第3話 お華さんは辰ジイと幼馴染の同級生

 日本ダービー翌日の月曜日。

 賢一郎はいつものように勤め先に出勤する。勤め先は有楽町にある中堅の広告代理店。そこの営業部で、学校法人を相手に学生募集用の新聞・雑誌・交通広告を担当している。この日の午後はお得意先まわりで、新宿区にある専門学校に立ち寄ったあと、直帰する予定だった。

 要町駅で地下鉄を降りたとき、辰雄の様子が気になり、自宅に帰る前にグリーングラスに立ち寄ることにした。

 あんじょう辰雄は、カウンターに座ってマスターと話し込んでいた。


「昨日は大変でしたね」辰雄に声をかけながら賢一郎は隣に座る。

「賢さんか。昨夜ゆうべは、大変なことにつきあわせてしまって、すまなかったなぁ」憔悴しょうすいしきった様子は、昨夜と変わらない辰雄だったが、いくぶん元気をとり戻したように見える。

「別にいいですよ。そんなこと、気にしなくても」

「悪いなぁ。でもさぁ、俺は、いまだに信じられねぇよ。お華さんが死んじまうなんて。ねぇ、マスター、そうだろう」

 どう返事していいのか、困ったマスターは、「ええ」とただうなずく。

「俺がもう少し早く気づいて、お華さんちに行ってりゃあ、こんなことにはならなかったんだ。俺が……、俺が悪いんだ……」辰雄は、目に涙を浮かべながら自分を責める。

「そんなことありませんよ。あれは事故ですよ。仕方ありませんよ」どうにかして辰雄を慰めたい賢一郎がきっぱりいいきる。


「なんだぁ、あんたも、事故だと思ってるんだ」意外だという表情を浮かべて辰雄が反論する。

「そうじゃ、ないんですか?」

「いや、警察も事故だと考えてるみたいだけどなぁ。昨夜、俺から聴くばっかりで、詳しいこと、なんも教えてくれねぇからよ。今朝けさ、警察に話を聴きに行ったんだ。やっとこさ、昨夜の刑事をつかまえて聴くことができたんだ――」

 辰雄が仕入れてきた情報によると、華の死因は、後頭部をリビングに置かれた強化ガラス製のテーブルの角に強くぶつけたことによる脳挫傷。死亡推定時刻は、前日の土曜日の午後6時から9時の間。玄関がロックされ、チェーンまでかけられていたことと、物盗りによる物色など、部屋の中が荒らされた形跡がまったくなかったことから、華が自分で転んでテーブルの角に頭をぶつけて死亡したものと、警察ではみているようだった。


「でもさぁ、俺には、あのお華さんが自分で転んで死んじまったとはとても思えないんだよ。お華さんは達者たっしゃで、頭も身体もしっかりしてたんだ。そのお華さんが自分で転んで死んじまうはずがねぇじゃねぇか。なぁ、賢さん、そう思わないか?」

「……」なんとも答えられない賢一郎は、話題を変えるため、華について質問することにした。


「ところで、辰ジイ。お華さんは、おいくつだったんですか?」

「75。俺とおなとしだよ」

「えっえ! 辰ジイと同い齢なんですか。とてもそうは見えませんね。どう見ても辰ジイのほうが10歳は上だと思ってましたよ」

「そうだろうよ。お華さんは、綺麗で若く見えたからなぁ。そう見えるのも無理はないよ……。俺とお華さんとは、家が近所の幼馴染だったんよ――」

 それから辰雄は、華との思い出を語り始める。


 辰雄と華はともに要町で生まれ育つ。華の家が辰雄の工務店の近くにあり、子どもの頃から互いによく知る幼馴染。同じ小学校、中学校に通う。

 幼い頃から才色兼備の華は、クラスのマドンナ的存在で人気者。ガサツな辰雄にも分け隔てなく仲よくしてくれた。そんな華に辰雄は密かに憧れていたようだった。

 中学卒業後、辰雄が家業を継ぐため都立の工業高校に進学したのに対し、成績優秀だった華は都立の進学校に進み、卒業後、難関の国立大学に入学する。

 大学卒業後、華は国家公務員に採用され、文部省(現文部科学省)の役人として定年まで勤める。勤め始めた頃、父親が亡くなり、これまで住んでいた家を引き払い、母親とともに官舎に移り住んだことで、辰雄とは疎遠そえんになってしまった。

 職業柄転勤が多く、全国各地に赴任したらしいが、退職を機に、母親とともに生まれ育ったところに戻りたくなり、今のマンションを購入して暮らすようになったようだ。その母親も12年前に他界し、それ以来、ひとりで暮らしていた。


「実はさぁ、今だからいうけど……。俺、お華さんに結婚してくれって、頼んだことがあったんだ」

「えっー、ほんとですか? 辰ジイがお華さんにプロポーズしたんですか?」驚いたマスターがカウンターの中から身を乗り出す。

「あぁ、ほんとだとも。俺も、5年前に連れあいに先立たれ、ひとり身だったからよ。思いきって、それこそ、清水きよみずの舞台から飛びおりる気持ちで、お華さんに結婚を申し込んだんだ」

「それで、お華さんは?」マスターが興味津々きょうみしんしんに尋ねる。

駄目だめだって。あっさり断られちまったんだ。年寄りが結婚なんぞしたら、まわりに不幸の種、まき散らすだけだって。お華さんのことだから、俺のせがれや嫁に気を遣ったんだと思うよ」

「それで、辰ジイはどうしたの?」賢一郎も身を乗り出す。

「どうもこうもないよ。諦めるしかなかったよ……。お華さんがいってることももっともだし……。でもさぁ、俺のことは好きだっていってくれたんだ。結婚なんぞしなくても、これからも一緒に楽しいことできるんだから。それでいいじゃないかって……」


 残念そうに話しながらも、辰雄の顔がいくぶんほころんだように見える。黙って聞いていた賢一郎がそっとささやく。

「辰ジイ、無理やりお華さんちに押しかければよかったんだよ」

「俺も、それ考えたさぁ。無理やり押しかけて一緒に暮らそうと……。でもさぁ、できなかったんだ。今のままがいいって、お華さんがいうもんだからよぉ。

 でも今考えりゃ、あんとき、俺が押しかけて一緒に暮らしてたらよぉ、こんなことにはなんなかったんじゃないかって。あんとき、おっ、俺が……、お華さんになんていわれようが……、押しかけてれば、あっ、あんなことには……」嗚咽おえつを始めた辰雄を慰めようがなく、賢一郎とマスターはただ見つめているしかなかった。


 辰雄が落ち着くのを待って、賢一郎が質問を再開する。

「お華さんは、これまで結婚は?」

「30ぐらいのとき、職場の同僚と結婚したらしいが、3年ほどで離婚したようだ。それ以来、ひとりだって、いってた。子どもはできなかったらしいよ」。

「それじゃあ、お華さんには、身内がいないの?」

「いや、齢の離れた兄貴がいたんだ。もうとっくに亡くなってるんだけど。兄貴といっても、父親の連れ子で、お華さんにとっちゃ異母兄なんだ。その兄貴が、継母との折りあいが悪くて、お華さんが中学の頃、家を飛び出したきり、疎遠になっちまったようだ。その兄貴の息子が千葉のほうに住んでるっていう話、聞いたことがあったなぁ」


「その人は、お華さんのおいにあたるわけですね。その甥っ子さんに連絡は?」気になった賢一郎が尋ねる。

「いや、してねぇ。だって、名前も連絡先もわかんねぇからよ。しようがねぇよ。

 実は、さっき、俺に変なとこから電話があってさぁ。エヌ・ピーなんとかちゅう、ようわからん名前のとこでさぁ。お華さんのことで話したいっていってた。

 難しい話は俺にはようわからんから、マスターか、賢さんにつきあってもらおうと思って、その人にここに来てもらうようにしたんだ」

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