第16話 奇妙な卵 2
沙耶と付き合い出したのは、中学二年生の頃だった。告白したのは僕の方である。
「稲川沙耶さん、僕と付き合ってください」
そんな至極単純な告白をしたように思う。それに対する沙耶の返答もまた、一切無駄の無いものだった。
「いいよ。仁太君、これからよろしくね」
そんな極めて短い会話の後、僕達は恋人同士の関係になったのである。まさか、これ程簡単に好きな人と付き合えるとは思わなかった。故に、どこか現実味を持ってその事実を受け入れられなかったものだ。
ただ、当時はそれ以上に沙耶の恋人になれたことを喜んでいた。何せ、今まであれ程異性に惹かれたことは無かったのだから。
では、どうして僕は沙耶に惹かれたか。それを説明するのは難しい。そこに明確な理由は無く、所謂一目惚れをしていたのだから。言わば、直観が沙耶を選んでいた訳である。
そして、その直感は正しかった。そう思える程、沙耶との日々は充実していた。
とはいえ、僕達の恋愛は華やかなものだった訳ではない。むしろ、悪い言い方をすると地味な方ですらあった。
ただ、少なくとも僕はそのことに不満を持ったことは無かった。そればかりか、何もせずとも沙耶と共に居るだけで幸せな気分になれたものだ。
しかし、そんな日々は突如として終結する。僕達が高校生になって間もない頃から、沙耶は付近の病院に入院することになったのだ。
何でも、沙耶は生まれつき重たい病に罹っていたらしい。それが高校生になってから重篤化し、入院する羽目になった訳である。
「仁太君、心配しないでね。直ぐに退院するからさ」
いつの日か、沙耶はそんなことを言っていた。しかし、それは希望的観測でしかなかった。
僕は何度も沙耶の元に通ったが、病状が回復する様子は見受けられなかったのである。そればかりか、僕が行く度に悪化していたようにも思う。
当時の僕達の関係は、一般的なカップルのそれとは大きな乖離があるだろう。沙耶も勿論のこと、僕もまた病を恐れていた。理不尽な原因により関係が終わることに、堪えきれないような気分にすらなっていた。
それ程、沙耶は大切な人だったのだ。彼女が亡くなれば、これ以上に愛せる何かを見出だすことはできないだろう。そんな直感すら、抱いていた程に。
まさにそうなるかもしれない状況下の中、正気でいられる人間がいるだろうか。少なくとも、僕はそれに該当する人間ではなかった。
沙耶と会えない日は、常に不安が付き纏い、心は擦り減っていた。正直に告白すれば、沙耶と出会ったことを後悔したこともあった程だ。
しかし、それでも僕は幸せだったのだと思う。辛い状況下にあっても、沙耶と会える日だけは幸福感に満ちていた。あの甘い声を聞くだけで、心に積もった雪すら氷解したのだ。
けれど、そんな暗い幸福にすら終わりはあった。前述した通り、沙耶が自ら命を絶ったったのである。
沙耶の両親曰く、沙耶は自ら首を締めて亡くなった可能性が高いという。警察から、首に青白い手の痕が残っていたことを伝えられたそうだ。
僕は当時の現場を見たことはなく、故にその様子を記すことはできない。記せるものといえば、その事実を僕に告げた時の両親の様子くらいだ。
「沙耶は病に犯されていても、弱音を吐くことはなかった。いつもいい子で、反抗期すらなかったような子なんだ。そんな子がどうしてこんなことをしたんだ。どうして、神はあの子に病を与えたんだ」
僕に全てを伝えた沙耶の父親は、嗚咽を漏らしながら涙を流していた。胸に溜まった悲しみが一気に放出されたような、そんな泣き方だった。
また、その表情には怒りも滲んでいた。誰に対しぶつけて良いかすら分からないような、理不尽な怒り。そんなものが、何も言わずとも伝わってくる。
そんな父親に対し、母親はしくしくと泣いていた。そして、寂しそうな声でこう言うのだった。
「仁太君、寂しい思いをさせてごめんなさいね。私達が沙耶を孤独にさせたから、沙耶はあんなことを──」
母親は二の句が告げないらしい。困惑と底無しの悲しみを表情に讃え、俯いてばかりいる。
そんな両親に対し、当時の僕は落ち着いていた。いや、落ち着いているというのは的確な言葉ではないかもしれない。
それよりか、未だに現状を把握できていなかったと言うべきか。沙耶が自殺によりこの世を去った。そのあまりにも苛酷な現実を受け入れられなかったのだ。
そんな状態は、暫くの間続いていた。もしかしたら、沙耶はまだ生きているのではないか。そんな取り留めもない空想に取りつかれもした。
要するに、現実逃避し続けていたのである。だが、当然いつまでも逃げ切れるものではない。
苛酷な現実は、徐々に心に侵食していった。沙耶がもういないという現実を、徐々に受け入れるようになったのである。
それと同時に、ようやく悲しみを覚えるようにもなっていった。その悲しみは雪のように徐々に積もり、今でも溶けないでいる。
どうして、沙耶は自らその命を絶ったか。そんなことは、未だに分からない。
ただ一つ分かるのは、僕はとても大切な物を失ったこと。そして、それが戻ってくることは二度と無いことである。
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