折織累は見逃さない

黒田忽奈

1

 信号が緑から赤へと変わった。

 私はそれを見て歩調を緩め、横断歩道前で立ち止まる。信号機や電線は夕暮れの太陽に照らされて長い影を地面に落としていた。今は下校時刻だ。

 私の目の前には、生徒が一人いた。うちの高校の制服だ。後ろ姿しか見えないが、髪は黒くて短い。横断歩道の前で、信号の明かりを見上げているようだった。

 私は足元の点字ブロックを踏まないように位置取って、ガードレール脇に立つ。

 その時、妙なことが起こった。

「………………?」

 少し前にいた生徒が、赤信号の横断歩道を渡り始めたのである。

 私は驚いて、咄嗟に周囲に車がないかを確認した。市街地の十字路であったが、この道は普段からさほど交通量が多くない場所であったため、信号無視の生徒が轢かれるようなことはなかった。

 私はその生徒を注意しようと思ったが、そのために私まで信号無視をするわけにはいかない。私は赤信号が青へと変わるのを待ってから、少し先を行く生徒を追いかけた。

「すみません!」

 後ろから呼びかけると、生徒が振り返った。制服の襟元のバッジの色から、自分と同学年だと分かった。生徒の顔を見れば、何度か廊下ですれ違ったことのあるような気もする。

「……何?」

 生徒は恐らく私のバッジを見て同学年だと判断する間を取ってから、面倒くさそうに口を開いたのだった。

「あなた、何で、その……」

「私が信号無視をしたこと? 悪かったね」

「違う。いや信号無視が悪いことだっていうのは、それはそうなんだけど」

 私は今見たことを相手に伝える。

「あなた、わざと信号無視した?」

 生徒は怪訝そうにこちらを見つめ返してくる。

「わざとって……わざとじゃない信号無視があるの?」

「あなた、よね? なんで赤になってから渡ったの?」

「………………」

 私はそう指摘した。先ほどこの生徒は、青信号の間に横断歩道の前で立ち止まり、赤信号になってから渡り始めたのだ。急いでいるから信号無視をしてしまうというのは分かるが、わざわざ青信号で立ち止まってまで赤信号を無視する理由はなんだろうか。

「君の見間違いじゃない? 私は普通に歩いてて、偶然目の前の信号が赤になったから、そのまま渡ったんだよ」

「いや、あなたは間違いなく青信号で立ち止まってたよ」

 人が動いているか、止まっているか。遠目では確かに見間違えることもあるだろう。しかし私はその点、間違えていないという自信があった。

 私が迷い無く見つめ返すと、生徒はやれやれといった風に白状した。

「君の言う通りだ。私は渡りたくて赤信号を渡ったよ」

「どうして」

「このあたりは住宅街だ。全方位が家。西日が入る家に住んでいる人はしっかり目撃することができただろうね。穂向高の制服を着た生徒が信号無視をしている様が」

 穂向高というのは私たちの高校の名だ。

「わざわざ交通違反する姿を見せつけて……学校の評判を落としたいってこと?」

「別に? 評判はどうでも良いけど。まぁこの辺りに住んでいる人は古くから住んでる人ばかりで、つまり夕方から居間でテレビ見てるしかないような老人ばっかり。年寄ってのは学校に苦情を入れるのも趣味だからねぇ。明日は学年集会かな」

「学年集会……」

 私はその言葉にムッとする。学年集会。嫌な響きだ。近所の人から苦情が舞い込むなどした際に、帰りの会を延長して行われるあれだ。学年主任から全員まとめて怒られる、あれだ。

 あれがあると稽古の時間に遅れてしまうのだ。良い迷惑である。

「わざわざ学年集会を起こしたいってこと? どうしてそんなことをするの?」

 私は好奇心2割、苛立ち8割で問いただす。生徒は頭の後ろで腕を組んでみせた。

「君みたいに正義感の強い人には分からないよ」

 そう言い終わるや否や、生徒は踵を返して走り出してしまった。

「あ、待て!」

 私は少しだけ追いかけたが、生徒は道の先にあった別の赤信号も突っ切って行ってしまった。私はまた横断歩道前で立ち止まらざるを得なくなる。

「………………」

 名も知らぬ不良生徒はすぐに見えなくなってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る