第3話 過去との対峙
ゴミ袋がいくつか部屋の隅に積まれるだけで、陽一の部屋はほんの少し広がりを見せていた。しかし、散らかり放題だった床がわずかに姿を現すと、その汚れがかえって目立つようになり、陽一の心に奇妙な不安が広がる。
「片付けたはずなのに、まだ汚いな……」
彼は床に目をやりながら呟いた。部屋の空間が開くたび、自分の惨めさが一層露わになる気がして、陽一は胸を押しつぶされるような感覚に襲われた。
午後の日差しがカーテンの隙間から差し込む。光が当たったのは、押し入れの扉だった。いつから開けていないかもわからないその扉に、陽一は自然と目を奪われた。
「……押し入れの中、どうなってるんだっけ?」
意を決して扉を開けると、鼻を刺すカビの匂いが一気に広がる。思わず顔を背けながら中を覗くと、そこには忘れていた「過去」がぎっしり詰まっていた。
最初に目に入ったのは、黄ばんだ段ボール箱だった。マジックで「思い出」と書かれた文字が、今となっては滑稽に見える。陽一はその箱を慎重に引き出し、蓋を開けた。
中には、大学時代の写真や古いアルバム、そして捨てられなかった子供の頃の玩具が雑然と詰め込まれていた。その一番上に置かれていたのは、一冊の黒い手帳だった。陽一は手帳を手に取り、ページをめくる。
そこには、大学時代の恋人・美紀とのデートの記録が細かい字で書かれていた。二人で行った映画、カフェ、そして旅行の思い出。手帳には、美紀が書いたメッセージまで残されていた。
「陽一くんと一緒にいると、何でも楽しい!」
手帳を握り締めたまま、陽一は動けなくなった。胸の奥から湧き上がる後悔と喪失感。それは、この10年の間、彼が見ないようにしてきた感情だった。
「……捨てられるわけないだろ、こんなの。」
陽一は手帳をそっと元に戻し、箱の中をさらに掘り返した。次に出てきたのは、彼女が一緒に選んでくれたマフラーだった。薄汚れてはいたが、その鮮やかな赤色は記憶の中で鮮明だった。
「これを捨てたら、美紀との思い出まで消えてしまう気がする。」
そう考えると、陽一の手は止まったままだった。
しばらく呆然と座り込んでいると、スマートフォンが振動した。画面を見ると、玲奈が投稿した最新のブログ記事が通知で届いていた。
「大事なのは、モノではなく、心に残る記憶です。」
その一文を読んだとき、陽一の心に小さな衝撃が走った。
「心に残る記憶……」
陽一はもう一度、手帳とマフラーを見つめた。思い出は確かに大切だが、これらのモノを残しておくことで自分はどう変わるのか?その問いが頭をよぎる。
彼は意を決してマフラーをゴミ袋に入れた。心がちぎれるような感覚だったが、それと同時に、どこかすっきりしたような気持ちも生まれた。
「美紀との思い出は、俺の中に残ってる。それなら、このモノはもういらないはずだ……。」
次に陽一が手に取ったのは、母親からもらった手紙の束だった。母が亡くなる前、病室で書いてくれた最後のメッセージ。
「陽一、どんなことがあっても、自分を大切にね。」
その一文を読んだ途端、陽一の目から涙がこぼれ落ちた。手紙を握り締めたまま、彼は声を上げて泣いた。母が最後にくれた言葉を、彼はずっと聞こえないふりをしていた気がした。
「俺……ずっとダメな息子だったよな……」
陽一はしばらく泣き続けた後、手紙を丁寧に箱に戻した。これだけは捨てられない。それでも、手紙を読み返すことで、母との思い出が自分を支えてくれると感じた。
夜になり、押し入れの整理はほとんど終わった。部屋の中に広がっていた「過去」は、次第に小さなゴミ袋にまとまっていった。陽一は床に座り込んで、静かに部屋を見回す。
「あの時捨てられなかったものが、今の俺を縛り付けてたんだな……」
彼はそう呟きながら、ゴミ袋を一つずつ持ち上げた。その重みは、これまで自分が抱えていた過去の一部を象徴しているようだった。それでも、袋を捨てることで、その重さを手放せると信じられた。
玄関を開け、冷たい夜風を受けながら、陽一はゴミ袋を持って外に出る。静かな夜の闇の中で、彼はゴミ捨て場に足を運んだ。袋を置いた瞬間、不思議な解放感が体を包んだ。
「明日は、もっと捨てられるかもしれない。」
少しだけ軽くなった心と部屋を感じながら、陽一は初めて穏やかな気持ちで眠りについた。過去と向き合い、手放すことの意味を知った一日だった。
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