第5話 燃え盛る血統
毒殺未遂の疑惑を抱えつつも、なんとか日常を取り戻している俺――若とアーテル=グラキエスの二人三脚生活は相変わらず落ち着かない。今日は第二夫人ルブラと会うことになると聞き、脳内でアーテルと話をしながら重い足取りで館内を歩いていた。
(ルブラは裕福な子爵家の出身で、金に糸目をつけない実利主義者だ。気を引き締めておけ)
アーテルの声が落ち着いたトーンで脳内に響く。先日、第一夫人フルームや長男フラウスとやり取りしたばかりだというのに、辺境伯家は夫人も子供たちも、実に個性が強い。しかも、継承権をめぐって各自が暗躍している可能性があるから気が抜けない。
***
赤い髪を揺らしながら、上質なレースがあしらわれたドレスをまとっているのが第二夫人ルブラだ。出自は裕福な子爵家で、第一夫人フルームが「伯爵家の格式」という形で貴族然とした高慢さを体現しているなら、こちらは「実利を求める商人的嗅覚」が強そうな印象を与える。
「まあ、アーテル。ご機嫌はいかが? 体調は回復したそうで何よりだわ」
口調こそ優雅だが、俺たちを見下すような雰囲気は隠せない。ちらりとこちらの装いを値踏みするような視線が動くのを感じる。彼女の脳内には、継承権と金勘定が同列で並んでいるのだろう。
「ええ、おかげさまで動ける程度には回復しました。ご心配ありがとうございます」
当たり障りのない返答をすると、ルブラは小さく笑いながら椅子を勧める。「どうぞおかけになって」と囁かれ、控えめに腰を下ろした。向かいの席では、彼女の赤い髪がまるで炎のように揺れ、その瞳には試すような光が宿っている。
「あなたの母方、ルーナエ家だったかしら? 聞くところによると宮廷貴族とはいえ、倹約と節制を美徳としているそうね。辺境伯家の三男という立場も心許ないし、将来のことを考えたら、私のところへ顔を出してくれるのが無難かもね?」
話題の切り出し方があからさますぎる。俺は脳内で「ずいぶん直球やな」と思わず呟きそうになるが、アーテルが冷静に返答するよう促してきた。
「ご懸念には及びません。母の実家、ルーナエ家のささやかな営みも、かえって慎ましやかな趣を添えるものと心得ております」
(金に物を言わせて取り込むつもりだ。気を許すなよ、若)
脳内でアーテルが囁き、俺も「せやな……」と同意する。母の実家は貧乏宮廷貴族として有名らしいからこそ、ルブラは「資金援助」という甘い誘惑をちらつかせてくるのだろう。
「もしこちらについてくれたら、あなたの悩みは幾分か解消されると思わない? 何しろ私の実家は子爵家とはいえ、王国でも有数の貿易港を有しているわ。このグラキエス家にとっても、いろいろと融通が利くものよ」
後継者争いは第一夫人フルームの独壇場というわけではない。ルブラはルブラで、自分の子である次男ティグリスを押し上げようと考えているはずだ。彼女がどう動くかはまだわからないが、仕方なく俺は軽く頭を下げるに留め、すぐに返事はせず保留することにした。
「すみません、少し考えさせていただきます。お爺様の意向も確認する必要がありますので」
「そう。まあ急かすつもりはないわ。でも、このチャンスを逃さないほうが身のためよ。あなたもいずれわかるはず」
俺が曖昧に返事を濁すと、ルブラはあっさり笑って流した。あくまで継承権争いを匂わせる程度で、「私に従いなさい」とは言わないのが厄介だ。どこまで本気で味方になるのか、確証がないまま話が終わるのは困りものだ。
***
ルブラとの会話を終えて外へ出ると、中庭から威勢のいい声がこだましていた。覗いてみると、そこにはルブラの息子――次男ティグリスの姿がある。この家の兄弟の中ではずいぶん大柄で威圧的にさえ見えるが、アーテルの話によれば、竹を割ったような性格で謀には向かないらしい。炎のような赤い髪を母親から受け継ぎ、陽気な雰囲気が際立っている。
「おう、アーテル! 久しぶりじゃないか。大丈夫なのか? 倒れたって聞いてたが、もう動けるようになったのかよ?」
大雑把だが憎めない態度。ティグリスの鷹揚さを目の当たりにすると、何となく警戒が緩みそうになるが、そこにつけ込まれて利用される可能性も否定できない。とりあえず頭を下げて挨拶をする。
「ティグリス兄上こそ、お元気そうで何よりです。もうこんなに汗をかいて……何をしていたんです?」
「剣の稽古さ! 俺は体を動かすのが性に合っててな。兄上のように魔法で頭を使うのは苦手なんだよ」
ティグリスは爽やかな笑みを浮かべ、手にしていた木剣をこちらに向ける。まるで対戦相手を探しているかのようだ。実際、その推測は間違っておらず、彼は口の端を上げて言葉を続ける。
「なあ、せっかくだからちょっと手合わせしないか? お前も剣術は教わっていたよな? いや、もしかして兄上の影響で魔法ばっかりやってたか?」
「まあ、どちらかというと魔法の方が得意なんですけど……」
正直、病み上がりで模擬戦は勘弁してほしいが、ティグリスの瞳がキラキラ輝いているのを見ると断りづらい。兄弟仲を険悪にするのは得策じゃないし、犯人が誰かもわからない以上、むやみに敵を増やすのは避けたい。
(気乗りしないかもしれないが、ティグリス兄上は純粋に剣を試したいだけかもしれない。断ると却って怪しまれる)
アーテルの声にも押され、俺はしぶしぶ「軽くでお願いします」と答えた。するとティグリスは「よっしゃあ!」と大声ではしゃいで、木剣をもう一本差し出してくる。
前世を思い返してもたいして武術の経験があるわけではない。精々、授業で剣道を嗜んだ程度だ。先日の魔法戦で懲りたはずなのに、今度は剣かよ……と内心ぼやきたい気持ちを抑えて構える。
「いくぞ、アーテル!」
ティグリスが木剣を構えて突進してくる。その剣筋は豪快で力強いスイングが特徴だ。今の俺は病み上がりで腕力も自信がないため、正面から受け止めるのは危険だ。軽くいなすか、回避に徹する方が良さそうだ。
(若、踏み込みが浅いところを狙ってみろ。ティグリス兄上は勢い任せの面がある)
脳内のアーテルがアドバイスをくれる。なるほど、勢いで突っ込んでくる相手は懐が甘くなりがちだ。その通り、相手の剣をギリギリでかわし、カウンターを狙う。が、意外にもティグリスは軽快に体勢を立て直してきて、まったく侮れない。
「おお、やるじゃないか。結構動けるみたいだな!」
ぽんと軽く剣で押さえられ、こちらは押し返し損ねる。一瞬、バランスを崩して踏みとどまると、ティグリスは笑みを浮かべ、再び間合いを取りつつ構え直した。
「そうそう、その調子で来いよ。お前、体調を崩してヤバい状態だと聞いてたから心配してたけど、全然大丈夫そうじゃねえか。やっぱりグラキエス家の血は伊達じゃないな!」
この兄貴は悪意というより、純粋に戦いを楽しんでいるだけのようだ。長男フラウスとは違い、真正面から情熱をぶつけてくるタイプなので気は楽だが、その分、体力を奪われるのも早い。
(息が上がる前に終わらせよう。短期決戦しか勝ち目はないぞ)
――簡単に言わんといてや、アーテル。交代してくれてもええんやで!
(僕が勝てるわけがない。以前、手合わせしたときも散々な結果だったからね)
役に立たない記憶を共有したアーテルに「後で覚えていろよ」とぼやきつつ、勝ち筋を探る。ティグリスの剣は重い。受けたところで押し込まれて反撃も遅くなる。かといってこちらから仕掛けたところで相手の守りを崩せるような力も技もない。
攻め手を考えている内に次の攻撃が繰り出され、思わず体が動いた。慣れ親しんだ剣道の型だ。相手の剣筋に逆らわず、相手の剣を木剣の腹で滑らせつつ前に出た。そのままの勢いで振り抜こうとした木剣は、ティグリスが素早く引き戻した木剣で押し戻される。大きく態勢を崩した俺がたたらを踏んだところで、ティグリスは「ふう」と大きく息をつき、剣を下ろした。
「ははっ、いい汗かいたな! やっぱり剣を交えると気分がスカッとする。お前も魔法だけじゃなく、剣術もなかなかやるじゃないか」
ティグリスは真っ赤な髪を後ろでまとめながら、にこやかに笑う。その目は素直に楽しんでいるようで、少なくとも偽りのない感情を感じる。俺が木剣を返すと、彼は軽く肩を回しながら続けた。
「まあ、俺は剣を振って家を守るってのが性に合ってるんだ。領地を治めるような器用な真似はできないしな。兄上は凄いよ。病弱だけど魔法の才能があって知識も深い。……グラキエス家は兄上が継げばいいと思ってる」
どうやらフラウスを尊敬しているのは本当らしい。無欲であれば継承権争いにも参戦しないのかもしれないが、アーテルが脳内で「油断は禁物だ」と念を押してくる。
「ティグリス兄上は辺境伯家を継ぐ気はないんですか?」
「ああ、全然ないな。父上が砦から戻ってきたら俺も出陣して魔族を倒したいし、それが家のためにもなるだろう。兄上は兄上で頭で支えてくれりゃいい。お前も……まあ、好きにしろや」
そう言って、ティグリスはさっぱりした笑顔を浮かべ、さっと歩き去る。「またな!」と手を振る姿は気持ちのいい青年に見える。第二夫人ルブラの実利主義とはまるで正反対だ。
(どうもティグリス兄上は野心がなさそうだが……やはり母親のルブラがどう動くか次第だな)
――ルブラが自分の野心のためにティグリスを駒に使うかもしれへんし、まだ油断できへんわな。
そう脳内でつぶやき、俺は少しばかり疲れた体を引きずりながら館内へ戻る。毒殺未遂の真相もわからぬまま、次々と厄介な話が持ち上がる辺境伯家の日常は、まだまだ波乱だらけだ。
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