奇譚

@kamori128

第1話 影人間 1

初めて入った男子トイレは、思っていたよりも清潔だった。案外居心地が良く、逆に驚かせられる。

「男子トイレって、思ってたより綺麗なんだね」


私は傍らの隆にそんなどうでもいい話を投げ掛ける。すると、隆は「そうかな」と淡白な返事を返した。


この隆という男は、私の彼氏である。半年程前から付き合っており、今はお互いに距離感を探っているような間柄だ。


隆との蜜月関係等については、話の本筋と関係無いので記すつもりはない。ただ一つ記すとしたら、確かに私は隆を愛しているということくらいか。


そんな私達であるが、今日はある目的があってここへ来ている。ただ勘違いして欲しくないのは、いやらしい目的ではないということだ。私達はある儀式を決行する為、ここに集ったのである。


隆は洗面台にある鏡を見た後、私の方を振り向く。そして微かに緊張を表情に浮かべると、こう尋ねた。

「祐衣、儀式がどんなものか覚えてるか?」

「そりゃ、覚えてるよ。ここの男子トイレの鏡の前に立ち『鏡よ、鏡。我の真の姿を現せ』と言う。すると、自分の影人間が姿を現すんでしょ」


今言ったこの儀式は、影人間の儀式と呼ばれるものだ。ただ儀式とは言ったものの、格式張ったものではない。これは、この高校で流れているただの噂話でしかないものだ。


私達がこうして儀式を行うのにも、何か重要な意味がある訳ではない。ただ好奇心を満たす為だけに、そうしているだけのことだ。


私はふとこんなことを尋ねる。

「ところで、影人間っていうのは何なの?」

「影人間っていうのは、言わば裏の自分さ」

「裏の自分?」

「大抵の人間には、表の自分と裏の自分がいるもんだよ。表が他者に日頃から見せている姿。裏が自分しか知らない、隠さねばならない姿。影人間は裏の自分が具現化したものなんだよ」


私は頭が悪いのだろうか。そう言われても、何だかピンとこない。裏の自分というのは、どんなものなのだろうか。そんなことは、考えたことも無かった。


その一方で、隆は思い悩むような表情をしている。隆には、所謂裏の自分がいるのだろうか。それこそ、私には見せられないような。


私がそんなことを思っていると、隆は不意に言った。

「じゃあ、早速儀式をしようか」

そう言うと、隆は鏡に視線を向ける。私もまた同様のことをすると、隆とほぼ同時にこう言った。

「鏡よ、鏡。我の真の姿を現せ」


そう言った刹那、室内が急に冷え込んだような気がした。得体の知れぬ何かが身体に入り込んだような、そんな気分になる。また、ふと腕を見ると鳥肌が立っていることに気づいた。

「な、何が起こったの?」


私は誰に言うでもなくそう言うと、再び鏡を見た。けれど、そこにはただ自分が映っているばかり。つまり、何も起こっていなかったのである。


しかし、胸に湧く不安は消えようとしない。一体、私の胸は何を感じ取っているというのか。


ふと、隆は落ち着いた声でこう言った。

「大丈夫。何も起こってないさ」

「そう?」

「そうだよ。現に、影人間なんて現れてないじゃないか。やっぱり、ただの噂話だったのさ」


そう言った後、隆は私の顔を凝視する。すると、今度は心配そうにこう言った。

「額から酷い汗が出てる」


私は手の甲で額を拭う。すると、確かに汗のべとついた感触を感じた。自分でも気づかぬ内に、かなり強い緊張を覚えていたのだろう。

「ほ、本当だ」

「祐衣は緊張に弱いらしいね。でも、安心しなよ。こんなことをしたから、何かが起きそうな気がしただけのことだよ。だから汗を掻いたんだ。しかし、それだってプラシーボ効果みたいなものさ。事実、何かが起こった訳でもないだろう?」


そう言われ、ほっとさせられる。私が胸の奥で感じていた不安も、きっと気のせいだったのだ。普段はしないようなことをしたのだから、気が変になっていたのだろう。


それはいいとして、一つ気になることがあった。私はそれを口に出す。

「隆の方から誘っておきながら、随分と落ち着いてるね。まるで、最初から儀式なんて信じていなかったかのように」


隆は僅かに笑みを浮かべる。

「そうさ。最初から影人間なんて信じてなかったよ。ただ、祐衣と一緒に楽しめたらいいと思ってさ」


何だ、そういうことだったのか。どうやら、この儀式自体がデートのようなものだったらしい。デートの割りには、少し刺激的だったが。

「それより、もうそろそろやめよっか。二人でこんな所にいたら、変な勘違いされそうだしさ」


隆の意見に私も賛同した。言われて見れば、それもそうである。高校で変な噂でも流されたら、二人揃って居場所を失うだろう。


それから時間を置かず、私達はトイレから出ようとした。しかし、その時になって何故か前方の隆が立ち止まる。まるで足が棒になったかのように。

「どうしたの?」


すると、隆は振り向き取り繕うようにこう言った。

「い、いや何でもないよ」

それは、何かを隠しているような口振りだった。しかし、急にどうしたと言うのだろう。


まさか、隆もまた何か得体の知れぬ感覚を感じ取ったのだろうか。いや、それは無いだろう。何せ、先程それを否定したのだから。


男子トイレから出ると、私達は別れの言葉を告げた。これから、お互いに別々の部活へ向かわないといけないのだ。

「じゃあな」

「うん。また学校で会おうね」

そう手短に挨拶を済ませると、私達は各々部室へと向かった。



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