吾ガ問ウ僧
里見詩情
第1話
「猫が飼いたいんだよね」
セックスの後、半裸で彼女は言った。彼女の贅肉を横目で見ながら、俺はその言葉に答えられなかった。答えようとすれば、いくらでも答えられたのだが。他愛のない「そうだね」という言葉でもよかったのに、俺にはそう言ってやることすらできなかった。
彼女に猫を買ってやることはできるかもしれない。しかし、生き物が彼女の家で生き延びることは不可能だろう。ペット禁止かどうかを確認するまでもなく。
「子供が欲しい」と昔彼女が言ったことがある。その時も、俺は何も言えなかった。
薄暗い部屋で、舞い上がった塵が、ゆっくりと沈殿していく。置かれた時計の秒針が音も出さずに進む。塗装の剥げた壁の薄汚れたシミの形を、俺はただ見ている。その無為は俺たちの未来の比喩。俺に明日はない。なら、彼女には?
「ある」ということもできるだろう。しかし、世間の一般的な認識というやつによって、彼女の明日は断絶されている。俺にとっての明日は、少し違うが、俺にも明日は無い。約束された、「悲劇」なんていう「詩情」も「物語」も俺達にはなく、ただ断ち切られたものしか持ち合わせていないのだ。だからこそ、俺達はこうして会い、セックスをする。それが、その行為が、明日を否定していると知っているのに。
着替えを済ませると、俺は彼女に別れを言って、外へ出る。あの忌々しい場所へ帰るために。俺がどこへ帰るのかなんて知らない彼女は入り口まで俺を見送りに出てくれて、キスをするとまた寮の自室へ戻って行く。俺を寮の部屋に連れ込んでいることが店に知られたらどうにかなるだろうに。
外は生きているものの肉すら腐りそうな気温。側溝に詰まった異臭のする泥。たばこの吸い殻が散乱する狭い裏路地。そんな道を、暑さにやられちまいながら、帰路につく。くっせえたばこに火を着けて、歩く。
道幅の大きい通りに出ると、田舎の街特有の背の低いビルたちの向こうに馬鹿でかいイオンが見えて、夏休みなのであろう小学生から高校生までが自転車に乗って行き来する。家族連れのファミリーカーが信号待ちで止まって、車内からは子供の奇声が聞こえる。
そんな平凡の中を通って帰ろうとして、途中、あの場所で、家で、使うための「盆のほおずきを買ってこい」と言われたことを思い出して向こうに見えるイオンへ歩く。めまいがする。俺の腐り切った脳が、それでもまだ生きていることを証明する。なんのためにめまいがするのか、それは分からないが、とにかくめまいがする。熱中症のためでも、体調不良のためでもない。俺が、この、俺というものが生きていること、存在していること、ここに、いる、ということへの違和感と不可解さと、強烈な不快感。そのためだけに、ということなのかは分からないが、確実にその不快感やらが一因となって、めまいを引き起こしているのだろう。
燃えるたばこの赤い火。その煙を鼻から吸い込むと、鼻の奥の粘膜が刺激されて涙が出そうになる。それでいい。いい。泣け。みじめに泣け。もっと汚らしく。それによって、俺は何もできないことを噛みしめるべきなのだ。そんなことをしなくとも、俺に何かができるわけではないことは分かっている。だからこそ、一層その事実によって苦しむべきなのだ。
吸い終わったたばこを側溝の蓋の隙間に捨てると、俺はまた歩く。多くの一般にとっての日常的な場所へ。
イオンの建物が見えてくる頃には、サンダルの鼻緒の部分が擦れて親指の付け根が痛み出す。それを意図的に無視して、建物の中へと向かう。
中へ入って、生花コーナーへと向かう途中、彼女からメールが送られてくる。
「次、いつ来れる?」
「来週の休みには行けるよ」と便所の入り口で人混みを避けて返信。本当は「もう会えない」と返すべきなのだろう。この生活を俺達はいったいいつまで続けるのか。
彼女は彼女の生活へ戻るべきだし、俺は俺の生活へと戻るべきだ。しかし、俺達がこの生活をやめたところで、俺の罪は消えないのだ。もっと言えば、俺の罪なんてどうでもいい。だが彼女にとってどの選択が元の生活なのか、俺には分からないが、とにかく彼女だけでも元の生活へ戻るべきだ。
そう分かっているにもかかわらず俺が彼女と会っているのは、どこかで俺が救ってやれると思っているのだ。しかし、何かを救ってやろうとしているうちは、何も救えない。ならば彼女にとって、俺はなんだ?
彼氏か? いわゆるセックスだけの関係か? それとも客か?
昔はそのどれでも当てはまったが今は違う。そんな俺が、彼女の生活やいわゆる「幸せ」について、何かを言える資格はない。それでも彼女には笑っていてほしい。
いや、みんな幸せでいてくれ。みんな笑っていてくれ。この世が人類にとっての極楽であってくれ。だが「国家安穏万民無楽のために摩訶毘盧遮那宝号」なんて言葉を俺が発したところで、何ができる。だから俺は祈らない。祈りはしない。いや、祈れないのだ。祈る資格などないのだ。そんな資格も権利もない。だが。だが、それでも、この祈りにも似た感情。祈りであって祈りでない、この「祈り」という言葉では表せない感情が、どうか、どうか、人類に遍く行き渡ってほしい。ほしいのだ。
そのことによって、俺とでは幸せとやらを築けなかった前の彼女も、その前の彼女も、その前の前の彼女も、幸せになってほしい。いや、それだけではない。不幸とやらになっている人間がいる、という、ことが、俺には耐えられない。他でもない俺が「不幸」とやらに耐えられなかったのだ。だからこそ、俺には全ての人類がいとしく、尊く、思えるのだ。そんな考えをこじらせすぎて、誰かの不幸話とやらを聞くたびにこの世に不幸があることに耐えられなくなった。
しかし同時に、俺には全ての人類を愛するなんてことはできもしないが、笑っていてくれ。幸せでいてくれ。どうか。どうか。どうか……。
俺には分からないところでいい。俺が愛せなかった人達も、俺とは関係ないところでいい。笑っていてくれたら! だが、矛盾するようだができれば分かるところがいい。そうして、全人類が幸せであってくれ。我に艱難辛苦与え給え。俺に人類全ての苦難と苦痛を。その苦痛苦難と引き換えに、全ての人類が救われてくれ。そう切に願う。
しかし、俺に何ができると言うのだ。またそこへ戻って来る。戻って来てしまう。俺が苦しんでも、誰も救われない。そもそも救おうなどと思うことは傲慢なのだ。それならば、たった一人でいい。俺が救おうなどとはもう思わない。たった一人、彼女だけでも笑ってくれ。それが俺の祈りのようで祈りではない、俺という現象、存在、そのものだ。
そんなことを考える。考えるが故に、俺の犯した罪が消えることは無い。初めて彼女に会って、二万五千円を渡した時に、俺は金で彼女とセックスしたという事実が決定したのだ。
それから何度か彼女の働く店に出入りして、打ち解けてくると俺の手首の傷と、彼女の手首の傷の話しから「何がというわけでも、何でというわけでもないけれど、何となく世界が怖いよね」と言ってアドレスを交換したことも過ちだ。
それから金銭のやり取りは無くなった。店ではなく寮の部屋に上がり込むようになった。セックスをしないこともある。だからこそ、俺は彼氏でも、セフレでも、客でもなくなった。さらに意味の分からない存在であるとも言える。だがそれは俺が単なる「客」ではなくなりたいという願望を抱えているだけかもしれない。もしかしたら彼女にとって俺は何でもないのかもしれない。
それに客が彼女の幸せを願うことは許されないという風潮。それは金を払って性を買っているからそれを願うことが許されないのか。どの口が幸せを口にするのか、と。
だが、風俗で働くのが不幸なのか、それとも幸せなのか。それとも無なのか。それを決めつけてしまうことがナンセンスなのか。不幸とはなにか。ナンセンスの意味ではなく根源的意味はなにか。決めつけてしまうとはいったいなにを指すのか。不幸とはなにかとはなにか、とはなんなのか。幸福とは、いったい。いや、幸福とはいったいなにかなんて言っている俺はなんなのか。だがそんなことをのたまっていい気になっている俺という存在の低俗さよ。しかし低俗とは幸か不幸か。幸せだとか不幸だとか、そんな言葉ですべてが推し量れるのか。それでも、それでも、人は幸せになりたいはずだ。そうではないのか。いや、そうでない人間もいるやもしれぬ。しかし、しかし。
そうやって考える俺には全てが分からない。人間が何を望んでいるのかも。俺が何を望んでいるのかすら明示できないような有様なのだからな。だから彼女が俺に何を望んでいるのか分からない。俺には他者が何を考えているのか分からない。何を望んでいるのか。何も望んでいないかもしれないということすら分からない。
不可解極まる人間という存在。人間が分からないと太宰みたいに言ってみても、その言葉ですら足りないように感じてしまうほど人間が分からない。一人の人間すら救えないどころか、自分すら救えない。救いなんていうものは他者から与えられるものではないんだ。己を救うのは、己でなければならないのだからな。
だと言うのに、人を救ってあげなさい、助けてあげなさいと、俺は言われてきた。教えられてきた。親にも、学校でも。まして俺は寺の坊っちゃんだからな。他者を救いなさい、助けなさいなんて言葉は嫌というほど聞いてきた。
聖人でもなく、一般人でもなく、ただ「他者を救う」ことを喜びとするように死ぬほど言い聞かせられてきた、ただの人。さらに言えば、彼女と出会うまで、他者を救うことは俺が優越感に浸れるだけの行為であることに気付きもしなかった人間だ。そんな奴に何ができる。
俺は聖職者であって聖者ではない。ただの聖「職」者だ。笑っちまいそうになるような、神聖そうな「気がする」嘘を付き続けて、聖者を演じているのだ。その嘘は、そのうち聖職者の、道化の俺の、手を離れて行って、俺が付いてもいない嘘まで俺に演じろと迫ってくるのだ。だから俺はセックスなんて、性欲なんてものを禁じられている。そうやって、俺は、俺の、性欲を否定する言説から目を背ける。俺は悪くないのだと。
だがもしそこに何かがあるのならば。性欲を禁じた先に何かがあるのならば。不邪淫が十善戒で禁じられた罪だから犯さないようにするのではないのだ。寺が世襲である以上、不邪淫戒は崩壊しているのだから。問題はそんなところにあるのではないのだ。
性欲を超克できれば、俺は何かを救えるのか。この際救えなくてもいい。いいんだ。自分自身を、俺を救うことだけでも、できれば……。
それでも俺は性欲を捨てきれない。さっきセックスをしてきたばかりだというのに、そういうことを考えれば考えるほど、また性欲が込み上げて来る。それを処理するために、そのまま背後の便所に入る。よろめきながら。これは性欲によるよろめきか。性欲という罪への絶望感に対してのよろめきか。それとも、それ以外も含めて、「俺」という存在そのものへのよろめきか。
分からない。分からない。他者どころじゃないんだ。分からない。分からない。性欲だなんていう愚劣さに支配されてしまう俺は、俺の存在が分からない。それでも「性欲」というやつは強烈に存在して、思考を停止させ、行動を支配する。そもそも、性欲はなぜ愚劣なのか。なぜ自分でもこんな馬鹿なことをしているのか。それも分からないまま、俺は男子便所の個室へ入る。薄ピンクのタイル。アルミの金具。所々黄ばんだ白い便器。駅の公衆便所のにおいの断片。芳香剤の人工的な香。そういうものの中で、俺はオナニーをする。
ズボンを降ろして、勃起しつつあるペニスをトイレットペーパーの芯の穴に入れる。その挿入感に満足すると、引き抜いて、右手で擦る。思考が麻痺する。考えれば考える程に、性欲。性欲。性欲。それが強烈に侵食する。涙さえ出てくる。俺は本当は何が欲しかったのかという涙。いや、それは本当に涙か。何の涙か。
全てが終わって、思考が徐々に「俺」の元に戻って来る。右手に付着する白い粘液。薄めた漂白剤と、青臭い草の汁の混じったようなにおい。俺はこれをいつも彼女に舐めさせているのだ、という意識が急激に強い実感として迫って来る。
理趣経が煩悩即菩提の経典だと言うのなら、この忌々しい粘液をも肯定するのか? 精液を舐めてみる。みようとする。そうしなければ、という強迫観念。だが舐めたところで何が変わる。それは分かっている。だが俺は俺の罪の、原罪の所在を確かめねばならない。しかしそんなことで俺の罪はつまびらかになるのか。そう、思うが。思うが、それは、そんな思考はただ舐めることを拒否するための理由だ。俺は俺の精液でさえ摂取することを躊躇している。だからこそ、俺はやらねばならないんだ。そう、考えて、拒絶する本能を押さえつけ、いや、拒否しているのが本能なのかは分からないが、とにかく拒否する「俺」を殺して、精液に舌先を付けてみる。そうして感じるこの忌避感と不快感。これだ。この気持ちの悪さ。これこそが俺の罪だ、と感じたが、俺の罪はそんな生易しいものではないのだ。
だからこそ、他でもない、俺だけでもこの性欲から解放されなければ。俺が救われれば、宗教は人を救うことができるという証明になる。俺にはその証明をする義務がある。責任がある。「俺」という存在が寺のぼんぼんとして生まれちまった時点でその責任と義務が押し付けられた。そのせいで、彼女と今みたいな関係になるまでに俺は何度も選択を誤ってきた。
手首切っちまってた昔の彼女。自殺未遂して音信不通になった別の昔の彼女。合法だが薬やって死にやがったまた別の昔の彼女。みんな「死は救済」なんて、ネットの言葉を不幸な人生の旗印にしてやがった。その度に俺は、「俺が救う」と意気込んでいたが、どうにも俺は「死は救済」側の人間だった。坊主として死を否定しつつ、世界が怖いなんて言って生を否定する。だが、今の彼女は違った。何が違うという訳でない。これもまた分からないことだが。
性欲が霧散し、俺は個室を出て手を洗う。子供が通る。金髪のあんちゃんが小便器の前に立っている。禿げたおやじが俺の出てきた個室へ入って行く。そこで俺は今オナニーをしていたという事実。そんな、性欲というものに支配される、俺。俺。俺という存在。現象。その罪悪感。できることなら自分のペニスを切り落としてやりたかった。精巣を引きちぎってやりたかった。空想の中で何度そうしたことか。
痛む足が限界に近い。艱難辛苦与え給えだのなんだのと言いつつ、これしきの痛みも我慢できずに鼻緒を指の付け根からつま先に引っかけるような場所に移動させる。目的の生花コーナーまでたどり着くと、よく選びもしないでほおずきをレジへ持って行く。レジに行くまでに、通路を様々な人間が行き交う。その雑踏の中で考える。
さっき便所ですれ違ったおやじとセックスできるか。
俺は今通り過ぎた女子高生とセックスできるか。
向こうでレジ打ちをしているパートらしき主婦とセックスできるのか。
愛する相手とセックスをすることが愛の証だなんて寝言を真実であると証明し、
全人類を愛しているという立場を取ることで、性欲を肯定するのならば、男でも女でも、死人でも、全ての人間に平等に欲情しなければ嘘だ。馬鹿らしいが俺は本気だ。
レジで代金を払って、右手にほおずきをぶら下げたままキャッシュコーナーへ向かう。寺からもらった金を三万引き出す。タクシーを捕まえて、俺は彼女がいる街とは別の街の風俗街近くの駅へ向かわせた。
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