流浪の賢人とその弟子、期せずして妖女の里に帰郷する

まさつき

前編 妖魔の女、前世の因縁

 今は昔のことである。


 唐国より渡り来た道登法師どうとうほうしと云う賢人がいた。


 法師を名乗り裳付もつけまとうが、中身は不老不死の仙人である。見かけだけなら二十七歳、すれ違う女が老いも若きも腰をよじらせ、男も振り返るほどの美男であった。


 道登には童子の弟子がいた。名を制多せいたと云う。


 幼い頃から武芸に秀で、類い稀なる仙骨を持つ童子である。仙術の覚えははかばかしくないが、道登は気長に教え、制多もよく学びよく励んだ。


 道登と制多は師弟であるが、その姿はまるで父と子のようでもあった。


 そしてもう一人、天女の如き美婦がつき従った。名を美夜みやと云う。


 その正体は、変じれば真黒き大鳥の姑獲鳥こかくちょう、人の姿は産女うぶめという妖魔である。


 縁あって制多一生の友となり、大鳥となれば制多ただ一人のみを背に乗せて空を舞う。孤児の制多にとっては母の如きでもあり、美夜も大変に制多を慈しんだ。


 さてここで、そんな三人の数奇な旅路における逸話をひとつ、語るとしよう。



    §


 制多が道登の弟子となり七年余りが過ぎていた。十四歳の春頃のことである。


 一行の姿は峠を下る崖上の道中にあった。崖より見下ろす港町は志摩国の北端、今では泊浦とまりのうらと呼ばれる辺りにある町である。


 日の暮れぬうち、足早に峠を下ろうとしていた道登はふと、足を止めた。どうにも良くない物の気配を感じて、立ち寄るつもりのない港町をじっと眺める。怪訝な面持ちの師の姿に、制多が声をかけた。


「気になるんなら寄っていこうよ、御師さん」


 その隣で、美夜も神妙な面持ちで港を見ていた。制多が友の顔を覗き込む。


「いや……なんでもない」と、美夜は顔を逸らして歩き出す。


「どうした、行かぬのか? 行くのであろう、道登」


 立ち止まり、振り返って師弟を誘う。普段と違う奇妙な美夜の振舞いに、道登と制多は戸惑いながらも、港町へ下る脇道へと足を向けた。



 海の向うで、沈む夕日が赤々と燃えていた。港に停まる漁師の船が、長い影を浜に落とす。鴇色ときいろの夕映えのもと、町の通りは家路を急ぐ人々で騒がしい。


 おかしなことがあった。女たちや女連れの者ほど、足早に通り過ぎて行くのだ。何かを避け、逃げるようにも見える素振りだった。


 町に流れる不穏な気配の中、通りすがりの初老の女が美夜を呼び止めた。


「旅の人、悪いことは言わない。早く町を出るか、どこかへ身を隠しなさい」


 なぜか、女の美夜にだけ顔を向けている。流浪の者が冷たくされるのは世の常なれど、女の言葉は人への気遣いを含んでいた。同時に、不安も孕んでいる。


「この町の寺社はどちらでしょう? 宿坊しゅくぼうを頼りたいのですが」


 道登は女に尋ねた。美男に問われて年甲斐もなく顔を赤らめながら、無言で林道を指さした。そうして足早に、もう何も言わないまま三人の元を去ったのである。



    §


 女の示した方角へ足を伸ばすと、林の陰に隠れるように建つ、小さな本堂が見えてきた。境内を進むと、参道を掃き清める僧侶の姿がある。


「旅の法師で道登と申します。一夜の宿を求めて、こちらを頼った次第です」


 裳付姿の美男の法師、紫烏色しういろの衣を纏う年若い美婦、金砕棒かなさいぼうを背にした少年という奇妙ないでたちの一行を見て、年若い僧侶はしばしの間立ち尽くす。


 ふいに、本堂の奥から老いた男の声が届いた。


「粗末ないおりでよろしければ、こちらへ」


 身なりの良い、年かさの僧侶が手で招く。昭安しょうあんと名乗った寺の住持は、若い僧侶に道登一行を庵へと案内させた。ほどなくして食事まで振舞われ、道登たちは人心地をつける。


「過分のおもてなし、心よりお礼申し上げます」と、道登一同が頭を下げると、昭安もまた畏まって首を垂れた。


「どうか拙僧の話を、聞いてくださるまいか……」


 ほとほと困り果てた様子をして、昭安が語り始めたのは――



 三月みつきほど前のこと。


 海女の一人が、磯の仕事の最中に行方知れずとなった。海での生業である。そうしたことは稀には起きた。


 騒ぎと悲しみが治まる頃、町の中で娘が一人消えた。たまたま町を訪れていた行商の男がかどわかしたと疑われたが、そんな様子はなく調べは沙汰止みとなる。


 そのうちに、年若い未亡人がいなくなった。夫を亡くした悲しみに身を投げたかと思われたが、そんな気性の女ではなく痕跡もない。


 やがて、ひとりまたひとりと、女だけが行方知れずとなってゆく。


 ついには、妖魔の影を見たという者が現れる。女たちは妖魔に攫われ喰われたのだと、噂話でもちきりになった。こうなると、もう手が付けられない。とうとう女房を無くす漁師が現れて、港町は漁に出るどころではなくなった――



 話を終えて昭安は、再び額を床に擦らんばかりに頭を下げた。


「道登様、いずれか名のあるお方とお見受けいたす。どうか我らを、この町をお助けいただけまいか」


 道登の佇まいにただならぬものを感じて、助力を乞うたのである。


「お顔をお上げください昭安殿。実は通りすがりに、このあたりから不穏な妖気の流れを感じたのです。何事か良からぬことが起きているのではないかと立ち寄ったのですが、まさか女ばかりが消えるとは……」


 住持の顔がにわかに明るくなる。地獄に仏とはこのことかと、まさに光明を見出したとばかりの顔を見せた。


「なんと、そうでしたか! これぞまさしく仏のお導き――」


 念仏を唱えながら昭安は道登に手を擦り合わせた。本尊でも拝むような有様だ。やれやれとしながらも、道登は柔らに住持の肩に手を触れた。


「承知しました、お助けしましょう。まずは妖気の源を探らねばなりません」



    §


 春とはいえ、海風が吹き込む町は、夜ともなればまだ寒い。


 町中には、道登、制多、美夜、寺から出てきた三人以外の人影はない。どの家の戸口も硬く閉じられている。


「さて……どんなヤツが出てくるんだろ?」


 制多は背の金砕棒の柄を撫でながら辺りを伺った。


「まあ、見ていなさい」と、道登は落ち着きはらっている。

 美夜は静かに海を眺めた。遠く懐かしいものを見る目をしながら。


 生ぬるい夜風に乗って、やがて妖気が漂った。


 とある家の屋根の上、大きな黒いもやの塊が生じ、人型を成す。四つ足をつき、ときに後ろの足で立ち上がり、獲物を探して辺りを嗅ぎ廻る。屋根にいたかと思うと戸口に向って飛び跳ね、鼻先をあちこちに向けた。


「ひとつ招いてみるとするか」と呟いて、美夜が月明かりの中に身を晒した。


「何を?」と制多が止める間もなく、美夜は着物の裾をさっと払う。なまめかしい生足が、月明かりを受けて白く浮かび上がる。女の色香が、潮風に運ばれあたりに満ちる。


 とたんに妖魔の影が、動きを止めた。


 ぬうっと首らしきを振り向けて、真っ直ぐに美夜の前まで躍り出る。八尺ほどの背丈をした人型の靄が美夜の前でぴたりと止り、口をきいた。


「女の匂いがする、良い女の匂いだ。だがお前は……なんだ?」


 だんだんと靄は形を変えて、獣の如き様相を示した。猿のような姿であった。耳まで達する大口が、笑うように裂ける。


「お前、誰だあ?」と、妖魔が美夜に問うた。

「お主、誰じゃ?」と、美夜が妖魔に返した。


 互いに知らぬ顔なのに、何か覚えのある気配が、ふたつの妖魔の間に張りつめる。


 刹那――制多が金砕棒を構えて、美夜の前に割り入った。素早い身のこなしで、妖魔は後ろに跳びずさる。


 そうして「またな」と言い残し、妖魔は再び影と化す。風となり潮風に紛れて、いずこか山へと消え去った――



    §


 ――港町の近くだろうか。


 波にもまれながら、磯に潜って魚や貝を獲る女の姿を、美夜は見ていた。


 海女だ。あれを儂は知っておると、美夜は思いかえすように目を閉じる。


 目を開ける。部屋の中だ。


 男が見えた。夫らしき姿は、波打つように歪んで見える。自分の瞳を濡らす、涙のせいであった。


 泣きながら何かを喚く女と、何事か言いながら酒を呷る男。


 眼前の光景が涙でかすんだ。


 次に見えたのは、身重の海女が無理を押して漁に出てゆく姿であった。疲れ果て、女が浜で倒れる。下腹のあたりから血を流し……。


 我が身を語る夢であると、美夜には分かっていた。これは遠い過去、妖魔として目覚める前の、自分の生――



「――嫌な夢でも、見たのかい?」


 制多の声に、美夜は目を覚ました。嫌な夢――それとも記憶の断片か。


 すぐ横で、美夜を気遣う制多が寝そべり並んでいる。出会ったころはまだ幼さを残していた顔立ちが、青年の影を宿し始めていた。


 おのこが育つのは早いものじゃ――美夜は制多の額にほつれた前髪を払ってやる。


「よせやい」と、制多は気恥ずかしそうに立ち上がる。「朝餉あさげの支度が出来てるよ」と告げて、制多は寝間を出て行った。


 身支度をする美夜の頬を、潮の匂いを含んだ隙間風が撫でる。海辺の町を訪れることなど初めてなのに、懐かしさを感じる自分に戸惑っていた。



    §


 食事の箸を置きながら、道登は「昨夜の妖魔のことで」と切り出し、その正体について語り始めた。


 妖魔の正体が「狒々ひひ」であると、法師は断じた。大猿のような姿は身の丈八尺ほどから、大きなもので一丈あまりになる。体を覆う体毛は黒く、山中に棲む。人を襲って喰うのだが、とりわけ女を攫うことを好んだ。


「近隣の山中に潜んでいるのは間違いありません。おそらく、さらわれた女たちも狒々の住処すみかにいるはず……」と言ってから、道登は言葉を濁した。生きている保証はないと、言外に語っているのである。


「というわけで、美夜には囮になっていただき、狒々をおびき出すことにします」


 囮と聞いて、制多が声を荒らげた。


「……御師さん、それはあんまりだ!」


 美夜のこととなると、相手が師でも引かぬ態度を見せるのが制多である。


「気持ちは分かりますが、こらえなさい。なぜかあの狒々は、美夜に執着を抱いているらしい。被害を広げぬためにも、美夜の助けで釣りだすのが一番なのです」


 道登も引かない。これが最善であると、弟子に説いた。


「二人は必ず護りますから」と加える道登に、制多は渋々ながら承知をする。


 そんな制多の様子に、美夜はそっと目を細めた。


「こちらから、山中に出向いて誘うと致しましょう。制多と美夜には親子のふりをしてもらって――少しは漁師町の住人らしくしておきますかね」


 言いながら道登は並ぶ制多と美夜に向けて、印を組んだ両腕をさっと開く。


 一瞬、庵の中に風が舞ったかと思うと、男女二人は町の海女と漁師の若者といった姿に変化した。


「こっそり着いていきますから」と言って、道登は制多と美夜を、寺の裏手にある山中へと見送った。



    §


 樹木生い茂る山の中へ、制多と美夜は分け入った。いくつもの松の木を左右に見ながら、ただひたすら妖気の濃い方目指して歩いていく。自ら求めて、迷い道へ踏み込むようでもある。


「それにしても」と、美夜がふいに立ち止まる。


「歩くばかりでは埒が明かぬな。また、誘ってみようか?」


 言いながら美夜は、着物の胸元を僅かに割り、昨夜と同じく裾を払って足を見せた。仄暗い松林の中で、艶めかしい女の肌がちらりと光る。


「やめておくれよ……そういうの」


 制多は憮然として美夜から顔を逸らしてしまう。


「儂は囮役じゃ。役目を果さねばならんじゃろ」


 なだめるように、美夜が言ったとたん。にわかに、松林の空気が変じた。色濃い妖気が満ち始め、不穏な風が松の葉を揺らした。


 ざざっざざっと、枝から枝へと樹木を跳び駆ける音が近づいてくる。


 気配の源が、二人の頭上で止まった。


 思わず見上げた松の太枝には真っ黒な大猿、狒々の姿が佇んでいた。


「海人の女と子倅こせがれ……」


 音もなく飛び降りて、狒々が二人の前に立ちはだかる。狒々は襲い掛かる気配を見せず――美夜に尋ねた。


「女、その小僧はお前の子か?」

「そうさ、儂の愛しいせがれよ」


 かばう手を出しながら、美夜が答えた。


「なら……それは、俺の……子か?」


 制多は唖然とした。


「ふんっ、貴様のような猿と契った覚えはないわ」


 臆せず、美夜は妖魔に向かって啖呵を切った。すると――


「覚えがない……いや、いやいやいや、そんなはずはない……そんなはずはないぞ」


 後退りながら、狒々は両手で頭を抱えこむ。悶えるように頭を振って、右に左に松の根元に体をぶつけてまわる。


 ふいに、妖魔の動きが止まった。正気を取り戻した目で、美夜の眼を射貫いた。


「俺を忘れたのか……こふじ」


 覚えのない名を呼ばれたのに、美夜の体は呪縛されて強張こわばった。片手を額に当てながら、ふらふらと足を前に出してしまう。


「だめだ!」


 美夜をかばい押し留めようと、制多が身をさらして前に出る。だがその後ろから、人の名を呼ぶ声がした。美夜であった。


「……ごろう?」


 自分が呼ばれたとばかりに、狒々はその名を呼びかえす。


「ごろう……そうだ、俺は……ごろう、ごろうごろうごろうごろう……ああっ!」


 狒々の叫びとともに、つむじ風が巻き起こる。松の木がごうと揺れ、軋む。枝が折れ、だしぬけにはじけ飛んだ。


 眼前に飛び込んできた太枝を、制多は腕で払って打ち砕く。


 ――やがて、風はやんだ。松林に静寂が訪れる。狒々の妖気は消えていた。


「御師さん! 御師さん、どこだい!?」


 思い出したように、助けを求めて制多は叫んだ。どこからともないかすみの中から、道登が姿を現す。うずくまり、呻きながらうなされる美夜を、道登が抱え上げた。


「急ぎ、庵に戻りましょう。美夜を休ませねば」


 言うなり法師は、霞の中に三人の姿を包み隠し――


 再び一行が現れたとき、目の前にあるのは寺の庵であった。



 美夜を寝間に休ませてから、制多は師に狒々とのやり取りを語った。


「おかしなことを、言ってたんだ……」


 師弟は、うなされるままの美夜に目を落とした。


「単なる女への執着かと思っていましたが、違うようです。美夜と狒々の間に、何か因縁があります。とても古い、因縁が――」


 浜より渡った潮風が、松の枝を吹き抜けた。

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