輩がそんなことを考えているとは思えない」
和佳が頭を振る。
「そりゃあ、そんな話は自分から堂々としたりしないさ」
由良はそれでも自分の意見を覆さなかった。
「俺は心配なんだ。和佳が傷つけられるんじゃないかって」
和佳の手を取り、強く握る。
由良が真剣な目をするものだから、和佳はその手を振り解けなかった。
「由良……」
和佳は由良の手を握り返して言った。
「ありがとう。そもそも私は先輩の申し出を受ける気はないし、由良が心配するようなことにはならないわ。だから安心して」
由良は和佳の目を覗き込むと、
「それならいいんだ」
ほっとした顔をする。
「俺は和佳が大事だ。何があっても俺が守る」
由良は決心を伝えるように和佳を抱きしめた。
自分の部屋のベッドに寝転がると、和佳は直也と由良の二人の男のことを考えた。
どうしてあの二人はこうも熱心なのだろう? 自分にそれほどの価値があると和佳は自信が持てなかった。それでも素直に告白をする男達に和佳は感心した。自分には真似できそうにない。
ーー剣人君。
願わくば、自分に熱い思いを打ち明けてくれるのが剣人であればいい。
だが、今日の剣人の言葉を思い出し、和佳は再び落ち込んだ。あやかし同士お似合いだなんて、本気で考えているのだろうか。もしそうだとしたらこれ以上に悲しいことはない。
それにしても自分は剣人が好きなのだと何故伝えられないのだろう? 断られるのが怖いから?
……もし断られたら?
……断られたら。
和佳はそれが怖かった。断られたら、この恋心にどのように決着をつければよいのだろう? 想像もつかない。
自分の気持ちを伝える勇気が持てない和佳にとって、婚約者探しという宙ぶらりの状態は自分自身に言い訳をするのに都合が良かった。
狐の耳を弄びながら、和佳は物思いに耽った。いつか剣人に告白しなければならない。そうでなければ、前途多難なこの恋は前進しなそうにない。
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