君は誰


地元で一番栄えている繁華街から脇道にそれた先にある、外れの町。

とたんに閑散とするそこに、見栄えの立派な豪邸がそびえている。かつては町の象徴だったとしても何ら遜色ない外観であり、洋館と呼ぶにふさわしい造りだった。


「ここか……」


心許ない月明かりに照らされた洋館の前で、その少年、成瀬 円ナルセ エンは足を止めた。

手に持っている、簡易的な手書きの地図と照らし合わせ、やっぱりここだと確信する。してすぐに、本当にここなのか、どうしようもない不安がよぎった。

吐息が白く凍っていく。


周囲の荒地に忘れ去られたボロボロの空き家を4棟足してもあまりあるほど膨大な敷地を有する洋館は、例に漏れず廃れた雰囲気をまとっている。

腐食したツタと黒煙で汚れた屋根と壁。泥でまみれたタイヤ跡であふれ返った玄関前。錆びついた窓と閉め切ったカーテンによって内側から光が漏れることはない。


そんな不清潔な見た目に反して、玄関の扉や窓枠などところどころに施された黄金の装飾は、どれも瑞々しい光沢があり、手入れが行き届いていた。

空気はとても澄んでいて、異臭がしないどころか、庭園に咲き誇る深紅の薔薇の香りで満ちている。


だから、よけいに怖い。


何かある。

ここには何かがある。


成瀬はしばらく立ち尽くしていた。妙に防衛本能が働き、らしくもなく足がすくんで動けなかった。

街から追い出されたようなこんなへんぴな場所に、好き好んで人が住むとは思えない。幽霊の住処だと言われれば、納得できてしまいそうだった。


逃げてしまおうか。

元より来たくて来たわけじゃない。仕方なくこの地図のとおりに来ただけであって、こんなところに個人的な用はない。

やめてしまえばいい。何もかも。


けれど、わかっている。

ここまで来てしまえば、もう、逃げられない。


彼は、知っている。


ここに何があるのか。

その正体を。


彼だけではない。この地域に住む者ならば、誰もが一度は耳にしたことはあるだろう。知っていたらふつうは近づかない。

ガキ大将の度胸試しも、ミーハーなJKのお遊びも、会社員の酒の肴も、老人の世間話も、その噂には関与する余地なくひれ伏すほかない。

それほど有名で、異質で、怪しい噂。

絶対的な、暗黙の了解。



――あの館は、“神雷ジンライ”のもの。立ち入ったら最後……。




遡ること、8時間前。



『──アクションッ!』


都内某所のスタジオ。

カメラ、照明、音声。多くの機材とそれ以上のスタッフに囲まれながら、青い袴を羽織った少年、成瀬は、精密に作られた模造刀を振りかざした。


『俺の名は、土方ヒジカタ トシヤ。土方 歳三トシゾウの弟だ!』

『カット!』


カチン、と音が響いたのを皮切りに、スタジオ内は忙しなく動き始める。

新年一発目に放送を予定している月9ドラマ。

【純真な刃】

新選組壊滅後、タイムスリップしてきた男子高校生・トシヤが、土方歳三の弟と騙り新たな新選組を立ち上げ、動乱の世を生き抜いていく物語。

その撮影が、本日ついに始まった。


12月の寒さをもろともしない昂った息遣いが立ちこめるなか、主人公トシヤを演じる成瀬はひとり、熱をあげることなく、持っていた刀をすぐさまスタッフに放り投げた。

呼びかけるスタッフの声も聞かずに黙って歩いていく。大きなカメラの、その隣、男性特有の肩幅ががっちりした背中の元へ。

ひときわ広く感じるその背中が、今、振り返ろうとしていた。


『円! ちょっとこっちに……』

『もういます』


振り返るより先に、成瀬は横に並び立つ。

成瀬よりも頭ひとつ分上背のある男は、名を風都 誠一郎カザト セイイチロウといい、この現場でメガホンを取る監督だ。つまり、背丈だけでなく権限も責任も一番でかい人間ということになる。

これまで映画を専門に携わり、数々の賞を総なめにしてきた名監督であり、齢40にして早くも映画作りで右に出る者はいないとまで言われている。


そんな彼が初めてドラマに挑戦するということで、放送前から相当数の期待が寄せられている。

それでこの熱気だ。

あの風都監督と一緒にやれる。最高の作品をつくってやる。期待に応えたい。がんばりたい。今にも湯気がわきそうなほどやる気に満ちあふれ、現場の士気は日々上がり続けていた。


ただひとり、主演を除いて。


『なに、監督』

『よく呼ばれるってわかったな』

『本読みのときもリハのときも呼んでたじゃないですか』

『なら呼ばれる理由も自覚してるってことか』

『……はあ』


肯定ともとれるため息に、風都はやれやれと肩をすくめ、カメラ横に設置されたモニターに手を置いた。

モニター画面には、撮りたてほやほやの先ほどのシーンが流れていた。昼休憩をはさみ、ヘアメイクやセットの手直しを完璧に仕上げてからの撮影だったからか、1分も経たずに終わるにしてはもったいない華やかさがあった。


太陽の下を生きているとは思えない透き通った白い肌を、わざとすすけさせてもなお、美しさの損なわれない浮世離れした顔立ち。

銀の光のすべる刀を振った瞬間、あでやかになびく衣装。ドラマのために肩に触れるほど伸ばし、黒く染めた髪の毛。

なんてことのない立ち姿さえ、戦国時代の舞台セットも相まって、凡人には出し得ない圧倒的な存在感を放っていた。


とてもじゃないが、役柄と同じ高校1年生には見えない。

芸能界デビューは高校入学とほぼ同時期。つまり、まだ1年も経っていない。

その華は、生まれ持った才能と評するほかなかった。


まさになるべくしてなった本物の主人公。次世代のスター。

そう世間に騒がれる成瀬が、初めて連続ドラマの主演に抜擢されたことも、ドラマの話題性をぐんと高める所以のひとつであった。


『かっこよく撮れてるよな』

『……』

『だが、何も感じない』


もてはやす世間の声をぶった斬る、風都の鋭い一言。

成瀬はまたかと思いながらも、相槌代わりの返事をするだけだった。


(何も感じない……。言われたの何回目だ? まあそうか。そうだよな。よくわかってるよ)


さすが監督。見る目はたしかだ。噂されているだけはある。かっこよく映っているのもきっと監督の腕なんだろう。

映像作品への出演は数回、一度だけ運よく映画の主演を務めたことがあるくらいで、あくまでメインはモデル業。演技経験は少ないほうだ。

口から吐き出すのは、単なるセリフ。何の意味も持たない。空っぽだ。

そんなことは理解していながら、中身を詰めようともせず、ふたをしたまま平然とやり過ごしていた。今回も、そうするつもりでいた。


『お前は誰だ』


突然の問いかけに、虚を突かれながらも答える。


『……俺は、俺ですけど』

『いいや』

『は?』

『土方トシヤだろう?』

『……』

『ここは仲間のピンチでようやく覚悟を決めて戦うシーンだが、円、お前のトシヤに覚悟はあったか?』

『…………OKを出したのは監督でしょう』

『ま、主人公感が出てるのは事実だしな。及第点だ』


及第点。バカは騙せても、わかる人にはわかってしまうぎりぎりのライン。本読みやリハのときから変わらない評価だ。

今のお前にはこれ以上は無理だ、と暗に告げられているようだった。

成瀬に悔しいなどという感情はない。むしろ意外だと少し驚いていた。あの名監督である彼が、まさか本番でも妥協を許すとは思っていなかったのだ。

リテイクが続き、時間が押すかもしれない、そっちの覚悟は一応していた。かといってふたを開ける気もなく、どうにか騙せやしないか考えていたところだった。


(一発OKはありがたいけど……いいんだそれで? それとも失望? 諦め? 別に降板してもいいんだけど)


風都の顔つきを見て、それもちがうかとはっきり思った。

老いではなく40の年齢をきれいに積み重ねた、凛々しい大人の香りのするその顔には、一切の曇りなく、夜明けのようなやさしさを帯びていた。


妥協でも失望でもない。

許容だ。

わかろうと、わかりたいと、歩み寄っているのだ。


『お前はどうしてここにいるんだ?』

『……オファーくれたからでしょ?』

『この業界にいるのも成り行きか?』

『まあ……そうっすね。スカウトされて、じゃあ、つって。それなりに稼げますし』

『言われるがままか。人を殺せって言われたら殺すのか』

『は? 極端。俺だって心のノートくらい持ってますから』


真面目に言う成瀬に、ふ、と風都は失笑した。モニターに置いていた手を成瀬の頭の上へ移すと、『ああよかった、そうだよな』とセットされた黒髪をとかすように撫でた。

とてもあたたかな手だった。

数回頭の上を往復すると、あっけなく離れ、すぐにペンを抱えた。そこらへんにあった紙切れに線を引いていく。


『よし』

『……?』

『円、このあと予定は?』

『ない、けど……』

『よかった。じゃあ撮影が終わったらここに行くといい』


渡された紙切れには、どこかの地図が記されていた。


『なにこれ』

『円は俺と地元同じだったよな』

『え? ああ……そういえば……?』


顔合わせのとき、軽く挨拶しがてらそんな話をしたような気がする。だが、それがなんだと言うのだ。


『なら行けばわかるよ』


風都の迷いのない口ぶりに、成瀬は思わず押し黙った。

手のひらと同じあたたかさを感じる、その双眸。その上に深く刻まれた古い傷痕が、一転して、ほのかな凄味を孕んでいた。

背筋が震え、まさかと思った。地図を見返し、もう一度風都を見やれば、不敵に笑いかけられる。


『お前に、俺の名をやろう。今日からお前が――“侍”だ』

『さ、さむらい? 俺の名って……』

『そこに行ったら、そう名乗れ。迎え入れてくれるはずだ』


いっこうに答えを教えてもらえず、成瀬はわかりやすく困惑していた。まさか、と思い当たってしまった考えに、現実味が増していくばかりで頭が痛くなる。

せめて理由だけでも問いただしたかったが、タイミング悪く次のシーンの準備が整ってしまう。スタッフに呼ばれ、スタンバイしながら、やむなく地図の示された紙切れを懐にしまいこむ。


その一挙一動を、風都はちゃんと見守っていた。

“侍”――何十年ぶりかに口にしたその名は、とてもなつかしく、いとおしく、けれど少しばかり苦味がある。

あの袴に劣らない青々とした記憶が、脳裏を駆けめぐる。

よみがえるかつての自分に、成瀬の姿を重ねた。


(円。お前なら大丈夫。たとえ失っても、忘れても、大事なものは消えやしない。

──行ってきな、あいつらのところへ)


撮影が始まる。

カメラ横の椅子に座り、台本片手に合図を送った。

よーいアクション。


物語が、動き出した。





「ぎぃやああぁぁぁ!!?」


現在の時刻、21時半過ぎ。

怖いくらい静かだった洋館から、突如、お化け屋敷でしか聞かないような絶叫が響き渡った。

玄関の扉に手を伸ばしかけていた成瀬は、反射的に手をひっこめた。


(な、なんだ? 中で何が起こって……)


直後。

バァン!!!

触れてすらいないはずの扉が、勢いよく開かれた。


吹き飛ばされかけた成瀬の足元に、鉛のような重みが絶叫とともに転がってくる。見下ろしてみれば、見知らぬ男が倒れているではないか。

20代後半だろうか、苦しそうに咳き込む男の血反吐で、靴が赤く濡れていった。


(な、何が……いったい何なんだよ……!)


ここに人が来ることは滅多にない。

ここの住人だろうか。そうでなければ、選択肢はあとひとつしか残されていなかった。


震え上がる心臓。乱れる脈拍。鈍る思考。

身体が重い。ぐわんぐわんと揺れているような、下へ下へ沈んでいくような、なんとも気持ちの悪い感覚に見舞われる。


(監督は行けばわかるっつってたけど……けど! よりにもよって……!)


正直、予想はしていた。そんなまさかと信じられずにいた。今も本当は信じたくはない。

それでもゆっくり、ゆっくり、肩に担いでいた稽古用の木刀を手に持ち替えていく。監督が念のためにと持たせてくれた物で、服装も動きやすい稽古着のほうがいいと助言を受けていた。

そのときから心の底では覚悟していたのだ。


自分の身は、自分で護らなければ。

ここは、場所だ。


「あら。またお客様?」


コツ、コツ、コツ。

館の中から、また、聞こえてきた。


「あなたも、私たちに用かしら?」


甲高いヒールの音。

夜空を牛耳る月の光を奪い尽くしたかのような黄金の髪。

弧を描く、真っ赤な口紅。


木刀を構える成瀬の前に現れたのは、陶器でできた人形と見まがうほど気高く、隙のない、小柄な美少女だった。


「ようこそ、神雷へ」


――神雷。


治安が悪いことで有名なこの街を、裏から統べる、最強で最凶の不良集団。

弱肉強食、力こそすべての裏社会で、5本の指に入るほどの実力を持ちながら、一部からは自警団のように崇められている、世にも珍しい暴走族である。


暴走族だなんて時代遅れにもほどがあるが、そうバカにできないくらいここの治安は本当に終わっていて、物理的に支配できる存在は、当然おそろしいものだが、その実、頼もしくもあった。

しかし、いざ近づくとなると話は変わってくる。

神雷には隠れファンも多いらしいが、空気を読まず騒ぎ立てるようなバカはいない。

誰だって敵に回したくはないのだ。ふつうに生きて、ふつうに暮らしていたい。それは成瀬も同じだ。


だがもう遅い。

テリトリーに立ち入ってしまった。


そう、ここは、この洋館は――誰もがおそれる神雷のたまり場なのだ。


地獄の入口で、謎の美少女は、受付嬢さながらにそれはそれはきれいに微笑んだ。

腰あたりまである長い金髪を、慣れた手つきで払いのける。ゆるく波打つ金糸が、星ひとつ見えない闇夜にきらきらと流れた。


一見、物騒なこの場に似つかわしくない、異分子のような存在に見えるが――あの館は、神雷のもの。立ち入ったら最後……――なぜ驚く必要があるのか。その存在を誰もが無視することなどできはしないのに。

成瀬も例に漏れず、何もかも忘れて、大きく瞠った目にその姿を焼きつけた。


コツ、コツ、コツ。8センチはあるであろうピンヒールが、静寂を切り裂いて迫り来る。

漆黒に染まる、タイトなミニ丈ワンピースからすらりと覗く美脚には、倒れた男のものと思しき血痕が付着していた。

本人は気にも留めていない。それどころか、口紅の色と似通っているせいか、ワンポイントの差し色のようにも思え、他人にもさして意識させづらい。

妖しいオーラに包まれていた。


「……侍……」


謎の少女が不意に、成瀬の顔と木刀を一瞥し、ぽつり呟いた。

成瀬はハッとする。

ようやく時間が進んだのを感じた。


「そう、あなた……ふふ。ちょうどいいわ」

「え……?」


「――おいゴルァァ! 逃げんじゃねえ!!」


館の奥のほうから、さっきとはまた別の絶叫がした。体の大きな男が突進してくる。何日も洗濯していなさそうな薄汚れたよれよれのTシャツ。黒ずんだ手には、黒光りした銃があった。

明らかな殺意。

神雷のテリトリー内で、そんなことができてしまうなんてふつうじゃない。


やはり成瀬の予想は正しかった。

奴らは神雷と敵対関係にある同業者。端から敵なのだ。


本能的に逃げようとした成瀬だが、謎の少女がそれを許さない。いつの間にかゆるんでいた手元から、いともたやすく木刀を奪い取られた。目にも止まらぬ速さで、成瀬の背後から刃先を向けられてしまう。


「っ、は……は……」

「運の尽きね」


それは誰への言葉だったのか。

薔薇の香りがふわりと漂った。首の皮に棘が刺さったような圧迫感との差に、脳がバグる。

実際、苦しくはない。ぎりぎり苦しくない程度に押さえられている。

地獄と天国の天秤にかけられている。すべては彼女のさじ加減。


憐れだなと、成瀬は現実逃避がてら遠い目でどこか遠くを見つめた。

ひどい有様だ。沸騰した殺意を爆発させてやってくる見知らぬ男も、もちろん、自分自身も。


「ックソアマァ!! よくも……!」

「あら。彼がどうなってもいいの?」

「あ゛!? 彼!?」

「…………えっ、俺?」


何を言ってんだこいつと意思疎通する初対面の男たち。

さっきまでの空気が嘘みたいに白けていく。正直気まずくて仕方ない。


(本気で俺まで敵だと思われてるわけじゃ、ねえ、よな……? ちげえよな!? つうかそもそも相手は銃! こっち木刀! 脅すにしても強引すぎだろ!)


図らずも巻き込まれ系ヒロインの気持ちを知るはめになった成瀬は、とりあえず謎の少女の様子をそろりと窺ってみる。

愉悦そうに光る瞳。

どこまで本気なのだろう。混乱状態から抜け出せない成瀬をさらに弄ぶように、謎の少女はこそっと耳打ちをした。


「さあ、起きなさい。あなたは、あの男の下っ端。兄のように慕っている、ただの弱い下っ端」

「し、下っ端? 急に何……」

「さあ」

「絶対俺が誰か知って……」

「ようい、アクション」


パチン。指の弾く音が、否応なしに鼓膜をつんざいた。


「はぁ……。……た、たすけて……」


もはやヤケクソだった。


「〜っ助けて、アニキ!」

「は? あ、アニキ??」

「……く、ふふ」

「クソ……あ、アニキ! すみません……俺……アニキの力になりたかったのに……っ。アニキぃ……!」


ひとり楽しんでいる黒幕に内心ムカつきながら、それによる体の震えをうまく利用し、ついでに涙も添えて、ドラマ撮影をも超える渾身の演技力を見せつけた。だてに演技レッスンは受けていない。ほぼ無理やり受けさせられているのだが。


こんなんで騙せるのか定かではないものの、勝算がまったくないわけではなかった。

そもそも下っ端という設定は、かの輩が何かしらの組織に属していることを示唆している。不特定多数所属しているから、仲間ではない者をすぐに否定できずにいるにちがいない。

足元で今もなおうずくまる男が転がってきたあとすぐに駆けつけたところを踏まえると、少なくともこの巨漢は仲間意識が強く、血の気が多いタイプ。

ならば一か八か、アニキアニキと無駄に連呼し、情に訴えるのが手っ取り早い。


「アニキ……た、たす……助けてアニキ……!」

「……」

「お、俺……こんなところでやられたくないっす……!」

「……」

「アニキ……っ。お、俺たちにはまだやらなくちゃいけないことがあるのに……っ」

「……ッ!」


彼らには、何かしらの目的がある。

他に仲間と思しき気配はなく、つまり、これはたったふたりの犯行。本来遠ざけておくべき強敵を襲撃するにしてはあまりにも無謀すぎる。

それでも決行した。とんだ大バカ野郎か、あるいは、よっぽどのワケありか。いや、どちらもだろうか。木刀相手にせっかくのアドバンテージをゴミにしているのだから。

成瀬がカマをかけてみれば、その推理どおり、手応えのある反応が返ってきた。


「……ああ、そうだな……」

「アニキ……?」

「……っ任せろ! 俺がすぐに助けてやっからなァ!?」

「え、あっ、ああ! アニキ!!」


成瀬は必死に笑いをこらえた。アニキと呼び続ける声量は、先ほどよりも興奮気味にうわずっている。無駄に演技の説得力が増していた。

比例して、アニキ自身のテンションも上がっていく。舞台は完璧に整えられた。


「そいつを解放しろ! でなければ撃つぞ!」

「あらあらまあまあ」

「おい! 聞いてんのか!?」

「ええ、ええ、ちゃんと聴こえてるわ。解放ね……いいわ、解放してあげましょう。その代わり、武器を捨ててもらえるかしら?」

「くっ……」

「どうします?」

「あ、えっと……あ、アニキ……アニキ……!」

「……くっそ!」


ガシャンッ! 銃を地面に落とされた。


「これでいいんだろこれで!?」

「……」

「おい!! そっちもさっさと放せ!」


約束は守るもの。そんな常識はここでは通用しない。

ひりつく空気。

真っ赤な口は、約束よりも沈黙を守った。対峙する男の顔も、だんだんと赤くなっていく。

白くのぼる息の跡で、巨漢は今が真冬なことを思い出した。汗ばみ、息が上がり、感覚が麻痺していく。そうしてとうとう痺れを切らし、詰まり詰まった喉を豪快にうならせた。


「ッ……テンメェ゛!! いい加減に……」

「武器を」

「し……」

「武器を捨てろと言ったはずよ」


ヒュ、とたちまち巨漢の喉が締まった。

銃はたしかに地面にある。巨漢の両の手は空だ。約束を守っていないのは彼女のほう。だからつい今しがたまで威勢よく噛みついていたのに。

たったひと言。すべてを見透かす冷徹な声は、どんな武器よりも鋭利に突き刺さった。

巨漢はとっさにあとずさる。


(まさかこの女、気づいて……いや! そんなはずねえ!)


無意識に背中やポケットをいじっていることに気づき、ぐっと握り締めた。背筋を撫でる汗が、冷えていく。凍てついて、こわばっていく。

痛みをこらえるように無理やり口角を吊り上げた。押し殺された息をなんとか吐き出し、元の肌色の影もない指で地面に落とした銃を示した。


「ハ、ハハ。す、捨てたじゃねえか」

「……」

「い、意味わかんねえー……」

「……」

「ハハハ……ハ…………」


すぐに言葉は尽きた。無言の圧力。平均より大幅に重量のある体でも耐えがたく、一度震え出したら止まらない。

刻々と冬の闇が深くなる。


「……クッソ」


……カラン……ガンッ! ガシャン!


やがて響くは、重厚な金属音。

巨漢の足元に、続々と降っていく。

エアガン、ナイフ、カッター、手錠……。

一見持ち合わせていなかった、多種多様な武器。それは、服の下、ポケット、いたるところに忍ばせていたものだった。


「こ、これで本当にぜん……」

「カット」


すっかり着痩せした男から音がしなくなると――パチン、記憶に新しい合図がこの場を制した。

刹那、冬めく夜風が吹きすさぶ。


「グアッ……!」


風が過ぎ去ったとたん、悲鳴が上がった。武器の山に埋もれるように巨漢の体が倒れていく。

成瀬は目を疑った。

ころころと何かが転がってくる。


(なんだあれは……玉? BB弾?)


さらに風が横切った。

洋館の入口側から立て続けに放たれたBB弾は、突風を巻き起こしながら、巨漢の急所をピンポイントで撃ち抜いていく。ダメージは実弾に勝るとも劣らず、三度目の悲鳴を最後に辺りは静けさを取り戻した。


「終わったようね」


少女は乱れた金髪を直しながら、木刀を下ろした。

約束どおりの、解放。安心していいはずなのに、成瀬はなかなか気持ちを切り替えることができなかった。腰が抜け、その場にへたれこんでしまう。


最初から勝敗は決まっていた。

はじめからあの威力のBB弾を撃っていたら瞬殺。成瀬の演技も必要なかった。最悪、隠していた武器に当たり、ここは血の海と化していたかもしれない。

強者なりのやさしさがあったかどうか。所詮それだけのちがいだった。


「あなたもお疲れ様」


目の前の惨事に呆然とする成瀬に、少女は手を差し伸べた。白くて細い女の子の手。それでいて、タコや傷の多い不良の手。相容れない矛盾に成瀬は少々戸惑った。

おずおずとその手を取ってみると、ぐっと力強く持ち上げられた。


「そうね……及第点というところかしら」


上げて(物理的)

落とされた(精神的)


「……ハイ?」

「及第点と言ったのよ」

「は?」

「本当に兄のように慕っていたら、助けてなんて安っぽいセリフ出てこないわ」

「い、いやそっちが勝手に……!」

「なに?」

「っ……いや……」


言いたいことは山ほどあったが、成瀬は生唾ごと飲みこんだ。

一応、少女は命の恩人だ。

邪魔者以外の何者でもなかった成瀬が、少女側につかなければ、巨漢の盾にされていたかもしれない。出会い頭に撃たれていたかもしれない。

少女の気まぐれで始まったままごとのおかげで、五体満足でいられている。


でも、なぜだろう。

及第点。監督に言われてもなんとも思わなかったのに、今は心臓をナイフで貫かれたような気分だった。


「では後始末といきましょうか」


口ごもる成瀬をよそに、少女は木刀を振りかざした。

巨漢のみぞおちにクリーンヒット。強烈な痛みとともに巨漢は息を吹き返した。


「カハッ……!」

「ごきげんよう」

「……ゥ……グ……」

「さあ、いろいろと聞かせてもらおうかしら」


不衛生な地面をいっそう汚す武器の山から、木刀のすり減った刃先で銃をたぐり寄せた。二度と敵の手に渡らぬように少女は背後へとすべらせる。ピンヒールで容赦なくグリップ部分を踏みつけた。


「この銃をどこで手に入れたの?」

「……だ……誰が言うか」

「……」

「……」

「…………はぁ」

「っ」

「ここまでされてもまだ自分の立場を理解していないようね」


しょうがないなと言わんばかりに、木刀をおもむろに巨漢の喉仏に添わせた。木の独特な温もりは微塵もない、冬の冷気に侵された刃先が、ちょんと触れるだけでも痛覚を狂わせてしまう。


「言いなさい。黙秘権はないわ」

「や……や、や、殺れるわけ……」


少女は静かに微笑んだ。

きれいで、儚く、品があり──そして、なんて、おぞましいんだろう。


「は……あ……あ……っ」

「もう一度だけ聞くわ。どこで、手に入れたの?」

「……と、とな、隣町の……や、山小屋だ……」

「誰から?」

「そ、それは……」

「誰から?」


首の動脈がひやりと震えた。


「あ、赤! 赤い爪の男だ……!」

「それで?」

「こ……このことを、か、嗅ぎ回ってる奴を……殺れって……そ、そしたら、金をやるからって……」

「そう。いつ?」

「せ、先週だ! も、もういいだろ!?」

「……そうね」

「じゃあ解放……」

「もう用はないわ。さようなら」


何の準備も覚悟もなく、振り下ろされた木刀。空間を破るようにその太い首めがけて。


「うわああぁぁぁぁぁ!!!!」


かっ切る寸前で、矛先は起動を変えた。首の横、地につく髪の毛もろとも切りつけ、アスファルトにのめりこむ。

そうとも知らずに泡を吹いて失神した巨漢に、少女はすっかり興味をなくし、ミシミシと軋ませながら木刀を引っこ抜いた。

思わず成瀬は目を背けた。その拍子に洋館の扉の奥に人影を捉えた。彩度豊かな姿かたちが、エアガンを手に、踊るように騒いでいる。


「あ、片付きました?」

「さっすが! 我らが“女王”!」


女王! 女王様、万歳!

時代錯誤な歓声は、かの少女へ降り注ぐ。


(……女王……。やっぱり……)


成瀬は確信した。

はじめからわかっていた。

わかっていたから、逃げられなかった。


天使にも悪魔にも見える、謎の少女こそ、このたまり場を司る者。


神雷4代目総長。

すべてを支配する、世界で一番美しく、危険な、女王様。


「さて、次はあなたの番ね」




――あの館は、神雷のもの。


――立ち入ったら最後……女王の贄となるだろう。




そして、扉は閉ざされた。

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