第28話 出発前、ドギマギ
ガラガラガラと騒がしい音が厨房に響き渡った。
「何かありました?」
厨房に重ねて置いてあった木皿を盛大に散らかしてしまい、ハティが慌てて飛んできた。
「な、なんでもない」
手が滑ってしまっただけだ。
「そうですか。なんでもなさそうには見えませんね。……お湯もだいぶ煮立っていますが、大丈夫ですか?」
「あ……」
わたしは慌てて、ヤカンを火から下ろした。
料理に身が入っていないことは、ハティには明白だ。その証拠にハティはニヤニヤと笑みを浮かべている。
「明日出発でお忙しいところすみませんね」
「いや、いいんだ。保存食を準備するついでだ」
わたし達はリグに精をつけてもらうため、厨房で料理を作っていたところだった。
家臣たちが狩りで仕留めた鹿を捌き、ハーブと塩で調味した肉を鉄板で焼く、至ってシンプルな肉料理だ。
「翌日に焼けていますね」
ハティの言葉に、「焦げなくて良かった」と内心ホッとする。
昨日の夜から、ベルファレスのことが気になって、料理どころではない。
でも、何かしていないと落ち着かず、薬草と共に集めたハーブを使ってリグに手料理を振る舞うことにした。
ハティはわたしの手技に興味津々で、「なるほど」と、刻んだハーブを肉に刷り込む様子から、蒸し焼きにするために肉を葉で包むところなどをじっくり観察していた。
「初めて知りました! 凄い技ですね!」
感心したハティが何度も褒めてくれるが、正直恥ずかしい。わたしがやっていることは家庭料理の域を脱していないのに、一流料理人のような扱いだ。
摘んだハーブに沸騰した湯を注ぎ入れると、清涼感がある香りがたった。
「こうやって抽出するのですね」
紅茶すら知らないハティは興味津々だ。
「これがハーブティーだ」
「すごく爽やかです!」
ハティはひとくち啜ると目をキラキラさせて、驚いていた。
「冷めないうちにリグのところに運んでやろう」
明日は商人の消息を確認するため、ベルファレスと共にヨークシュアへ発つと言うのに、呑気に料理とは何をやっているんだろう。
リグに精をつけてもらうためと、話をすり替えて、ベルファレスと顔を合わせることから逃げていただけだった。
* * *
リグは鹿肉の香草焼きをひとくちかじって、不思議そうな顔をした。
「……なんだこの複雑な味は……」
続いてもうひとくち、今度は大きくかぶりつく。
その後、もうひとくち。だんだんひとくちが大きくなり、無言で平らげてしまった。
「美味いとは、こういうことなのか……」
と、感心したように言う。
普段は厳しい顔をしているとこが多いリグだったが、この時は子供のように瞳の奥がキラリと光った。
「ふふふ……」
ハティは何も言わずに微笑むだけだったが、とても楽しそうだ。
「これは気に入った。いい香りだ」
最初病室に入ってきたときはぶっきらぼうな態度だったが、食後のハーブティーのおかげか、すっかりリグの表情はほぐれていた。
「レラ殿が食べ物で精をつけると言っていた意味がわかった気がするぞ。食べ物は薬と同じなのだな」
「ああ、それに人生に彩りを与えてくれる、楽しみでもある」
「確かにその通りだ。平原の民の文化は興味深い」
「ところでさ……」
場が和んだところで、今まで思っていたことをふたりに伝えた。
「そのレラ殿ってやめてくれないか? レラでいい」
ふたりは顔を見合わせ目をぱちぱちさせたあと、「それは困った」とリグが喋り出した。
「ベルファレス様が何と言うか……」
「ベルは関係ない。これはわたしとリグ、ハティの問題だ」
「そう言われましても、難しいです」
ハティも渋い顔をする。
「ベルも含め、私たちは〟友人〟だろ? 上も下もないんだ」
かつての三人の関係を引き合いに出し、提案してみる。
「ふたりだって、親しみを込めて昔のようにベルと呼んでやったらいいのに」
ふたりは気まずそうに顔を見合わせた。
「ベルファレス様は我らの先頭に立つドラクの首長だ。個人的な感情よりも威厳を大事にしなくてはいけない。ベルファレス様がおっしゃることは絶対だ」
後半の言葉は腹に何か抱えているように思えた。
「例えばリグの考えとは違っても?」
「……ああ」
リグが歯切れ悪く返事をする。思うところがあるようだ。
「ベルは昔みたいに呼んで欲しいみたいだぞ」
またふたりは「意外だ」と驚き顔を見合わせた。
「呼び方の件は保留とさせて頂きますね。いつまでもわたくしたちの主君をひとりぼっちにさせておくわけにはいきませんわ。レラ殿、ベルファレス様のもとにもお料理を届けてください」
「……そ、そうだな」
「きっと待っています。レラ殿を」
昨日のことを思い出すと焦りが募る。でも逃げるわけにもいかない。向き合わなくては……。
そう心に決めても次の瞬間には不安になる。どのような顔をしてベルファレスと会えばいいのだろうか。
気持ちの整理がつかぬまま、ハティに連れられ城外に出た。
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