叢原の火

千猫怪談

第1話 ケチ火

 実家に帰省する時の事だった。せっかくの長期休暇だと言うのに朝から何もやる気が起きず、だらだらと過ごしてしまったせいで、家を出たのは既に日が沈む頃合いだった。


 最寄駅から八王子に出て、中央線の松本行きに乗りかえてからボックス席に座る。一日無駄に過ごしてしまったな、と考えながらだらだらと窓の外を眺める。と言っても既に日が沈んでいるせいで殆ど何も見えないのであるが。


 学生時代最後の長い休暇ということもあり、金は無い割に時間はあった訳なので鈍行電車で帰省する事を選んだ。ここから実家のある駅までは二時間ほどかかるのだが、ぼうっとしているうちにすぐに到着するだろう。


 ふと向かいの席に目を遣ると、雑誌が置き捨てられていた。前に座っていた乗客が置き忘れていったのだろう。大して興味は湧かなかったがそれ以上にする事も無かったので手を伸ばしてみた。


 月刊誌なのか週刊誌なのかも分からぬが、表紙には『禍話怪談』と書かれている。恨めしそうな表情で長い舌を伸ばしている和服の女と鎧を着て背中に何本もの矢が刺さっている男が写っている。なんとも趣味の悪い雑誌である。


 特に読みたい訳でもなかったのだが。それ以上にやることも無かったので、なんとなく雑誌を手に取りページを開いた。見開きの絵が飛び込んでくる。悍ましさを誇張したようなおどろおどろしい絵に、細かい字で怪異が書き連ねられていて軽く辟易した。


 さして興味も湧かないままパラパラとページを捲っていく。するとそこに、見覚えのある文字が目に飛び込んできた。


 『怪奇!●●峠に浮かぶ鬼火の怪』

 

 ●●峠か、ちょうど今電車で通っているあたりではないか。そこで漸く興味が出てきたので読み進めてみた。その記事はこんな内容が書き連ねてあった。


***

 

 ●●峠。その名を耳にすると、地元の人々の間で恐れとともに囁かれる奇怪な噂がある。この峠を越えた先、森の中にそびえ立つ古びた鉄塔と、脇にひっそり佇む小さな木造の小屋が、その噂の発信地だ。近年、この場所で「鬼火」と呼ばれる怪奇現象が相次いで目撃されている。


「●●線の車窓から見たんです。青白い光が鉄塔の周りを漂っていて、まるで踊るように動いていました」と語るのは、地元在住の男性。目撃情報によれば、鬼火は夜間、とくに月明かりのない夜に頻発するという。その光は青白く漂う様子が目撃されており、見た人々は「急に寒気を感じた」「背中に誰かが触れたような感覚がした」と話している。


この地が怪異の舞台となる背景には、戦国時代にまでさかのぼる歴史的な悲劇が隠されている。●●峠一帯はかつて激しい戦が繰り広げられた合戦場だったとされる。歴史書や地元の伝承によれば、この場所では大勢の兵士たちが命を落とし、その多くが手厚く葬られることもなく放置されたという。


「敗北した兵士たちの無念や恨みが、この地にいまだ漂っているのでしょう。武士や兵士が祟るその火は、ケチ火やジャンジャン火とも呼ばれ、死者の霊が火の玉に姿を変えるという伝承は各地にあります。ここ●●峠で見られる鬼火もそのうちの一つと考えられます」と語るのは、地元の郷土史家B氏だ。鉄塔のそばではこれまでにも、電子機器の異常や謎の音が聞こえるといった怪現象が報告されている。


――果たして、●●峠に浮かぶ鬼火は自然現象なのか、それとも怨霊たちの仕業なのか。その真相は定かではないが、軽い気持ちで足を踏み入れる場所ではないことは確かだ。もしもどうしても真相を確かめたいのなら、必ず複数人で、慎重な準備を整えたうえで訪れることをお勧めする。

 

 ***


 本章はそう締め括られていた。どこかで聞いたような話だと、それ以上の感想は持てずに雑誌を閉じた。


 改めて窓の外に目を遣る。


 長いトンネルを抜けると、深い暗闇が支配する山間が窓の外に広がった。微かな月明かりは木々に阻まれ、その景色は昏い。

 

 その時。

 

 ガタン。


 突然電車がスピードを緩めて停車した。まだ次の駅にはついていないはずだった。何かトラブルがあったのであろうか。


 『お客様にお知らせします。ただいま、この先の線路上に異物を検知したため、当車両は一時運行を見合わせています。安全を確認していますので発車までの間、少々お待ちください』

 ああ、ついていないな、そんな風に考えながら座席に深くもたれ掛かれ、車両の連結部分に視線を移すと。

 

 ──チリン。

 

 車両の扉が開き、不思議な男がこちらにやって来た。

 黒いスーツに黒のボーラーハット、燕脂色の革手袋という出立ちに、皺の目立つ顔の男だった。皺があるが目鼻立ちはくっきりしており、すらっとした細身である。その不思議な風貌で一目で異質なものであると感じた。男はゆっくりとこちらに近づき、音も立てずに向かいの席に座った。


 「急に停まっちゃいましたねェ、まあじきに動くでしょう」

 いきなり話しかけられたので面食らってしまった。言い淀んでいるうちに再び男は口を開いた。


 「ああ、いきなりすみませんねえ、ついつい暇でしたもので。ヒヒッ。おや、その雑誌、見ましたか。しかもこの峠の鬼火のお話じゃありませんか。兄さんも気になりました?イヒヒ」


 男は私の手元を覗き込んで気味の悪い声で笑い声を上げた。突然話しかけられた挙句、不躾に手元を覗き込まれたのだから、気分がいい訳がない。それに、雑誌を見ていたのだって別に好き好んで持っていた訳ではないのだ。


 それでも、わざわざこの正体不明の男に丁寧に弁明するような義理もないのだから黙っていた。気づかないうちに不機嫌な顔になっていたのだろう、また男が口を開いた。


 「おおっと、気を悪くしないで下さいね。こうした性分なもんで目についたもんはなんでも話ちまうんですよ。それに、ほら、見えません?アレですよ」

 そう言うと男は窓の外に目を遣った。窓の外には暗闇が広がっている。


 「な…何ですか?何も無いじゃないですか」

 なんとかそれだけ口にするが、男はじっと外の一点を見つめている。


 そちらの方へ目を凝らして見てみると、次第に景色が浮かび上がって来た。山の丘陵を遮るように人工物の直線が縦に伸びている。細く、長いそれは銀に混じった赤茶色が鈍く微かに光を反射しているようだった。どうやらそれは古びた鉄塔のようだ。


 そのまま視線を落とすと、一軒の小さな建物が見えた。灯りはついていない。古い小屋の様子から人が住むようなものではないのは明確だった。それはつまり。


 「そう、例の鬼火の出るところですよ」

 私の思いを察したように男は言葉を放った。私は、まさかと思いながら、食い入るようにその景色を見た。その様子を男に見られるのは癪に障ったが、好奇心には抗えなかった。


 するとそこに。


 ぼんやりと炎が上がった。赤く、弱々しい光であったが、僅かに揺らめいている。見てはいけないものを見てしまった。そう思うと体が金縛りにあったように凍りついた。それ以上に、不思議と目を逸らすことが出来ない。


 「イヒヒヒ、見えました?よく燃えていますねぇ。本当にあったなんて驚きですねぇ」

 いやまさか。姿が見えないだけで誰かが灯りを灯しただけじゃないのか?しかし本物だったとしたら…?


 「ところで兄さん」

 私の思考を遮るように男は話を続ける。


 「あれは、どんな顔してると思います?」

 男は低い声で尋ねてきた。私はその光景から目を逸らさないまま観念したように答えた。


 「ぶ、武士達の…怨念とでも言うのでしょうか…怨みとか、生に対する執着とか…?」

 「ヒャハ、やはりそう思いますよねェ」

 男は嬉しそうな声をあげた。何がそんなに面白いのだろうか。いや、私は何を言っているのだ、顔なんて見えるはずないじゃないか。


 「大丈夫、あってますヨ。ありゃあケチ火ですわ。鬼火の一種で御座います。しつこくこの世に未練タラタラの、燃えてユラユラすることしか出来ねぇしみったれた悪念の炎でさぁ」

 やはりそうなのか。この地に眠る武士の霊、怨念が今も無念を晴らそうと燃えているのだろう。いやしかし、本当にそんなものが。あるはずないじゃないか。

 

 ──ガタン。

 

 電車が動き出した。

 「やっと動きましたねぇ。それじゃ、お邪魔しました。イヒヒ、ヒャヒャ…」


 私は未だその炎から目を逸らすことができなかった。電車が進み、その灯りを通り過ぎる最後の瞬間、ぼんやりとした炎が一瞬強く燃えた。そして、その炎の中に人の顔が現れた。


 そこに映し出された顔は。


 自身の炎に焼かれるかの如く、苦悶の表情をしていた。


 男は電車が動き出すとさっさと席を立ってしまった。

 こうして私は帰路に着いたのだった。

 ある年の暮れに体験した、不思議な出来事だった。

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