海に沈むジグラート 第48話【神のいない世界】
七海ポルカ
第1話 神のいない世界
あたりが白み始めた早朝、のそり、と倉庫の中から姿が現われた。
神聖ローマ帝国軍駐屯地はどの時間でも見張りの人間など夜勤の騎士たちはいるので、現われたフェリックスにも、すぐ数人が気付いた。団長騎であるフェリックスに対する信頼は、駐屯地における騎竜達、そして竜騎兵たちも例外なく絶対的なものだ。。
ただ、緊急事態時とはいえ、以前一度フェリックスが無断で人を乗せず駐屯地を出て飛んだことがあったため、それ以来、竜騎兵たちはフェリックスの行動を注視するようになった。
彼は幼獣時代の記憶からネーリ・バルネチアに刷り込みを起こしているらしく、規律違反を起こした時はネーリが瀕死の重傷を負った時だった。
それ以来は以前と同じように、模範的な騎竜であることから、彼の行動を監視するというより、ヴェネト王国にいる限り、フェリックスが今までにない要因で行動を起こす可能性があるので、注意しているという表現が正しい。
フェリックスはいつの間にか寝床になった倉庫から出て来ると、騎士館の入り口までやって来た。
朝食の準備はもう始まっている。水を汲もうと出てきた騎士が、入り口でフェリックスに鉢合わせて「うわっ」と思わず驚いている。
「見ろよ、フェリックスが来てる」
「ほんとだ。どうしたんだろう」
「入り口前に近いなあ~~。また入り口にめり込むつもりじゃないだろうな」
「いやあの時は二階にネーリ様がいたから会いに行くつもりでめり込んだんだろ」
「綺麗に作り直したんだからめり込まないで欲しいな~」
「フェリックス、水汲みに行きたいからそこ開けてくれるか?」
語り掛けたが、フェリックスは聞いてないようなふりをして、翼を揺らす仕草をしている。
フェルディナントの前で彼はこういう仕草を決してしないので、乗る人を竜が選ぶと言われる騎竜の中でも、特にフェリックスが気位が高いと言われる所以だった。彼はフェルディナント以外の人間は、自分の格の下に置いている。だからそういう人間達が、気安く自分に触れたり、命令を聞かせようとすると激怒するのだ。
駐屯地にいる騎竜も、竜騎兵も、フェリックスの認識の中では皆「フェルディナントの部下」なのだから。この場所では駐屯地の頂点にフェルディナントがおり、その次に偉いのは自分だ、とフェリックスは考えている。従ってフェルディナントに言われるならまだしもそこらの人間が「ちょっとそこ通してよ」と言うくらい、フェリックスは全然無視していいのだった。
竜騎兵はフェリックスの気位の高さをよく把握しているので、彼が従う意志を見せないと、諦めて聖堂の方から出入りをした。
そのうちに、入り口でとぐろを巻いて座っていたフェリックスがひょこ、と顔をあげた。
二階からフェルディナントの補佐官であるトロイ・クエンティンが支度を整えて降りて来たのである。降りて来る階段の途中で、フェリックスにはすぐに気付き、トロイは半眼になった。
「いつからいるんだ」
「十五分前くらいからです。どきたくないようで」
トロイは息をついた。
フェリックスは意志の強い竜である。彼は確かに好奇心旺盛だが、それでも隊長騎としての自覚もあるため、無意味な行動は起こす竜ではなかった。好奇心にも理由があるのである。
つまり、こんな風に入り口に陣取っていることは、何か言いたいことがある時なのだ。
意味がないのにフェリックスはこういう行動は決して起こさない。
ようやくちょっとは話の出来る奴が起きてきた、というように首を上げたフェリックスに、近づいて来たトロイが後ろを指差した。
「フェリックス。そこにいては皆が出入り出来ない。もう少しでいいから離れてください」
トロイが指した後ろを向いたが、すぐに明後日の方向を向いた。
フェリックスが人間を困らせるのは、大概彼が強い不満を持っている時だ。
俺はこんなに不満があるぞ、というのを表現しているのだ。
トロイは今朝、フェリックスがこんな行動に出た意味を考え、すぐに答えを出した。
フェルディナントとネーリの二人が、一昨日からいない。ネーリがまだ駐屯地で寝泊まりしてなかった頃は、フェルディナントが数日駐屯地に戻らないこともたくさんあったが、フェリックスは別に不満を露わにすることはなかった。しかしネーリがここで寝泊まりするようになってから、丸々一日、フェルディナントとネーリの両方もが二日間も戻らないことが初めてだったわけである。
ネーリは絵の依頼人の家に泊っていて、フェルディナントは城で起きた騒動の為に、まだ城に留まっている。
竜とは本当に目敏いものだ。
「団長とネーリ様のどちらもが戻って来なくてつまらない気持ちは分かりますが、我々に訴えてもどうにもならないですよ。お二人とも仕事なのです。聞き分けてください」
ネーリ、の名前に明らかに反応したように、そっぽを向いていたフェリックスがトロイを見た。
「睨んでもダメですよ」
ぐるぐる……と音が鳴る。
「唸ってもダメです」
音が消えた。
「団長は本日報告に戻る予定ですし、ネーリ様も絵の仕上げにじきに戻られるはずです。
団長が戻られれば飛行演習をなさるでしょうから、少し気も晴れますよ。
――さあ、どいてください。
あんまり悪さをして我々で遊ぶと、団長に言いつけますよ、フェリックス」
準備中の騎士たちがフェリックスとトロイの遣り取りを慎重に見守っていたが、数秒後フェリックスは重い腰を上げるようにして、ぐるぐる言いながら去って行った。全員がホッと安堵の溜息をつく。
「聞き分けてくれて良かったです」
「トロイ隊長、よく分かりましたね?」
「それはそうだろう……。二日間お二人が夜を空けるということが初めてだったからな。
フェリックスもどうしたんだろうと思ったんだろう」
「怖かったなあ。久しぶりにフェリックスのああいう、無言の圧力見たよ。
ネーリ様に会ってからはヒヨコみたいにぴよぴよ後ろを歩くし『クゥ!』とか子供みたいな声を出して懐いているから忘れてたけど、やっぱり団長もネーリ様もいないと元々の空気に戻るな、あいつ」
「本当はああいうプライド高そうな空気を纏ってたもんな」
「目敏いなあ~。戻って来ないなあとか思ってたんだろうか」
「でも団長が別に数日間戻らなくてもあんなことしたこと無いぜあいつ」
「そうだよな。平然としてる。やっぱりネーリ様が戻って来ないのが気に食わないんだな」
「そう考えると可愛い発想なんだが、顔すんごい怖いから入り口に陣取って『呼んで来いよこの野郎』みたいな圧力をかけてくんのだけはやめてほしい……」
騎士たちが話していると、ひょこ、と去ったはずのフェリックスが扉から顔を出した。
金の瞳で中の人間達を見ている。
「ち、違うぞフェリックス! 別にお前の悪口を言ったわけじゃない!」
「なんで覗くんだよ! もうここに見るべきものはないだろ!」
「あ~~~~~~~~! 怖い! ギューッ! って言ってる! だからなんなのその鳴き方⁉ どういう感情⁉」
「……フェリックス。退屈だからって自分を怖がる人間をからかって遊ばないでください」
トロイが呆れて注意すると、フェリックスは目を細めて大きな欠伸をしてみせた。
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