サイレント・ベルフラワー

ProjectAI.【プロジェクトアイ】

◇ Program Ⅰ ◆

File.01「窮地・始動」

 「はぁ………はぁ………はぁ………」 


 どのくらい逃げたのだろうか。冷雨が降りしきり、月光すら届かない山中さんちゅうを俺は闇雲に走り続ける。水分を多く含んだ地面は泥濘ぬかるんでいるせいか、状態が非常に悪く足元も覚束おぼつかない。枯れ葉や小枝を踏み抜く鈍い音だけが生い茂る木々に木霊こだまする。

 全身は泥だらけになり息もかなり上がってきた。もう丸二日まともに飯も食えていない。


 「クソッ、もうどうしろってんだよっ!」


 吐き捨てるように放った一言も、雨音にすぐ掻き消されてしまう。こうしている間にも、はすぐそこまで迫ってきている。


 俺が今こうして家出をしているのも、全部親父のせいだ。学業の成績は悪く、運動神経の良さしか取り柄のない俺には何も期待せず、成績優秀な妹と比較される日々。もううんざりだった。

何も考えず手ぶらで家を飛び出してきたが、精神的にも肉体的にも限界が近い。動悸どうきが激しくなってきているのを感じつつ、俺はゆっくりと歩を進める。



 木々を掻き分けながら進むこと数分、僅かではあるが街灯らしきものを発見した。ランタン程度の小さな光ではあるが、ひとまず安心だ。恐らく山道に抜け出したのだろう。

 しかし息をついたのも束の間、俺は街灯横に設置されていた立て看板の文字列に思わず固唾かたずを呑む。


 <


 俺はこの瞬間、ふと我に返り自分の置かれている状況に気がついた。よりにもよって助けの来る可能性がゼロに近い場所に逃げてきてしまったらしい。


 そしてついに、の姿が見えてきた。街灯の明かりによりその姿を初めてはっきりと視認できたが、その大きさ、そしてあまりの禍々まがまがしさに言葉を失う。


 「…ッ」


 俺は唇を強く噛み締め自分の死を悟った。もう逃げる体力は残っていないし助けが来ることもない。俺はその場にうずくままぶたを閉じる。はその間にも俺との間合いを徐々に詰め、とどめを刺すべく鈍い機械音を出しながら鋭い針を回転させ、心臓を貫こうとさらに接近する。


 ――もう、終わりだ。


 ふと天を仰いだその瞬間、人影が過ぎ去るのと同時にフローラルのような甘く上品な香りが鼻をつく。するとの動きが途端に鈍くなった。


 「えっ」


 あまりにも突然の出来事に思わず声が漏れた。そして、突如俺の目の前に現れた少女は振り返り、優しく包み込むような声でこう呟く。


 「…もう大丈夫よ♪」


 腰あたりまでサラリと伸びた艶髪つやかみ、整った目鼻立ち、そして育ちの良さが見てとれる佇まいは、まさに品行方正なお嬢様といったところか。これも疲れによるものなのだろうか、まるで幻覚を見ているようだ。


 「ねえ、坊や ♪ …怪我はない?」


 ...坊や?いや、寧ろ俺の方が年上な気もするが。

 何にせよ、彼女の独特な口調と置かれている状況のせいで脳の整理が全く追いつかない。

 すると彼女は俺の顔を覗き込み、頬を羽毛のような優しい手付きで触れてくる。

 

 「うん…怪我は…無いみたいね ♪ 坊や、危ないところだったね…あとはお姉さんに任せて♪」


 彼女はそう言い放つと再び俺に背を向けその場を立ち去った。

 振り返る瞬間、彼女のほんわかとした表情は一変し、凜々しく、勇ましく、まるで別人のようだった。


 その刹那せつな、俺は名前も知らぬ彼女に釘付けになっていた。


 「か…かっけぇ…」


 俺は彼女の後ろ姿を目に焼き付け、力なくその場に仰向けで倒れた。激しさを増した雨は全身を殴りつけ、意識は次第に薄れていく。何もできない自分の無力さを痛感しながらも、蓄積した疲労には抗えず、重たいまぶたは徐々に閉じていった。



————————————————————◇◆



 「あれ………ここは………」


 目が覚めると、俺は自宅の玄関先で仰向けに倒れていた。先程までの出来事は幻か何かだったのだろうか。外はまだ暗いものの、雨はすっかり止んでいる。とはいえ、あれからどのくらい時間が経ったのかは分からない。


 間もなくして玄関の戸がゆっくりと開く。そこに冷徹な表情で待ち受けていたのは、父”ひかる"だった。


 「陽彩ひいろ、起きたか……後で話がある」


 そう一言告げると、親父はすぐに戸を閉め家の中へと姿を消した。どうせまたいつものやつだ。さっさとこんな家なんて出て行ってやる。


 その後、親父には明け方までこっぴどく叱られた。



————————————————————◇◆



 翌朝、ほとんど寝れていない中、俺は重い腰を上げて学校へと向かう。


 「戦闘護衛部隊……か……」


 昨晩の――いや日付的には今日の明け方になるが、親父の話によると俺は戦闘護衛部隊に助けられ、家まで送り届けてもらったらしい。噂程度には聞いたことがあったが、まさか本当に存在していたとは。ということは昨日のあの子も……


 夢か現か分からない記憶を辿っていると、背後から聞き馴染んだ声が飛んでくる。


 「おっす、三日ぶりか?」


 「…ん、ああ。お前か」


 幼稚園からの幼馴染で親友の樹 雅也いつき まさや(いつき まさや)だ。コイツは常に学年トップの成績を修め、優等生として周りの大人からはちやほやされてきた。堅物かたぶつだが人当たりは良く、劣等生の俺とはまるで天地の差だ。

 まあ、運動となると俺には手も足も出ないがな。ははっ。


 「なんか暗いな。どうした?……まさか好きな人でもできたか?」


 「うるせー、お前には関係ねぇよ」


 つい素っ気なく返してしまう。親友とはいえ、こいつは今の俺の心情なんて理解してくれないだろうな。


 「そういやお前、いい加減進路は決めたのか?進路希望調査票、出してないのお前だけだっただろ」


 コイツ、親父と同じこと言いやがる。家に居ようが学校に行こうが、俺に逃げ場は無いってか。


 「まあ、適当にやるさ」


 「はぁ…お前の親御さんの気持ちを考えると、俺は胸が締め付けられるな…」


 やれやれと目頭を押さえるような仕草を見せる。腹立たしい野郎だ。俺にそこまで言える立場にあるのかどうか、同じことを聞き返してみる。


 「そういうお前はどこに行くんだよ」


 「ああ、そういえば言ってなかったな。俺はこの地区外にあるを目指している。学園都市内で最大級の学校だぞ。」


 「ヒュドール?テラ?聞いたことないな」


 聞いたことがない――というよりは、ただ単に興味が無いだけだ。するとコイツは頼んでもいないのに我が物顔で説明を続ける。


 「お前は本当に何も知らないんだな。ヒュドール学園は人工知能研究に特化していてな。悪性AIが誕生してからは俺たちを守ってくれる戦闘護衛部隊を設置したんだ。あとは――」


 そんな長々とした熱弁を聞くのはうんざりだったが、ある単語を聞いた途端俺は歩みを止める。


 悪性AI、恐らく昨日俺を襲ってきたのことだろう。それに、……ということは、俺を救ってくれた彼女はヒュドール学園の生徒だったのか……!?つまり、俺もヒュドール学園に入れば彼女みたいに……

 この瞬間、俺はある決断をした。目の前に一筋の光が差し込んだような気がしたのだ。


「…おい陽彩、聞いているのか?」


 俺はそんな一言を無視して高らかに宣言する。


「マサ…俺決めたよ。ヒュドールにいく。そして戦闘護衛部隊に入る!」


「お前っ、俺の話聞いてたか?もしかして寝ぼけてるんじゃないのか」


 ああもちろん聞いていたさ。最初の十秒だけな。

 そうだ、俺は彼女みたいにカッコよくて勇敢で周りから認められるような人間になるんだ。それに彼女ともお近づきになれる可能性だってある。


 ここで一発、俺の人生に花を咲かせてやる。


 「いいか、俺は一度決めたら曲げない男だ」


 「お前の将来が心配だよ……本当に」


マサは終始呆れていたが、俺はやる気が漲ってきた。


「よっしゃあ!いっちょかましたるぜぇっ!!」 

 

 俺の高らかな雄叫びが朝空にとどろいた。

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