第80話 ルーナのプラン③

 ◇◇◇◇



 ルーナが女王の寝室を後にし、廊下で待っていたのは三人のステラ級だった。

 一人は兄のニコラス。

 後の二人はルーナの知己であるが、あまり会いたい人ではないのだが、どうやらルーナのことを待っていたらしい。


「お久しぶりです、ルーナ様」

「はい、クローディオ殿」

「先ほどは父が申し訳ありませんでした。ルーナ様にあのような失礼な言葉は言うべきではありませんでした。父に代わり謝罪いたします」


 緑色の髪の青年はそう言って頭を下げる。

 青年は、ホシロス侯爵家次男、クローディオ・ド・ホシロス。

 年齢はルーナの二つ年上で、かつてはルーナの婚約者であった。

 バルバトの事件以降、婚約は解消されたため、めっきり会う機会は減った。


「いえ、ホシロス侯のお考えも理解できますから。それでその、ホシロス侯は停戦に応じる余地はあるのでしょうか?」

「オルテノス側の出方によるとしか言いようがありません。父が気にしているのは領土の割譲ですから、オルテノスの要求が受け入れられなければ、停戦には応じないでしょう」


 クローディオがルーナに送る視線には、親愛の情が表れている。

 そしてもう一人。

 金髪ドリルの令嬢がルーナを睨みつけているが、ひとまずは無視することにする。


「その点は私が何とか調整します。クローディオ殿の方から、どうかホシロス侯に頼んでいただけませんか?」

「……残念ですが父の性格を考えれば、停戦は絶望的でしょう。停戦協議に参加するのは父と兄です。それに先の衝突で我々も甚大な被害を被りましたので……」


 クローディオは少し言いづらそうにする。


「そこを何とか、お願いしていただきたいのです」


 ルーナは上目遣いをした。

 それは、少なからず自身の女性としての魅力を自覚している者の仕草だった。

 守操の印が刻まれた今となっても、その容姿に、仕草に、ときめく男性は多い。

 クローディオもまた、ルーナの魅力に囚われた一人であった。

 小悪魔的なルーナの潤んだ瞳に射抜かれ、クローディオのスイッチが入ってしまう。


「分かりました! ルーナ様の頼みとあらば否はありません。父に掛け合ってみましょう」


 クローディオはそう言って、ルーナの手を取った。

 ルーナは、クローディオからの思わぬ反撃に悪寒が走る。

 それを見ていた金髪ドリル令嬢は、顔をしかめた。


「あ、あの、離していただけますか」

「ルーナ様、やはりまだ『不信』が?」

「……はい」


 男性不信。

 ルーナにとってはあまり触れてほしくない部分だが、それによって国の将来が大きく変わる可能性があるため、誰にとっても関心の対象である。

 ルーナ自身、複数の側仕えによる毎日の目視確認の義務を負わされている。


「そうですか……」


 クローディオは落胆しつつも、安堵する。

 万が一、守操の印は解除されていれば、ルーナが新しい愛を見つけたことになる。

 自分以外の男に完治されたと知った日には、クローディオはどうにかなってしまうかわからない。


「ルーナ様、どうか私に『不信』の回復のお手伝いを……」


 クローディオが何かを言うタイミングで、その手が振り払われる。


「ルーナに触るな下郎」

「くっ……」


 ニコラスがクローディオの前に立ちはだかっていた。

 クローディオは手を押さえながら後退りする。


「ルーナの幸せに貴様のような存在は不要だ。すぐに立ち去れ」


 ニコラスがルーナの前に立ちはだかり、冷たく言い放つ。


「クローディオ様! 大丈夫ですか?」


 金髪ドリル令嬢が、クローディオに駆け寄った。

 そしてニコラスではなく、何故かルーナをキッと睨みつける。


「ルーナさんったら酷いわ。クローディオ様はルーナさんを心配してくださったと言うのに。その手を振り払うなんて」

「言いがかりはやめてくれますか、ジュリア」


 金髪ドリル令嬢の名前は、ジュリア・ラ・パドアン。

 パドアン公爵家の長女であり、宰相ジャンルーカの娘。

 ナイア王家にとっては分家筋にあたり、王位継承件はルーナに続く第二位。

 年齢はルーナの一つ上である。


「ルーナさん、どうやら停戦協議を強引に、推し進めたみたいじゃない」

「強引ではありません。私は、正当な手段を用いたつもりです」


 少しだけ、か弱い乙女を演じたこともあったが、自身の力で中央貴族の賛同を集めたのだからどうこう言われる筋合いはない。


「これ以上、ナイアを混乱させるのはおやめなさい。もういい加減王太女の地位を降りたらどうかしら。今のナイアの情勢を危うくしているのは、ルーナさんだということがわからないの?」

「……ナイアの為を思ってのことです。それに今回の停戦が成功すれば流れは、大きく変わるはずです」

「それはどうかしら。ルーナさんへの見方は変わらないわ。だって女としては欠陥なんだもの。まだそこにあるのでしょう? 男性不信の結晶――『恥陰晶ちいんしょう』が」

「っ!」


 恥陰晶。

 女性貴族にとって最大級の恥辱であることから、その名がつけられた。

 ルーナは屈辱から、その顔は真っ赤に染まる。


「ふん」


 しかしニコラスは、得意げに鼻で笑った。


「……何か言いたげですわね、ニコラスさん」

「ジュリア、お前は何も分かっていない。恥陰晶があることの何がいけない?」

「は?」


 ジュリアはニコラスの言葉の意味がわからない。


「恥陰晶があるルーナは魅力的だ。いやむしろ恥陰晶があるからこそ輝いていると言っても過言ではない。恥陰晶ごと愛するのが本当の紳士というものだろうが」

「き、気持ち悪いですわ……」


 ジュリアは、滔々と語るニコラスに対し、盛大に顔を引きつらせた。

 性癖を拗らせた貴族はいくらでもいるが、ニコラスのそれはあまりに異常。

 ニコラスは端正な顔立ちをしていて、女性人気も高いのだが、婚約者ができたことは一度もない。

 その理由がこれか、とジュリアは妙に納得したのだった。


「ニコラス兄様、お願いだから、もう、やめてください……」

「? わかった。ルーナが言うならそうしよう」


 ルーナは、消え入りそうな声で兄を止めた。

 兄ニコラスは、ルーナに対する偏愛をこじらせている。

 ルーナが男性不信であるうちは、ニコラスの元から離れることはないため、ニコラスにとっては都合がいい。

 しかしルーナの幸せを願っているのも本心であるため、男性不信を乗り越えてほしいとも思っている。


「ねぇルーナさん、恥陰晶で覆われているのってどんな気分なのかしら?」

「……っ」


 ジュリアはニコラスを無視して、ルーナに問いかける。


「不信になったら、欲求不満に悩まされてしまうと聞いたわ。貴族の愛の深さを考えたらそれって不便で仕方無いわよね?」

「……そんな事はありません」


 煩わしい男性貴族から粘着されなくなる、という点では快適かもしれない。

 しかし、心は乾いてゆく。


「私がルーナさんの立場だったら耐えられないわ。その点、私はクローディオ様と婚約して愛する悦びを知ったわ。ねぇクローディオ様?」

「そう……ですね」


 ルーナとの婚約が解消された数年後、クローディオはジュリアの婚約した。

 ジュリアはクローディオの右腕にスルスルと腕を組ませる。

 片やクローディオの方は、未練がましい表情をルーナに向けていた。

 それだけで二人の関係性が想像できてしまうが、恋は盲目ということだろう。


「ルーナさんって本当にお可哀想。だって殿方を愛する素晴らしさをルーナさんは知ることができないんですもの。ねぇ、ルーナさんにも気になる殿方はいるのかしら? もちろんいる訳ないわよねぇ」


 ジュリアは蔑んだようにルーナを笑う。

 確かにルーナは恋を知らない。

 だからか、常に漠然とした不安と恐怖に苛まれている。

 いつかは、年頃の貴族令嬢らしく一人の男性貴族に恋慕し、南方のゲレンド山の雪がとけるほどの恋をしたいと思っていた。


 年の近いジュリアにマウントを取られた事もあったのだろう。



「……私にも、気になる殿方くらいいます」



 ルーナは思わず、見栄を張ってしまった。


「「え?」」


 ニコラスとクローディオが同時に反応する。

 二人は顔を見合わせ、「お前じゃないよな?」と確認し合っていた。


「そ、そんなの嘘だわ。じゃあ誰だというの?」


 ジュリアは少し焦ったように聞き返す。

 しかしルーナに、これ以上ネタが眠っているわけではない。


「秘密です。まだ用があるので失礼します」


 ルーナは少しだけ意趣返しに成功したことに満足する。

 呆然としている二人を尻目に、ルーナは立ち去った。



 ◇◇◇◇



 二人から離れてしばらくしてから、ルーナは兄に問いかける。


「……ニコラス兄様も停戦は不可能だと思いますか?」

「難しいだろうな。ホシロスが入った以上、オルテノスとまともに話ができるかどうかすら怪しい」

「そう……ですか」


 兄の現実的な言葉に、ルーナは肩を落とした。


 ニコラスは少し悩む仕草をし、その直後に突然、廊下で立ち止まった。

 ルーナは振り返って「ニコラス兄様?」と問いかける。


「……ルーナ、もういいのではないか?」

「もういいとは?」

「味方も随分と減った。口さがない者たちはルーナを悪しざまに罵るばかりだ。俺はこれ以上ルーナが傷つく姿を見たくない――」

「……」


 兄が何が言いたいのか、ルーナには分かっていた。


「――継承権を放棄してもよいのではないか?」


 兄の言葉に嘘がないのは分かる。

 自分を心配してくれているのも分かる。

 一番側にいてくれている兄が、ルーナの意思を否定してまで言うことには意味があるのだろう。

 しかしルーナにとっては、到底受け入れられることではなかった。


「……ニコラス兄様も皆と同じことを言うのですね」

「いや、だがアルベルト兄様の派閥にはセルペンスがいるし、今後、何を仕掛けてくるかわからない。このままでは停戦協議は……」

「聞きたくありません!」


 ルーナは自室の前で声を荒げてしまう。

 母も兄も誰も本気で停戦しようと考えていない。

 誰もがルーナの考えを否定する。

 自分だけ一人になってしまったような孤独感。

 一日を通してじわじわと溜まっていたドロドロとした感情が、今爆発したのだ。


「ルーナ?」

「……ごめんなさい、少し一人にしてください」


 ルーナは兄の視線に耐えきれず、逃げるように自室に入っていった。



 ◇◇◇◇



 寝室。


 ルーナは仕事を終え、側付きに寝衣に着替えさせられた。

 薄着の上着にショーツ。

 ふと、ジュリアの言葉が蘇る。


「……欲求不満、なんて」


 特定の相手はいないが、それでも性欲はある。

 ただ言葉にしたところで、ルーナには解消の仕方がわからない。


「一体どうしたら……」


 その時、側付きが扉を叩く音がした。

 ルーナは入室を促すと、側付きは一通の手紙を抱えていた。


「ルーナ様、オルテノス家のシャルカ殿から手紙が……」

「本当?!」

「は、はい」

「ありがとう、下がっていいわ」


 ルーナは、少し被せ気味に手紙を受け取った。

 時系列的に、バングウォールでの騒動の後に書かれた手紙だ。

 この手紙に停戦なんてやめる、と書いてあってもおかしくはない。

 ルーナは自分のベッドに腰掛け、深呼吸した。


(お願い……)


 ルーナは祈る気持ちで手紙を開封し、ゆっくりと読み進めていく。

 そして……


「……よかった」


 手紙には、停戦の意思は変わらないと記されていた。

 ルーナは安堵のあまり、便箋を胸にあてて背中からベッドに倒れ込む。


 その言葉の一つ一つが、ルーナに対する気遣いで溢れていた。

 本当にオルテノスの貴族なのか、それに二つ年下なのか疑わしくなるほどだ。

 しかし、心がささくれだった今のルーナには染み渡る。

 乾いた心が潤いを取り戻してゆく。


「フリージアゴールドの香り……」


 便箋からはルーナの好きな花の香りがした。

 これまでの手紙のやり取りで、既に気心は知れていた。


 貴族男子ながら細やかな気遣いができる少年。

 戦争を憎み、家族を愛し、知性溢れた気高い人。


 この少年だけは、ルーナのことを一度も否定しない。

 この少年だけは、ルーナの全てを肯定してくれる。

 一番縁遠いはずなのに、誰よりもルーナの気持ちに寄り添ってくれる。


 しかしナイアとオルテノスは、お互い憎み合う敵同士。


 ――親愛の情など抱いてはいけない

 ――気を許してはいけない

 ――馴れ合ってはいけない


(いけない、ことなのに)


 それなのに、どうしても考えてしまうのだ。

 早く会って話をしてみたい――と。


 ルーナはまだ顔も見たことすらない、オルテノス家の長男に思いを馳せる。




「シャルカ……様」




 無意識のうちに、ショーツの中、下腹部に右手を伸ばす。


 寝室には、湿り気のある、少女の――荒い息遣いが漏れ始めていた。

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