お嬢さまの御心のままに

暦海

第1話 負の視線

「――――あっ!」



 刹那、すぐ傍で短い声が響く。

 見ると、小さな女の子が脇目も振らず横断歩道を走っていく。きっと、前方に飛んでいるあの風船を手離してしまったのだろう。だけど――



「――――危ない!」



 すると、同じく傍で響いた大きな声。そして、声と共に一心不乱に駆けていく長身の男性。そして、さっきの女の子――同じく一心不乱で赤信号で走っていた女の子をさっと抱き抱え横断道路の向こう側へと走り切る。すると、ややあって周囲から疎らな――そして、次第に全体から大きな拍手が巻き起こる。空気を読んだ、というわけでもないけれど、控えめながら僕も拍手を送る。


 ……まあ、そうなるよね。何故なら、彼の行動は紛れもなく善――あのまま放っていたら、かの少女は向かってきていた車に撥ねられていた可能性もゼロではなかった。そういう意味では、少女のみならず運転手をも救ったと言えよう。なので、何とも正しくそして皆の称賛に値する立派な行動だ。



 その後、両親らしき二人が娘に駆け寄りぎゅっと抱き締め、次いでかの男性――娘を救ってくれた英雄へと深く感謝を告げている。一方、男性は当然のことをしたまでですとニコッと笑う。うん、何とも素敵な光景。何とも感動的な光景。さて、僕はそろそろ――



「――なあ、どういうつもりだよお前」

「……え?」


 お暇しようかと思った矢先、不意にぐっと胸倉を掴まれる。見ると、何やら怒りを瞳に宿した若い男性。知り合い……ではない、よね。だったら、いったい何の――


「……飛び込め、とは言わねえよ。命が惜しいのは当然だからな。でも、だったら声を出すとかくらいは出来ただろ。あんな近くにいたくせに、なんで危ないの一言もなく見て見ぬふりしてんだよ。最低だな!」


 すると、最後に最上級の非難で以て締め括る男性。軽く辺りを見渡すと、周りの人達も彼に賛同するように非難の目を僕に向けている。なので――


「……最低、ですか。ええ、まさしくそうなのでしょうね。それでは、より最低な情報を一つ――僕は、見て見ぬふりなどしていません。見ていた上で、助ける気などまるでなかったんです」

「……っ!!」


 そう伝え、やんわり彼の手を解き徐にその場を後にする。どうやら、未だ種々の負の視線が向けられているようだけど気にせず歩みを進める。当然のこと、僕が助ける義理なんてどこにもないし。もう、そういうのは卒業したから。


 でも……そんなことを言いつつ、少しは気にしていたのだろうか。それこそ、その中に混じっていたらしい異質の視線ものに気が付かなかったくらいには。





 

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