2章 4話

 砦に向かいひた走っていたハクトは、違和感に気がついて空を仰ぐ。


 不意に、何の前兆もなくぴたりと雨が止んでいたのだ。

 そして小さく息をのむ。


 晴れたわけではなかった。


 雨が、その雫が、空の一隅に集められていたのだ。


「何だあれ……」


 思わず声が溢れる。

 急いで崩れ残った砦の上へと駆け上がれば、焼けるような熱気とともに、信じ難い光景が目に映った。


 尖塔を中心に、渦巻くように集められた雨粒は大きな水流となり、街の上に広がる炎の中心を穿つ。


 それを為しているのは、たった一人の人間だ。


 今にも崩落しそうな砦の上は逃げようとする兵や街の住人でごった返していたが、その中でルジームだけがただじっと、その信じ難い景色を無表情で見つめていた。


「神秘というより、もはや神のようだな」


 ハクトに気が付いたルジームが、炎と水から目を逸らさずに呟く。


「……あれは、何なの?」

「どちらのことかな」

「どっちもだよ」


 自分自身とて並の理から外れた存在であることは、ハクトもよくわかっている。

 それでもこれは、明らかに世界の範疇を超えたものだ。


 ルジームは微かに笑って首を横に振った。


「炎のことは私にもわからん。有翼人面の獣、長らく忘れられていた生き物だ。召喚魔術の魔物か、それに類する魔獣か。まぁ大方レオラの異端児がチレードあたりから持ち込んだのだろう」


 有翼人面。

 炎を見つめたハクトは、その中にいるソレが単に炎の鳥ではないことを理解した。


 人の顔をしているのだ。


 鮮やかな金色の瞳が、水に抗おうとするように意思を持ってこちらを睨んでいる。


「……雨を集めているのは、魔術師なのか?」

「そうも呼べる」


 ルジームの答えは、不十分なほど簡単だった。

 本当に、あれが自分と同じ存在なのだろうか。


 ハクトは何かの劇でも見ているかのように、現実感のないまま彼の姿を見つめていた。


 その時だった。


 青年が何かを感知したように、前触れなくハクトを振り返る。


 その鋭い真黒の目に、ハクトはずっと感じていた侵入者の正体に気がついた。

 あの獣ではない。

 彼こそが侵入者だった。


 青年がハクトに向かって声を張り上げる。


「オレが火は消す、お前は撃ち落とせ!」

「……は?」


 言葉の意味ではなく状況がわからず、ハクトは顔を顰める。

 しかしそれだけ言って青年はすでに炎に向き直ってしまっていた。


 彼が手を振れば雨の水流は勢いを増し、炎の獣をほとんど飲み込むようにしてぶつかっていく。


 その奔流が止まったとき、そこには確かに炎の消えた美しい獣の姿があった。


 鮮やかな緋色の羽は水に濡れそぼり酷く惨めだ。

 金の目が、鳥の身体を持つ獣についた人の顔が、ハクトを真っ直ぐに捉える。


 それは女の顔だった。


 そこには表情があった。


「……ああ、くそ」


 何一つ理解できないまま、ハクトは握っていた短剣をその金の瞳に向かって投げつけた。


 混乱の状況下にあっても刃は過たずに標的へと届く。

 何度となく繰り返した、慣れた動作だった。


 剣が獣の額に突き刺さる。

 それで十分だ。


 雷を纏った刃は、それだけで超自然の存在を容易く撃ち落とした。


 炎を失った獣は、翼を広げたままゆっくりと街に墜落する。

 眩しいほどに鮮やかな、緋と金の光だった。


 一瞬、全てが静止する。


 建物が崩落する音と再開された豪雨の水音が、全ての生き物が沈黙した空間を支配していた。

 ハクトは詰まらせていた息を、胸を押さえながら吐き出した。

 咳き込むように、空気以上の何かを吐き出そうとするように。


「助かったよ」


 ルジームが座り込んだハクトに向かって手を差し出す。

 ハクトは少し迷ってから、しかし思いつきのままに口を開いた。


「あんな生き物、今まで見たことない」

「私もだ」

「……にしては落ち着いてるね」

「まぁいつかはこういう日も来るだろうとは、わかっていたからな」


 想像の範疇にこの状態があるのならば、この男の頭の中は相当いかれているのだとしか思えなかった。

 あるいは、狂っているのは世界の方かもしれない。


「魔術がこの世に現れたのはいつ頃だと思う?」


 脈絡なく、ルジームが言う。

 さぁとハクトは首を振った。


「知らない」

「君が最初の例だ」


 ハクトは驚いて顔を上げる。


「オレが? じゃあさっきのアイツは?」

「私は彼も魔術師だと思っている。違いがわからんからな。だが彼の扱う神秘は一般には神術とされている」

「神術ってやつと魔術は違うの?」

「はは、怖いもの知らずだな君は」


 ルジームが楽しそうに笑う。

 怖いも何も、ハクトには宗教も信仰もよくわからない何かでしかない。

 知らないものを畏れ敬うことはできないだろう。


 ハクトの不服そうな表情を見て、ルジームは楽しげなまま説明を付け加える。


「クリュソの国民は皆、言葉を話すようになれば洗礼を受ける。その際に神術を神から授けられる子供がごく少数いてな、その者はそれ以降神官になるべく生きる。そういう仕組みがあるんだ」

「……どこまでが現実の話?」

「全て現実だとも」


 おとぎばなしや神話でもなければありえないような、そんな話だ。


 しかしそんなことは今更だった。

 ハクトは肩をすくめて見せる。


「それじゃあアイツは、洗礼を受けて術を得たけれど神官にはならなかったってことか」


 ルジームは微笑む。


「君は洗礼を受けたか?」

「いや。受けてたとしても、魔術を得たのはそのときじゃない」

「では君が現れたことも、今までには無かったことだ。これから例が増えるのか、今後も君だけなのかはわからない。確かなのは、今が大きな転換点だということだ」

「これからは何が起きてもおかしくないってことか」

「そうだな」


 未知は恐ろしい。

 新しい世界が来ると聞けば、不安を覚える人間がほとんどだろう。

 しかしだ。


「……随分楽しそうだね、アンタ」


 初めて出会った時から変わらず、ルジームは全てを楽しんでいた。

 それは彼という人間が圧倒的な強者であり、決して脅かされない立場にいるからだと思っていたが、世界の変動に対してなおこの姿勢を崩さないのだとすれば、一体何がこの男をそうさせるのだろうか。


 ルジームは笑って天を仰ぐ。

 空からは再び雨が吐き出され、燃え残った街を水に濡らしていた。


「私は老い先短いからな。君たちのように未来ある青少年とは違って、無責任に変化を楽しめる立場にいるだけだ」

「死ぬ気もなさそうな面してよく言うよ」

「もちろん、楽しみを残して死ぬはずがないだろう」


 このくらい適当に生きられれば、と思いかけたところで、ハクトは目を伏せる。

 今の彼に至るまでに何があったのか、その日々は考えたくない。

 人間は過去によって形作られるのだから。


 ふとルジームの青灰色の目が、ハクトに向き直る。


「さて、こんな騒動になったが、ここにいるということは君は成功したのかな?」

「……ああ、忘れてた」


 ハクトは額を抑える。

 敵将を殺すと言うそれだけが目的だったのにも関わらず、随分と余計なことに手を出してしまったものだ。


「そうだって言いたいけど、証拠がないや」


 馬鹿をしたと溜息をつく。

 獣に向かって投げつけた短剣は、殺した証拠として敵将から奪ったものだった。


 雷を纏わせてしまったから、獣の死体から回収できたとしても装飾などは溶けるか爛れるかしてなくなってしまっているだろう。


 しかし意外にも、ルジームは問題ないと首を振った。


「物的な証拠までは求めないさ。君が先陣にいたことは私も知っているし、何より先ほどの働きだけでも条件には充分すぎるからな」

「……アンタって、思ってるよりも本当に適当な奴だな」

「細かいところを追求してもどうにもなるまい。元々君に自分自身の価値を示してもらうためにつけた条件だ。それに見合うものは充分に見せてもらったとも」

「そりゃそうなんだけどさ」


 願ったり叶ったりではあるが、話が上手くいきすぎるのもあまり居心地の良いものではない。

 元々居心地が良いような場所でも人間でもないのだが。


 ハクトは躊躇いつつ口を開く。


「じゃあロベッタは……」

「もちろん君の要求通りにしよう。ただまぁ私の独断で決めてしまったからな、上を説得するための少しの時間と、君にも多少顔を出してもらう必要があるかもしれないがな」

「独断で決めるなよ」

「判断とはいつだってその場の一瞬に求められるものだ」


 仔細がどうあれ約束は約束で、どのような事情があれどその履行だけは絶対だ。そんなことは当然ルジームも承知しているだろう。

 そもそも反故にされるような可能性があれば、ハクトはそんな交渉に乗っていない。


 決して味方とは言い難い相手だが、その行動には信用があった。

 それならば自分があれこれ考える必要はないとハクトは頷く。


「わかった、それで良い。細かいことはオレにはわからないけど」

「わかるようになろうとは思わないのか?」


 その言葉には示唆があった。

 ハクトは黙って、ルジームの青灰色の目を見つめる。

 意図は読めるが真意が見えない。


 はぁと溜息をついて、ハクトは根負けしたように首を振った。


「さぁね。考えとくよ」

「好きなだけ考えろ。今の君には時間がいくらでもあるのだからね」

「判断は一瞬じゃないの?」

「だから今の君には、と言ったんだよ」


 つまり、選択によっては今後ハクトも一瞬を迫られるようになると言うことだ。

 上等だとハクトは思う。

 これまでの自分の世界にだって、十分な時間などと言えるものはなかった。いつだって一瞬の選択と、自分の外の何かによって迫られた決断の中で生きてきたのだ。

 今更選ぶことが何だと言うのだろう。


「オレが何を選ぶか、アンタはきっと知ってるんだろ?」


 ハクトは挑戦的に笑ってみせる。

 さあな、と首を傾げてルジームは微笑んだ。


「君が何を選ぼうと、その阻害はしないと約束しよう」


 その言葉が嘘であるのか、あるいは含みある真実であるのかなどはどうでも良いことで。

 ルジームが何を考えていようと自分は奴の駒ではないし、むしろ彼の方こそハクトに気に入られる必要がある立場なのだ。


 真意など気にする必要もない。

 誰のどんな意図がそこにあろうと、自分は自分の思うように振る舞うだけだった。


「街を見て来る」


 ハクトは立ち上がって、雨で張り付く髪を結び直した。


「さっきのやつが何なのか気になるし」

「ああ。何か新しくわかったら教えてくれ」

「わかるわけないでしょ」

「案外面白いことが見つかるかもしれないぞ。私は平野側にいる。何かあれば探しに来てくれ」


 平野側に今更何があると言うのだろうか。

 聞こうとして、どうでも良いことだとそのまま街への階段を降りる。

 全てを知ろうとするならば、進む先を決める覚悟が必要なはずだ。


────────────────────────


 街は騒乱の後の、うら寒い気配に包まれていた。

 炎はすっかり消え、みすぼらしくも地に落ちた獣に、ハクトはゆっくりと近づく。


 警戒していたわけではない。これが死んでいるという確信はある。

 では何が足を遅らせたのかといえば、それは畏れだった。


 この美しかった生き物の死を直視すれば、何かがわかってしまうのではないか。

 そんな曖昧な予感に支配される。


「ハクトか?」


 獣を見下ろすように立っていたロルフが、ふっと顔を上げる。


「さすがに災難だったな」


 死体から抜き取ったのか、一本の短剣をハクトの足元に向かって投げてくる。

 短剣は足の真横に正確に刺さっていた。


 右手で投げていたところを見ると、それなりに回復しているのだろう。

 ハクトは曖昧に顔を顰める。


「何、危ないんだけど」

「お前ほど上手くなくても外しはしないさ」

「本調子じゃないくせに」

「誰のせいだと」


 ロルフが笑う。

 存外、機嫌は良いようだった。


「……これ。生き物では、あるんだよな」


 獣の死体に少しだけ近づいて、ハクトは顔を顰める。


「魔物か魔獣かなんかだってアンタの主人は言ってたけど」

「ん? あぁ、俺にはよくわからない。気になるならあいつに聞け」


 ロルフが示した先には例のもう一人の魔術士がいた。いや、魔術ではないのだったか。


「……アイツは知ってるの?」

「少なくとも俺たち常人よりは神秘に詳しい。もっと詳細なことを知ろうとしたら、神官たちにでも当たるのが正解だろうが」

「神に関わる人間がまともに真実を教えてくれるとアンタは思うわけ?」

「良い性格してるよ、お前」


 呆れたように肩をすくめるロルフは無視して、ハクトは魔術士の青年へと目線を移した。


「なぁ、アンタ」


 振り返った彼と目があって、思わず眉根を寄せる。

 やはり嫌な目だった。

 根本的に相容れない存在だと直感する。


「雷のか。腕は良いけど頭は悪いんだな」


 あまりな物言いにロルフが苦笑する。


「ハクト、あいつはあれでいて悪意はないんだ」

「嘘だろ」

「まぁ喧嘩するなよ。お前らを止める面倒ごとはごめんだ」


 それだけ言うと、地面に落ちていた獣の羽根を一枚拾い上げて、ロルフは砦を上がってしまう。


「アンタの主人、平野側にいるってよ」


 思いついて声をかければ、知ってるよと笑い返される。

 全く気持ちの悪い奴らだ。

 その後ろ姿を見送ってから、青年が口を開く。


「……声をかけたってことは、用でもあるのか?」


 相変わらずの無表情にハクトは溜息をこぼした。


「そりゃ聞きたいことは山ほどあるけど……アンタ、名前は?」

「キト」


 黒い髪に黒い目、嫌でもあの女神を彷彿とするような、そんな容貌だ。


「魔術師なの?」

「厳密には違う。でもそう扱われる方が良い」

「なんで?」

「神の類は好きじゃない」

「趣味が合うね」


 ハクトはくすりと笑った。


「宗教国家も案外変な奴が多いんだな」

「……一応言っておくけれど、オレたちみたいなのは宰相の私兵にしかいないからな」

「宰相?」

「なんだ、知らなかったのか?」


 キトが驚いたように眉を上げる。


「ルジームはクリュソの前宰相だ。当代のは名前だけだから、あの人が実質的な軍部の最高権力者だぞ」

「……もしかしなくても、オレって思った以上に面倒なことに巻き込まれてるのか」


 無名の身というルジームの言葉をそのまま信じていたわけではないが、そこまでとは予想していなかった。

 キトが同情するように溜息を吐く。


「あの人に目をつけられたのなら、そう簡単には逃げられないだろうな。運が悪かったと思え」

「別に、逃げるつもりもない」


 キトは暗い目を細め、不服そうに言った。


「やっぱり、頭が悪い」

「さっきからそれ、何なわけ?」


 さすがに苛立って問い正せば、キトは溜息まじりに首を振る。

 それから獣の死骸を指差した。


「何故額に向かって短剣を投げた?」

「は?」


 何故と言われても、一瞬の判断だった。

 そこに理由はない。


「あの大雨だ。広範囲の雷で焼き殺せば確実だったのに、君はそうしなかった」


 キトが淡々と言う。

 ハクトは何も言い返せずに肩を竦めた。


「人の顔を見て同情したか?」


 脳裏に獣の瞳が蘇って、思わず目を伏せてしまう。

 そんなはずがないと言い返そうとして、言い返せない自分がいた。


 あれがただの鳥であったなら、迷わず雷で直接撃ち落としていただろうと、自分でもわかっている。


 獣の死体から目を逸らしていても、レオラ兵を殺したときに何も思わなかった自分と、先程の自分の違いを考えてしまう。


「君の行動は終始合理的じゃない。敵を殺すなら最も確実な方法を使うべきだし、一度戦場に立ってこんな目に遭ってもなお続けると言うなら、君は本当に馬鹿だ」

「……理屈じゃない」

「理屈で生きろ。生き残りたいならだけどな」


 返す言葉もなかった。

 乱雑に地面に座って、ただ言い訳のように言葉をこぼす。


「この獣は敵意がなかった。殺す気になれなかったんだ」


 手を伸ばして、翼に触れる。


「理屈を通せって言うなら、オレはオレの敵以外と戦いたくない。そういう理屈だ」

「……残念ながら、お前の敵はお前が決めるんじゃない。この国が決めるんだ」

「アンタはそれで納得できるの?」

「できない人間はここにいない」


 キトの表情がふっと翳りを帯びる。

 一瞬だけ、奇妙なこの男の人間部分を見たような気がした。


「早く死ぬからな」

「……それじゃあ、別に長生きしたいわけでもないから良いよ」


 あっけらかんと笑って、ハクトはそんなことを言ってみる。

 生きたいわけでもないのに殺すというのは、一体どうした矛盾だろうか。

 考えるのにも疲れて、獣の翼の上に寝転がる。

 キトは顔を顰める。


「死んでるとはいえよく触れる気になるな。いや死んでるからこそというべきか……」

「泥の上よりかは綺麗だ。この生き物が何なのかも、アンタに聞こうと思ってたんだけど、何か知ってる?」


 もう一度獣の顔を覗き込んでから、キトは躊躇いつつも口を開く。


「魔獣の一種として記録されていた生き物と符合する。魔物とは違って、魔獣は神秘を宿しているだけで本来人に攻撃性のある生き物ではない。だから君も敵意を感じなかったんだと思う」

「なるほど。敵意がなくてこの被害なら、笑えないもんだね」

「……それに、これは生まれたばかりの幼体だ。本来この種の魔獣は古言語を理解する。幼くて悪意がなかったからこそ、オレたちにとっては面倒だったんだよ」

「へぇ」


 気の抜けたような返事を返して、ハクトは死んだ獣の横顔を見つめる。

 それからキトを振り返って笑って見せた。


「それじゃあオレたち、悪いことしたね」

「……宰相はいつも変なものばかり拾うな」


 諦めたように言い捨てて去って行く後ろ姿に、ハクトは全てを吐き出すように深い溜息をついた。


────────────────────────


 剣を握るその人を見るのは、随分と久しぶりのことだった。


「ルジーム様」


 ロルフが声をかければ、ルジームはゆっくりと振り返って、剣を鞘に収めた。

 足元にはハクトが仕留めた例の敵将の首が転がっている。


「ロルフ、ご苦労だったな」

「言ってくだされば私がやりましたのに」

「いや。これは自分でやるとも」


 綺麗に切り落とした首を白布で包んで、ルジームは木箱に収める。


「ご子息が好き放題やっているようだから、南部領主殿に伝えてやらないといけないしな」


 口調こそ穏やかであるが、全くもってとんでもないことを言い出す人だとロルフは苦笑する。


「レオラに送るのですか?」

「ものは言いようだ。故郷に返してやるんだよ」

「悪い人ですね」

「善人に戦争は荷が重いだろう」


 ルジームが手を伸ばす。

 ロルフは迷わず獣の羽根を渡した。


「神秘の冒涜はクリュソの得意だと思っていたがなぁ」


 ルジームが感慨深げに呟く。


「レオラに先に手を出されるとは、私も老いたものだ」

「何か手を打ちますか?」

「おそらくは独断で神秘を利用し、敗戦したんだ。あの異端児もさすがに処罰を受けるだろうし、何もせずともレオラは手を引くさ」

「神秘はやはりこちらの特権ですね」

「ああ。しかしクリュソは脆く弱い国だ。このままではそう遠くない未来で死に絶えるだろう。そうならないためには新しい武器がいる」


 ルジームの言葉は確信的でロルフは黙ってそれに頷く。

 青灰色の目を雨に細めて、ルジームは揶揄するように言葉を続けた。


「さて。神秘の国が神秘を人の武器にするのならば、神とは一体なんだろうな」

「貴方の思うように」


 ルジームはロルフを見て微笑んだ。


「全く、私は部下に恵まれているな」

「光栄です。ハクトも使い物になりそうでしたね。まぁ、あれが今後どうするのかはわかりませんが……」

「あの子は残るよ」


 そう断言される。


「……彼はロベッタを愛しているように見えました。戻るのでは?」

「キトと関わった。魔術師の仲間を得て、自分の力の使い道も得て、彼はもう以前には戻れないだろう」

「孤独につけ込んだわけですか。貴方という人は……」

「言っただろう、悪人でなければ戦争などやっていけない。それに、あの子は決して後ろを見ない人間だ。必ず前に進むぞ」


 ルジームの目が遠く、街の方向を映す。

 ロルフは思わず笑みを深めた。


「期待以上でしたか?」

「……ああ。もし上手くいけば、あの子は神をも殺すだろう」

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