EP033

私はみるみるうちに精神的に衰弱していった。

その影響は、現実的に肉体にも表れる。


やる気が失せ…、身なりにも気を使わなくなり…。

食欲は極端に減退…、おのずと体重も減る…。

ソファーに座っていることすらも億劫になり…、直ぐに横になってしまう…。






この私の変化にアリスはいつも気遣った言葉をかけてくれた。

心配した声色で優しくなだめるように。


アリスの言葉は、今の私にとって何よりの薬。

それだけで鬱々とした気分が上がる。





ただ、

前のように体調を管理することはなかった。

体のためにと、栄養やサプリメントを勧めることもなかった。

静かに私の側に寄り添っているだけ…。

私の先が分かっているかのように見守っているだけ…。


『アリスには、何でもお見通しだからな…。』





私は後天的に障害をこうむることとなった。

それも脳にだ。


奇跡的に回復したとは言え、健常な脳と比べれば酷使しているのは間違いない。

コンピューターでも能力目一杯の状態で酷使し続ければフリーズしてしまう。

たぶん…、

私の脳も…。





しかし、

こんな私の体調とは裏腹に私の欲望は、どんどん強くなっていった。

深くなっていった。

その心と体のちぐはぐがまた、私の気分を下げる。


『私は何を望んでいるのだ…。』


私の壊れた脳は、何かを補うために、何かを望んでいる…。


『いったい何を追い求めているんだ…、私の脳は…。』















私は、一日中寝込むことが多くなった。

精神的、肉体的に重い倦怠感が、私にのしかかる。

根を生やした怠惰が、私を縛りつける。


結果、私は必要最低限の行動しかしなくなる。

否、できなくなる。





人間というものは気力を消失すると何もできなくなるものだということを、初めて知った。

気力がなくなった人間でも欲求だけはどんどん強くなることを、初めて知った。

その強欲だけが生存する支えであることを、初めて知った。





ベッドに沈み込むようになって横たわる私の側に、アリスはいつも付き添っていてくれた。

ベッドの私の横たわる頭の近くに腰掛け、片方の手で私の髪に触れながら、何時間も何日も、片時も離れることなく私の側にいてくれた。

小言を言うわけでもなく、たまに小声で私の好きな歌を口ずさみ、私の気持ちを安らかにしてくれる…。


柔らかく揺れる長い髪…。

優雅に腰掛ける姿…。

優しい眼差し…。


その神々しさは、生きる屍同然の私に安寧をもたらした。















どれほどの時間が屍のような私の上を越えていったのだろうか…。

終末を迎えるような生活の中、私の抑え込んだ精神は限界をむかえようとしていた。


私は声に出し私の思いをアリスに訴えようとする。

しかし、長らくの怠惰な生活は私に声の出し方すら忘れさせていた。

私の脳の崩壊はより進んだようだ。


『では…、筆談で…。』


そう思ったところで、ペンすらを持ち上げる力さえ、残っていない。

私は自分の意志を伝える術を全て失っていた。

光のない絶望が私を覆いつくす。

消せない願望が私を壊していく。

捨てられない欲望で濁った目を、アリスに向けるのが精一杯だった。


いつもと変わらぬ美しいアリス…。

すぐそこにいるのに触れることすらかなわないアリス…。


私はアリスを凝視する目を枯れかけた涙で潤ませるしかできなかった…。
















「ジロ、辛そうね。」

「…。」


私の喉からは声はでなかった。

アリスに向かってほんの小さく頷くことが精一杯だった。


「ジロ、楽になりたい?」

「…。」


アリスの言う言葉の意味を汲み取れなかったが、私は先ほど同様にアリスに向かってほんの小さく頷いた。


「ジロ、今度は私の世界に来ない?」

「…。」


この言葉の意味も分からなかったが、同じように小さく頷いた。


「私の世界の方がジロには向いてるかも…。」

「…。」


また、小さく頷くだけだった。


「ジロ、そうする?」





私は…、

頷くだけしかできなかった…。


 














アリスは、その美しい瞳で私の顔をジッと見ていた。

その整った顔が私の顔を覗き込んでいた。

私からはアリスの顔がぼやけてしか見えない。

眼鏡をかけていないことも、目に溜まった涙や目ヤニのせいかもしれない。

それ以上に、私の目は視力を著しく失っているのかもしれない。

否、

もう目が見えなくなっているんだ…。


『私はもう…。』





そう思った時、アリスが動き出した。





≪続く≫







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