柴怪 ~柴犬が語る怪談~
岡本七緒
怪異は締切の夜に 前編
怪談【かい―だん】
不思議な話。あやしい話。気味が悪く、恐ろしい話。特に、化け物、幽霊などの話。
(精選版 日本国語大辞典)
僕の飼い主は、オカルトと柴犬を吸って生きています。
そう犬仲間に話すと妖怪の類と勘違いされがちですが、れっきとした人間です。
ひょろりと痩せた細長い体に、長毛種の猫のようなボサボサの頭。
青白い顔に黒ぶち眼鏡をのせて、どこか気の抜けた表情をした二十七歳のオスです。
七つ下の妹のマユと一緒に、祖母から借りた古い一軒家で暮らしています。
マユ曰く、飼い主は三度の飯よりオカルトが好きなのだそうです。
UMAから都市伝説、中でも興味があるのは「心霊」。
子どもの頃からテレビやラジオの心霊番組を欠かさずチェックし、怪しげなタイトルの本や雑誌を喜々として買い漁り、運転免許を取ってからは休日のたび、同好の士と心霊スポットに意気揚々と出向いては、家族に嫌な顔をされています。
我が家の本棚には、オカルト関連の本が山積みです。
そんな趣味が高じ、飼い主は本業のかたわら、兼業作家としてホラー小説を書いています。
近ごろは某大手動画サイトにはまっているらしく、暇さえあれば、食事中だろうと就寝前だろうと「すまほ」で怖い動画を視聴しています。
お行儀が悪いと家族に叱られても、言うことを聞きません。
さらに飼い主はホラー愛好者でありながら、人一倍怖がりな性格のため、その手のものを一人では鑑賞できません。
友人を誘ったり、ファミレスやカフェなど人がいる場所で楽しんだり、とにかく同じ空間一緒にいる誰かを必要とするのです。
誰もいない時は、僕にお
恐怖が一定値を超えると、飼い主はばくばくと鳴る胸を押さえながら、僕の後頭部や頬、背中を吸って、心を落ち着かせようとするのです。
毛が湿って不快なことこの上ありませんが、仕方がありません。
これからお話しするのは、そんな飼い主が「しめきり」に追われて「げんこう」を書いていた時に起きた、恐ろしくも少し自業自得な出来事です。
* * *
その日はお盆休みが差し迫った、八月の中頃でした。
夜になっても外は涼しくならず、なかなか蝉の声が鳴り止まなかったのを覚えています。
僕たちが住んでいるのは、山あいの小さな田舎町。
冬の冷え込みは厳しくも、夏は避暑地と言われる土地です。
町の四方をぐるりと囲む山々が熱気と湿気を吸ってくれるため、都心部より格段に涼しいのです。
日が沈めば気温は下がり、夜十時を回る頃には、兄妹はどちらからともなくエアコンを切ってしまいます。
ですがその日は普段より蒸し暑く、過ごしにくい一日でした。
湿気を帯びた生ぬるい空気が充満して、冷房が効いた部屋を出ると、ぺたりと被毛が湿ってしまうような。そんな夜でした。
飼い主はいつものように夕方、仕事から帰ってきました。
夕食もそこそこに、ササミジャーキーで僕をおびき寄せると、すばやく捕獲します。
体重8キロにも満たない小柄な僕は、あっさりと抱えられてしまいます。
何か憂鬱なのでしょうか。
僕の後頭部に顔を埋めては、ため息をつくという迷惑行為を繰り返します。
そんな飼い主を、台所でお皿を洗っていたマユがじろりと睨みました。
「フブキ、寝る時はちゃんとゲージに戻しといてよ」
「はいはい」
生返事をすると、飼い主は僕を小脇に抱え、階段をのぼります。
そうして二階の一番奥にある小さな書斎……飼い主の仕事部屋に連行されました。
何故、飼い犬である僕を、仕事部屋に連れてくるのか。
それは飼い主が一人でホラー小説を書けないという、ホラー小説家としてあまりに致命的な弱点を抱えているためです。
この家で暮らし始めた頃、飼い主は一階の僕のケージが置かれているリビングで作業をしていました。
しかし隣屋で寝ているマユから「きーぼーど」の音や独り言がうるさいと苦情が入ったため、やむなく作業部屋を二階に移し、僕を連れてくるようになったのです。
「そんなに怖いなら、わざわざホラー書かなきゃいいじゃん」
と呆れる妹に、飼い主は
「怖くなきゃ、面白くないだろ」
と、よく分からない返しをします。
僕たち犬が「おすわり」や「お手」という号令に逆らえないように、きっと飼い主も本能的なレベルで、怖いものへの興味や執着から逃れられないのかもしれません。
飼い主が「しっぴつ」をしている間、僕は部屋でごろごろしています。
退屈ですが、彼が作業している間は、ベタベタされないぶん居心地は良いと言えるでしょう。
最初は煩わしい「きーぼーど」の音も、慣れればどうということはありません。
飼い主はいつものように座布団の上に僕をおろすと、壁際の小さな座卓の前に座り、小さな黒いイヤホンを両耳にはめました。
さっそく動画をBGMに、パソコンで「げんこう」を始めます。
音で気が散らないのかと僕は思うのですが、飼い主はラジオや動画を流し聞きしながら作業した方が捗るのだとか。
ホラー動画……ネットに流布する都市伝説や怪異譚、小泉八雲や岡本綺堂など著作権の切れた昔の怪異譚などを、人間や人工音声が朗読する動画を、ひっきりなしに流します。
どうやら「しめきり」が差し迫っているようです。
猫のように丸めた背中から、そこはかとなく焦りと緊迫感がただよってきます。
僕は部屋の隅の座布団に横たわると、小さな文机に置かれた「ぱそこん」の画面に向かう飼い主の背中を、ぼんやりと眺めました。
時々退屈まぎれに、飼い主の膝に乗ってみますが、ろくに撫でもせず降ろされてしまいます。
面白くなくて、僕がふすん、と鼻を鳴らしてみも、飼い主は気付きません。
ぱそこん、すまほ、まうす、きーぼーど。
げんこう、しっぴつ、しめきり。
奴らはいつも、僕と飼い主の時間を奪ってゆきます。
それにしても冷房の効いた部屋は充分涼しいはずなのに、ぬぐいがたい不快感を感じる夜でした。
熱帯夜とは、少し違う気がします。
気温が高いというよりは、どろりと空気が重く、生暖かく湿って、かすかに嫌な匂いがするのです。
冷房の風も手伝って、やけに喉が渇き、僕は何度も水を飲みます。
マユも寝苦しかったのか、珍しくエアコンをつけたまま眠ってしまったようです。
階下からも、室外機の音が聞こえてきます。
窓の外で響く室外機と蝉の声、山から響く鹿の鳴き声。
そして「いやほん」から漏れ聞こえる、動画の淡々とした朗読の声、カタカタと「きーぼーど」を叩く規則的な音。
すっかり馴染んだ生活音たちに眠気を誘われ、僕が寝落ちするまで、さほど時間は経ちませんでした。
僕が寝ている間も、飼い主は動画をBGMに「しっぴつ」を続け――
どれほどの時間が経った頃でしょうか。
『……が降りてくる』
ふと耳元で響いた声に、僕はハッと目を覚ましました。
今のは、誰の声だったのでしょうか。
飼い主やマユの声ではありません。
けれど、どこか聞き覚えのあるような、ないような――なにか短い夢を見ていたような気もしますが、うまく思い出せませんでした。
顔を上げれば、飼い主のぼさぼさ頭が、うつらうつらと揺れています。
抗いがたい眠気に見舞われているのでしょう。
無理もありません。昨夜も仕事から帰ってきたら、日付が変わるまで作業していたのです。
僕は二度寝しようと、座布団の上で体をドーナツ状に丸めた、その時。
不意に湿った土と、嗅いだことのないにおいが、鼻先をかすめたのです。
『うぅぅ……』
同時にうなり声のような、低く喉を鳴らすような音が聞こえ、僕は耳をぴんと立てました。
立ち上がり、きょろきょろと室内を見回しますが、部屋には飼い主しかいません。
動画の音だったのでしょうか。
怪談を朗読する動画では、よくストーリーに合わせてBGMや効果音がつけられています。
先ほどの音もきっと、その手の音声だったのかもしれません。
けれど、先ほど一瞬だけ鼻をかすめた異臭は何だったか。
かすかに湿った土の香りに混じって、今まで嗅いだことのない、けれど覚えのあるようなにおいがしたのです。
記憶をたどっても思い出せず、そのもどかしさに僕は足元の畳をぞりぞりと舐めました。
すると飼い主が目を覚ましたのか、僕を振り返ります。
「ん?」
座布団の上に立つ僕に、少し不思議そうに首をかしげます。
しかし僕がじっと見つめ返すと、飼い主は気を取り直したようにエナジードリンクを一口飲み、「ぱそこん」に向き直りました。
その間も黒いイヤホンから、人の話し声が漏れ聞こえてきます。
『G県にある私の実家の裏には、小さなお山がありました。一年中鬱蒼と木々が生い茂っていて、手入れの届いていない、暗く荒れた山でした』
中低音で少しかすれた、年配の女性の声でした。
『禁足地、というのでしょうか。立入禁止の立て札があって、地域の人は山に入りませんでした。私も子供心に怖くて、やんちゃな子たちでさえ近付かなかったと思います。けれど年に、一度だけ……』
落ち着いた声がなだらかに、語り部の女性の身に起きた怪異を語りはじめました。
『毎年八月に、お盆が来る前に一度だけ、大人たちがお山に入る習慣があったのです。猟友会に入っていた私の父も、その一員でした』
山――僕は何気なく、頭上の出窓を見上げました。
飼い主がカーテンを閉め忘れているため、窓の外の暗がりの中に、小高くそびえる裏山がうっすらと見えます。
『父に何度か、山で何をしているか聞いたことが聞いたことがあります。私が幼かった頃は、決して教えてくれなかったのですが……嫁入り前にぽつりと、父が少しだけ話してくれたんです』
そこから、女性は父親との会話を語りました。
『あのお山には、お供えを捧げに行ってるんだ。野菜とか、猪とか鹿の干し肉とか、するめとか、あとは酒と米か。けっこうな荷物になるから、神主さんと一緒に、猟友会のもんが持ち回りで行くんだよ』
『お供えってことは、山の神様に?』
父親はわずかな間を開けて
『まあ、そうだな』
と答えたそうです。
『でも暑い中、大変じゃない。もしお供えをしなかったら、どうなるの?』
『……供え物がなかったら、降りてくる』
『降りてくる? 神様が?』
『そうだ。山から里に¡∈ⅰ∮*#が降りてくるんだ』
父親が何と言ったのか上手く聞き取れず、僕が再び耳を立てた、その時。
ピシッと、硬いものにヒビが入るような音が空気を震わせました。
家鳴りというには、少し大きな音です。
飼い主も怪訝そうに、右耳から「いやほん」を外しました。
すると今まで煌々と光っていた「ぱそこん」の画面が、急に真っ黒になったのです。
「は? ちょっ、待って」
飼い主が素っ頓狂な声をあげた、次の瞬間、僕の視界は黒一色に覆われました。
「うわ。このタイミングで停電とか、勘弁してくれよ」
どうやら部屋の照明が落ちたようです。
真っ暗な中で耳を澄ませば、エアコンの音が聞こえません。
すぐ闇に目が慣れ、飼い主があわあわと、手探りで「すまほ」を探す様子がうっすらと見えました。
充電中の「すまほ」を掴み、飼い主が立ち上がった、次の瞬間。
バンッ、と鈍く湿った音が、背後で鳴り響きました。
僕と飼い主はそろって、音がした方を振り返ります。
そこにあるのは、ベランダに通じる掃き出し窓。
壁を大きく切り取った窓の真ん中に、忽然と、白く小さな何かが浮かび上がりました。
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