【短編】シロを天国に送るには【全2回】
山本倫木
前編
母さんが言うには、シロはボクの事を自分の子供だと思っているらしい。
シロは、ボクが生まれる前に母さんがウチに連れてきた、真っ白の雌の日本スピッツだ。父さんよりも付き合いが長いそうで、父さんは母さんに押し切られてシロを迎えたって聞いたことがある。でも、最初はどうだったかは知らないけれど、今の父さんがシロを可愛がっているのは間違いない。父さんがしょっちゅう丁寧にブラシをかけるものだから、純白の毛色も相まってシロはいつも歩く綿菓子になっていた。
生まれたばかりのボクが家にやって来た日、当初、シロはベビーベッドに寝ている謎の闖入者を警戒したって聞いた。でも、父さんも母さんも甲斐甲斐しく世話をしているものだから、すぐにこの騒々しい生き物は新しい家族だと判ったらしい。次の日からは、シロも熱心にボクの世話を焼いてくれた。
ボクが赤ちゃんだった頃、シロはいつもそばに控えていて、ボクが泣きそうになると、すぐに父さんか母さんを呼びに行ったそうだ。ボクが這って動くようになると、シロは懸命に四足歩行の手本を見せてくれた、という話も母さんから聞いたことがある。ハイハイをするボクを見たシロは、この生き物はニンゲンというよりは自分に近い存在であると認識をしたらしい。そのためかボクが幼いころは、シロは隙あらば自分のゴハンをボクに分け与えようとしたので、母さんはボクが変なものを食べてしまわないよう、だいぶ気を使ったそうだ。
そんなボクも、やがて学校へ通うようになった。
ボクが学校に出かけるときは、シロはいつも恨めしそうなしゅんとした顔で見送った。母さんに言わせると、あれは連れて行ってもらえないことを拗ねていたらしい。でも、その反動もあるのか、帰ってきたときはいつも大喜びで出迎えてくれた。
ただいまというボクの声を聴くと、シロは何をおいても玄関まで駆け寄ってくる。そして、その勢いのままボクの周りをぐるぐると走り回るのだった。シロのこの習性のため、我が家は家じゅうに滑り止めのマットを敷き詰めていた。それからボクが外出先で出会ったものを確認するように熱心にボクの匂いを嗅いで、最後に差し出した手を熱心に舐める。ここまで5分のルーティーンが、シロのお帰りのアイサツだった。
シロの散歩は、我が家では毎日のちょっとしたイベントだった。散歩が大好きなシロは『サンポ』といいう言葉を覚えてしまい、この単語を聞くと大喜びして、散歩に行くまでずっと吠えながら跳ねまわるクセがあった。本当に散歩に行く時ならまだしも、ふとした会話で出てくる『サンポ』という単語に反応してしまうから、うっかり、
「もうすぐ夕ご飯出来るから、散歩はその後ね」
なんて言った日には、シロが騒いで夕食どころではなくなってしまう。母さんは、シロは利口だから人間の言葉が分かるのだと笑った。父さんは、シロはアホ可愛い、と笑った。
シロを可愛がっているボクの両親だけれど、流石に、『サンポ』という言葉を使うたび大騒ぎになるのは大変だったらしい。なので、我が家では『サンポ』という言葉を使いたいときは、『ヨンポ』と言い換える習わしがいつの間にか出来上がった。
「シロ、オミヤゲだよ」
ある日、ボクはシロに焼き芋の切れ端をあげてみた。ボクは学校に通うようになってからよく遊ぶ友人が出来た。中でもケンタとは、たまに連れ立って買い食いをしてから帰る友達になった。買い食いの内容は、たいていはアイスや駄菓子で、その場で食べてしまうオヤツだった。ただ、その日はふと思い立って、シロと分けられるモノを選んだのだった。
まだ温かさの残っている焼き芋を手に載せて差し出す。香ばしくて甘い香りに誘われたシロは珍しく、マテ、というボクの言葉を無視して一口に飲み込んだ。よほど美味しかったのだろう。シロは目を見開くと後ろ足で立ち上がって、もっとないのかと言うように前足でボクのおなかを叩いた。
「気に入ったんだね。また、買ってくるよ」
ボクはかがんで、シロのふわふわの首筋に顔をうずめて笑った。シロはボクに抱きしめられたまま、前足を空振りし続けていた。
その日は日曜日だった。起きたら窓の外が白くまぶしかった。量は大したことなかったけれど、シーズン最初の雪が朝の光を受けて白銀に輝やいていた。ボクは庭に続く大きな窓を開けた。冷たい風が心地よかった。
「シロ、雪だよ!」
家の中を振り返った。シロがストーブの前からのっそりと立ち上がる。そして、ブルブルと身震いをしてから庭へ降りていった。何か変だな、と思った。
シロは庭をぐるりと一回りすると、隅でオシッコをした。それから、まっすぐに戻ってくると、家に入ろうとした。シロは雪が大好きだ。いつもだったら、初雪の日は少なくとも1時間は走り回っているのに。ボクはシロを抱っこして庭の方を向かせると、行っておいで、と言っておしりを軽く叩いてあげた。だけど、シロはシッポを下げたまま2,3歩歩いただけで、やっぱりムリというように戻ってきた。
「どうしたの? もういいの?」
シロは返事の代わりにもう一度身震いをすると、ストーブの前に座り込んでしまった。絶対に何か変だ。ボクはお腹が冷えていくような気持ちになった。
ボクはすぐに母さんに伝えた。母さんも驚いて、急いで獣医に行くことになった。
診断はすぐについた。病名はつかなかった。ただ年を取りすぎただけです、というのが獣医の先生の言葉だった。母さんは、先生に向かって一瞬何か言おうとして、辞めた。実際に発したのは、そうですよね、という静かな言葉だった。
「去年の冬はすごく元気だったんだよ」
「そうよね。でも、誰しも年はとってしまうのよ。シロはもう、人間で言ったら90歳くらいよ。今までが特別に元気すぎただけ」
病院からの帰り道、ボクはシロを入れたかごを抱えて歩きながら、母さんとそんな話をした。
「また、元気になるよね?」
もちろんよ、という返事を期待したボクの問いかけだけれど、母さんは目を伏せて静かに頷いただけだった。
それからのシロは、寝ている時間が少しずつ長くなっていった。
ボクが帰った時、走って玄関まで出迎えに来ることはなくなって、歩いてくるようになった。夏を迎えるころには玄関に来ることも無くなり、居間に顔を出したボクを見てやっと立ち上がるようになった。真っ白でふわふわだった毛並みは、いつからか、薄茶色になって、ペシャンコになっていた。
シロは年を取ったんだな。
ボクは少しずつ変わっていくシロを見て、年を取りすぎただけ、という先生の言葉の意味をやっと理解できた。
次の冬がやって来る頃には、シロはボクが帰っても首を持ち上げるだけになった。それでも、ボクに気が付くとゆっくりと尻尾を振るし、顔の前に手を出すとペロリと舐めてくれるのだった。
ボクは、多くは無いお小遣いから、たまに焼き芋を買って帰った。オミヤゲを買う日は、シロに声をかけるのが楽しみだった。『ヤキーモ』という言葉を覚えたシロは、焼き芋買ってくるからね、というボクの声を聞くと、眠っていてもゆっくりと身を起こしてボクの方を向いてくれた。耳が遠くなっても、好きな言葉だけは聞こえるみたい。
シロにはお芋の真ん中を、金色の中味だけにして差し出す。シロは待ちきれないというように、いつもすぐにパクリと食いついた。本当はオテもフセも出来る賢いシロなのに、焼き芋だけは一度もマテをすることが無かった。
その日、焼き芋を持って帰ってきた僕を玄関まで出迎えしてくれたのは、母さんだった。おかえりコージ、という沈んだ声で、何が起こったのかボクは気が付いた。その夜は家族みんなでシロにお別れをした。お別れを言う間、シロはいつも以上に静かに眠っていた。
次の日は休みだったから、みんなでシロを火葬場に連れて行った。シロを焼く間、煙突から白くてふわふわした煙がまっすぐに空に立ち上っていた。母さんは、シロが天国に昇っていくよ、と言った。父さんは、黙って手を合わせた。ボクは泣きながら手を合わせていた。これでシロとサヨウナラなのだと思った。
でも、シロは帰ってきた。
最初に気が付いたのはボクだった。
【後半に続く】
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