第一章 否定形の呪い

1 可憐な声



 その日の放課後。


 なりゆきで同じグループになった海斗かいと雷華らいか未空みくの三人は、未空の提案で教室に残り、顔合わせをすることとなった。


「ごめんね、来ていきなりグループが決まっちゃって。あらためてよろしくね、温森くん」


 海斗の前の席に座りながら、未空が言う。

 クラスメイトとして二週間過ごしているが、会話をするのはこれが初めてだった。


 雷華はと言えば、未空の隣で腕を組んだままだんまりを決め込んでおり、挨拶をする素振りすらない。

 その様子を目の端で捉えつつ、海斗は答える。


「あぁ、こちらこそよろしく。と言っても、俺はこれが何のためのグループなのかすら知らないんだが……教えてもらってもいいか?」

「そっか、説明の時いなかったもんね。これはね、藍山北高校の一年生に伝わる伝統行事『地域わくわく調査隊』のグループだよ」


 藍山北高校では、毎年入学直後の一年生に課せられる活動行事がある。

 それが、「地域わくわく調査隊」。

 高校の所在地である藍山市について調べ、六月末に発表するというものだ。


 入学して間もない生徒同士の交流を深めるのと同時に、『地域に根ざした優良校』というイメージを学区内の住民に植え付け、生徒増に繋げる狙いがあるとかないとか。

 調査テーマは、とにかく藍山市に関わることならなんでもOK。

 発表方法も自由で、スピーチ、紙芝居、パソコンで編集した映像の上映など、例年様々な手法で発表がおこなわれている。


 ……という未空の丁寧の説明のおかげで、海斗はこのグループの目的を理解した。


「なるほど、よくわかった。教えてくれてありがとう」

「いえいえ。担任は今日のホームルームでグループ分けと、グループごとのテーマ決めまでする予定だったみたいなんだけど……いろいろあって、テーマまでは決められなかったんだ。これから考えなきゃね」

「俺が遅刻したせいで話が進まなかったのであれば、申し訳ないことをした」

「いや、温森くんのせいじゃないよ。ちょっと別件でね……そういえば担任が『大変だったね』とか言っていたけど、なんで遅刻してきたの?」


 未空が尋ねると、海斗は表情を変えず、平坦な口調で答える。


「実は、詐欺に遭ったんだ」

「…………え。詐欺?」

「そう。朝、自転車で登校していたら、道端にうずくまっている老婆を見つけたんだ。大丈夫かと声をかけたら『自転車に轢かれた』と言うので、急いで警察と救急に連絡をした。しかし駆け付けた警察官に、老婆は俺を指さしこう言った。『この人に轢かれたんです!』」

「……は?」

「もちろん事実無根だ。きっとボケているのだろうと思い、『それでいいから早く病院へ行こう』と適当にあしらったんだ。そしたら、婆さんは病院に、俺は警察署に連れていかれて」

「いや、昔話の冒頭みたいに言ってるけど……そこははっきり『轢いてない』って否定すべきだったんじゃないの? 無実の罪に問われて連行されたってことでしょ?」

「釈明よりも怪我の治療が最優先だと思ったんだ。で、結果的に婆さんはボケているどころか、そういう詐欺を働いていたということがわかった。怪我したフリをして声かけてきた人に罪をなすりつけ、治療費を要求する手法らしい。幸い、現場近くの防犯カメラの映像から俺の無実は証明されたが……示談で済ませた頃にはとっくに昼過ぎだった、というわけだ」

「それで遅刻したの……親切心を利用した詐欺だなんて、ひどい目に遭ったね」

「まぁ、こういうのは初めてじゃない。年寄りが困っているのを見ると、なんだか放っておけなくてな。とにかく、あの人が本当に怪我していたわけじゃなくてよかったよ」


 そう淡々と言った、直後、



「──よくないでしょ」



 凛と響く、可憐な声。


 それまでだんまりを決め込んでいた雷華が、突然口を開いたのだ。


「……何が『よかった』のよ。災難に巻き込まれて、出席日数ふいにしただけじゃない。百害あって一利なし。正直者は馬鹿を見るとは、まさにこのことね」


 ツンと放たれた言葉に、未空が「雷華」と嗜める。

 が、海斗は怒るでも怯むでもなく、単純に驚いていた。

 何故なら、この時初めて、雷華の声をまともに聞いたから。


 愛らしい容姿から発せられるに相応しい、少女然とした声だった。

 海斗は他の男子のように雷華と親密になりたいと思っていたわけではないが、口数の少ない美少女から発せられた初めての長台詞は、まるでツチノコを目の当たりにしたような妙な感動があった。


 だから、『馬鹿を見た』と言われたことなど意に介さず、


「鮫島の言う通りだ。こうして君たちに迷惑をかけている時点で、よくはなかったな」


 と、雷華のセリフを素直に受け止め、肯定した。

 すると、


「別に迷惑ではないし。そうやってすぐ下手に出るから詐欺師につけ込まれるんじゃないの?」


 と、海斗の言葉を否定するので……彼はその可愛らしい顔をじっと見つめ、頷く。


「……今日初めて話した人間をここまで叱ってくれるとは。鮫島はいいやつだな」

「はぁ?! い、いいやつなんかじゃないし!」


 かぁっと頬を染め、否定する雷華。

 海斗は「ふむ」と頷き、頭を下げる。


「確かに、鮫島のことを大して知りもしないで言うのは失礼だったか。知った風な口を利いて悪かった」

「悪くない! その通りよ、あたしはめっちゃいいやつなの!」

「やはりそうか。俺もそう思うぞ」

「あたしは思わない!」

「……なるほど。鮫島は謙虚なんだな」

「謙虚じゃなーい!!」


 犬歯を剥き出しにし、声を上げる雷華。

 その様子を、未空は唖然とした表情で見つめる。


「雷華とこんなに会話のラリーが続くなんて……温森くん、すごい」

「ん? 何がすごいって?」

「……ううん、なんでもない。とにかく、雷華は一旦落ち着こ? ほら、深呼吸」


 未空に促され、雷華は「ふぅ、はぁ」と呼吸を整えた。


「……じゃあ、調査テーマについて少しでも話し合いを進めておこう。はい、これが過去に先輩たちが取り組んだ調査テーマの例だよ」


 先ほどのホームルームで配られた資料を未空から受け取り、海斗はざっと目を通す。


「藍山市の観光名所のマップ作成……特産品のそばに関する生産者への取材……移住者に聞いた藍山市の良いところランキング……市内の昔の風景写真を集めてみた……などなど」

「うえー、やだやだ。どれもめんどくさそう」


 雷華がうんざりと呟くので、未空は「そんなこと言わないの」と嗜める。


「こんなかんじで、取材やインタビューをまとめたものが例年多いみたいだけど……温森くんは、何か案や希望はある?」

「そうだな……給食センターの取材なんてどうだ? 藍山市は給食にすごく力を入れているらしい。俺が通っていた小学校のも美味くて、毎日楽しみだった覚えがある」


 しかしその提案を、雷華は腕を組み即座に否定する。


「却下。給食センターの見学なんて、それこそ小学生の時に済ませているでしょ。給食の美味しさは、市内の学生ならみんな知っていることよ」

「そうか、確かに目新しさはないな。鮫島の言う通りだ」

「……目新しくないとは言ってない。高校生が今一度小学校の給食を見つめ直すっていうのは、ある意味で斬新かもしれないわ」

「よかった。なら、小学生に聞く好きな給食ランキング、とかどうだろう?」

「はぁ? ランキングはなし。卒業文集のお楽しみページじゃないんだから。もっとこう、食材の生産者を尋ねるとか、小学校に給食を運ぶ業者に密着するとか、それくらいやらないと」

「おぉ。鮫島はすごいな。俺の考えが幼稚すぎた」

「幼稚ってことはないけど……ランキングという形式自体は、こういう発表の場には向いていると思うわ。問題は内容ね」

「じゃあ、テーマは給食に決定でいいのか?」

「だめに決まってるでしょ」

「なんだ、乗り気じゃなかったのか。勝手に話を進めて悪かった」

「わ、悪くはないわよ。私も給食好きだったから、乗り気じゃないこともないけど……」

「本当か? なら……」


 というやり取りを、未空が「ストップストップ」と制止する。


「温森くん。君って……本当にすごいね」

「え、何が?」

「雷華との会話だよ。それ、意識しないでやっているの?」

「意識って……何を?」


 質問の意図がわからず、瞬きをする海斗。

 未空は、じいっと海斗を見つめると、


「……うん。君になら話しておいてもいいかもしれない。発表が終わるまでは、否が応でも同じグループで会話する機会があるわけだし……いいよね、雷華?」


 未空が視線を向けると、雷華は、


「……好きにすれば?」


 と、そっけなく答えた。

 首を傾げる海斗に、未空は少し居住まいを正し、


「……あのね、温森くん。これから雷華とグループ行動を共にするにあたって、一つ知っておいてほしいことがあるの」

「ほう。なんだ?」

「実は……」


 こくっ、と鳴ったのは未空の喉か。それとも雷華の方か。


 未空は、深刻な面持ちで俯くと……

 少し間を空けてから、意を決したように顔を上げ、こう言った。



「このコ、鮫島雷華は……『異性からの言葉を全て否定してしまう呪い』にかかっているの」

 

 

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