ビルのおじさん

「黒木くん、ボクのところに通ってるうちにちょっと鋭くなったんと違う? 霊感的なやつ」

 などと志朗に言われても、当然ながら黒木はまったく嬉しくない。

 見た目は「歩く仁王像」とか「モビルスーツ」などと評されるものの、生来彼はビビリである。ビビリゆえに、お化けの類などは見えないに越したことはない――と思う。

 思うのだが、何かしらの感覚が鋭くなっているのも、また事実らしい。


 半年ほど前から、志朗が通っているビルがある。むろん「よみご」の仕事のためだ。

 事務所のある街から車で二十分ほど、繁華街から少し外れた場所に、そのビルはある。七階建てのやや古い建物で、その三階の一室に、志朗は定期的に出入りしている。

 全盲の志朗は車の運転ができないから、送り届けるのは黒木の役目である。加えて一応ボディガードということになっているから、現場である三階のオフィスまでついていかねばならない。それはいい。仕事だから文句を言う筋合いはない。ないのだが。

 黒木はそこのエレベーターがどうにも苦手だ。

 乗った瞬間、単に狭い、というだけではない「圧」のようなものを感じる。自分と志朗以外には誰も乗っていないはずなのに、まるで見えない誰かが背後にぴたっとくっついているような気がして、なんとも気持ちが悪い。

 ――という話を、何の気なしに志朗にしたところ、ニコニコしながら言われたのが冒頭の台詞である。嬉しくない。

「志朗さんがそんなふうに言うってことは、あそこ何かいるんですか?」

「いるいる。作業着姿のおじさんが、奥の壁の方向いて立ってるよ」

 志朗は平然とそう言い切った。

 黒木はため息をついた。やっぱり、こんなふうにはっきりさせない方がよかったかもしれない。知らぬが仏という言葉もある。

「まぁ知っちゃったもんはしょうがないよね」

「志朗さん、心読まないでくださいよ」

「黒木くん、わかりやすいけぇ。まぁー、大丈夫でしょ! あのおじさん、基本は他人に興味ない感じだから」

「はぁ……志朗さん、おじさんには何もしないんですか?」

「せんなぁ。仕事として頼まれたらするけどね」

 どうやら、そこら辺の「こういうもの」に片っ端から手をつけていったら、キリがないらしい。そこまではわからなくてよかった……と黒木は思う。


「あ」

 ある日、くだんのビルの一階で、エレベーターの扉が開いた瞬間、志朗が声をあげた。

「どうかしました?」

「黒木くん、ちょっと車に戻ろ。忘れ物しちゃった」

 そう言うが早いか、志朗は踵を返して歩きだす。

 黒木は慌ててついていった。背後でエレベーターの扉が閉まる音がした。

(忘れ物って何だ?)

 志朗の仕事は、大抵の場合巻物さえあれば成立する。その巻物は志朗のボディバッグに入っているはずだから、忘れようにも忘れようがないのだ。にも関わらず志朗はスタスタとビルの外に出、自動ドアが閉まった途端、いきなり「びっくりしたねぇ」と黒木に話しかけてきた。

「何にですか?」

「いや、いつもここのエレベーターに乗ってるおじさんの話、したじゃない」

「ああ、壁側を向いてるっていう」

「そう、そのおじさんが今日に限ってこっち向いててさ」

 こっち向いてて、と聞いたとたん、黒木は背筋に冷たいものを感じた。

「いや、おじさんめちゃくちゃ怒っとったけぇ、よくないなぁと思って。忘れ物ってことにしてビル出てきちゃった。ははは」

 朗らかに笑っている場合ではない、と黒木は思う。

「黒木くん、今日は階段で行こうか。エレベーターの横にあるでしょ?」

「ああ、ハイ。あります」

「じゃあそっちで。あのおじさん、次までにまた壁の方向いとったらええなぁ」


 仕事自体は十分もかからずに終わった。当たり前だが、一階に戻らなければならない。

「志朗さん、帰りも階段ですか?」

 黒木が尋ねると、志朗はうなずいた。

「うん。階段の方のおじさんは、ちゃんと壁側向いとったけぇ」

「階段にもいるんですか!?」

 やはり知らぬが仏ということはある。

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