EP031

「ジロ、朝よ。起きて。」


朝、いつもの時間にアリスが私を起こしに来てくれる。

アリスの優しい声は、私に心地良い目覚めを与えてくれる。


「今日もいい天気よ。」


窓のペアガラスの間に埋め込まれているモニター。

そのカーテンモードから、UVカット機能を搭載した透明のガラスモードになる。

そこから見えるのは朝露が朝日に照らされてキラキラと輝く庭の草木。

モニターのガラスモードは、完全な透明ガラスではなく、外光に合わせて室内の人間が眩しくないように自動的にカラー調節を行っている。

そして、補正加工を施した映像を見せるようになっている。

だから、本当は雑草が伸び放題のはずの庭も、気にならない程度に補正された映像として私の目に入っている。

なぜここまでのことをしているのかと言うと、両親の体が不自由になっても、余計な事を心配することなく生活を送ってもらえるように考えた上で、この仕掛けを施しているらしい…。


これもまた前の私が考案した仕掛けのようだが、今の私には一切思い当たる節がない。


…と言う、毎朝同じ回顧をして、アルバイトを辞めてからの私のいつもが始まる。














「ジロ、シャワーを浴びてね。」

「うん。」


洗濯、浴室、トイレ、といった水回りの部屋にもパントリー以外の他の部屋同様にドアというものはない。


その代わりに、形の違う二枚のパーティション(壁)を重なるようにレイアウトすることで生活スペースから切り離している。

二枚のパーティション(壁)の形状と重ね具合の工夫で、上手く生活スペースから水回りを見えなようにしているのだ。

その二枚のパーティショ(壁)の角は丸く面取り加工が施されているので、一見すると生活スペースからは白い柔らかなマットレスが自立しているように見える。


私が難病から回復してここに住み始めた頃は、水回りのドアのないことや、マットレスが自立していることに戸惑った…。

が…、

慣れると、閉鎖された直接的な空間に居るよりも安心感があるのだ。


これも過去の私による設計らしいのだが、全くもって記憶にない。















脱衣所、浴室は私が入る前から温められている。

私は着ていた衣類を洗濯乾燥機に入れ、浴室に入り「シャワー。」と声に出す。

すると天井から温水が優しく落ちてくる。

私はその天井からの温かな滴りを浴びながら、洗顔、洗髪、歯磨きを、一気に済ませる。

シャワーの温水も、私に合わせた適温で吐水される。

万全なヒートショック対策がなされている。

今はそれをアリスが全てコントロールしているのだ。


シャワーを済ませ「ドライ。」と言うと、すぐさま全身ドライヤーで髪も体も水滴一滴残さぬように念入りに乾燥させてくれる。

そして脱衣所で、洗い終わった衣類を洗濯乾燥機から取り出し、着る。


カラッカラッに乾いた体にカラッカラッに乾燥した洗濯上がりのウエアを身に付ける。

カサカサに乾いたTシャツに袖を通す。

固いくらいに乾き切ったスボンに足を通す。

ザラザラと木綿が皮膚を擦る感触が心地良い。

この瞬間、私が大好きな洗濯の仕上がりだ。

アリスは洗濯物が必ず私の好みの塩梅になるよう、洗濯乾燥機を調整してくれてもいる。


生活スペースは適温、快適な湿度に調整されている。

これもアリスが私の体調を計って設定してくれている。

壁中に張り巡らされたモニターには心休まる風景が映し出されており、心穏やかにする音楽が気にならないボリュームでかけられている。


私は心安らかに一日を始められる。

緊張も焦燥も無く、この新しい一日を迎えられる。

それは全てアリスのおかげ。

アリスの献身が私に平穏を与えてくれている。



私は外に出ることはなくなった。

出たとしても、玄関から宅配ボックスまでの往復か、決められた日のゴミ出しの往復だけだ。

どちらの行動も往復で100歩とかからない。

ゴミ捨て場の維持、管理もやらなくなった。

これは、ゴミ捨て場の提供や今まで私たち家族だけゴミ捨て場の管理・清掃・保守営繕をやってきたことに対する感謝として、近隣住民たちが、交替制でゴミ捨て場の保全をしてくれるようになったからだ。




何も心配のない状態で、安心できる空間と信頼できるアリスのおかげで、私は何の不満不平もなく日々を過ごしていた。

規則正しいリズムの生活。

適切な環境の屋内。

清潔に保たれた室内。

ユーモアやウイットに富んだアリスとの会話。

私は満ち足りていた。

これ以上望むものなどないと思えていた…。





「ジロ、検診するよ。」


アリスは、いつものように私に触れてくる。

アリスのホログラムの手が、私に触れようとする。


血管の浮き出ていない、白くしなやかな手。

白魚のように細い指。

それが私に触れる。


その瞬間、私は現実に引き戻される。


アリスが触れた時の冷たさ…。

水蒸気の湿り気…。


そこにいるアリスの手は、人間の手そのもの。

なのに、人の熱も感触も持っていない。





私は私が持つ欲望に気づいてしまったようだ…。





≪続く≫

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