第12話 湯殿にて

 ひとまず私たちの関係は友人に落ち着いたが、竜王・ベルファスは友人を自身の居室で寝泊まりさせ、傍に置いておこうとするので、「我が国では友人専用の客室を用意するんだ」ともっともらしく説き伏せた。


 いまいち腑に落ちない様子で不満げなベルファレスだったが「よくわからんが、レラの国の流儀に従おう」と了承してくれた。


 なんとか部屋で二人きり生活の機会は免れたものの、わたし自身微妙に嘘をついているので複雑だった。親しい友人関係ならば、友人の部屋で寝泊まりすることもあるだろうし、二人きりで過ごす時間だって長いはず。それらが成立するのは友人が同性の場合に限るだろうが。


 だが一方で、わたしを女と知りながら傍に置いていたランティスとは部屋で二人きりになっても何もなかった。

 それはランティスがわたしに好意を抱いていていないということか……。


 自分の体つきを見直して、妙に納得したものの、少しだけがっかりしてしまったのは秘密だ。


 湯に浸かっているとあれこれ考えが止まらない。


 わたしは今、竜人族の長専用の湯殿に浸かっている。ベルファレスが入浴を勧めてきた。

 実はベルファレス本人も「友人をもてなすため」とか言って、一緒について来ようとしたが、全力で断った。

 いちいち距離感がわたしの感覚とは違う。


 何日ぶりに湯を浴びただろう。体が芯から暖まり、体がほぐれていく。


 湯殿と言っても露天温泉で、首長専用に向けに仕立て上げた広い石畳の湯船以外は自然のままだ。周囲は林に囲まれており、わたしの姿を覗き見される心配もない。


 新鮮な森林の空気を胸いっぱいに吸い込む。


 邪念を追い払おうとしたが、心のモヤモヤは消えない。水に流すどころか、流れを塞き止め、自ら引っ張り出してしまう。



 * * *



『レラ、少し染みるぞ。じっとしてろ』


 ランティスの言葉を思い出し、背中がビクッと震えた。


 それはある任務で共に遠征に出掛けていた時のこと。背中に切り傷を負ったわたしをランティスが手当てをしてくれたのだ。


『怪我をしているではないか。手当てをする。……脱げ』

『……えっ』

『そんな顔をするな。素肌を出さずにどうやって手当てをするんだ。傷口に薬を慣れないだろう』

『……でも』

『……安心しろ。何もしないと誓う。俺を信じてくれ』


 ランティスが背を向けている間に上半身の防具や肌着を脱ぎ、無防備な背中を差し出した。

 約束通りランティスは何もせず、手当てを終えた後、夜襲に備えてテントの中で共に過ごしたが、その晩は何も起こらなかった。



 * * *



 あの時のように背中は無防備だが、今はひとりきり。


 それでも落ち着かずに胸が騒いだ。

 ベルファレスとランティスのわたしに対する態度の差は、好意があるなしに関係しているようだ。


 理解が及んだのはそこまでで、わからないのは自分の気持ちだった。

 考えすぎて、口がぶくぶくと湯に沈みそうになったところで、聞き慣れた女性の声がした。


「レラ殿、着替えを持ってきましたよ」


 ハティだ。

 湯から上がり、彼女のもとへ向かう。

 ついたてで囲まれ、地面に厚い絨毯が敷かれた簡素な脱衣場でハティが大判の布を広げて待っていた。それにくるまって、体の水分を拭く。


「いいんですか? わたくしで。侍従なら他にもおりますのに……」


 遠慮がちにハティがわたしの体を拭く。


「ハティがいいんだ」


 ここで生活するにあたり、ベルファレスから世話役をつける申し入れがあった。

 わたしは手当してくれたハティを指名した。これ以上、他人に素肌を見られるのはごめんだ。ここまではわたしの一方的な意向だったので、突如として不安になる。


「嫌だったか?」

「いいえ、そんなことはありません。しかし……」


 ハティが口ごもり以降黙ってしまうので、問いかけた。

「……しかし?」

「わたくしは他の者よりも実直に言ってしまうところがありますし、手荒いのであなたを傷つけないか心配です」


 なんだ、そんなことか。むしろ気を遣われる方が虫の居所が悪くなる。

「その方がありがたい」

「それはよかったです」


 ハティは軽く微笑むと、体を拭いていた布をバッと取り上げた。


「こら! 勝手に取るな!」


 あられもない姿を晒され、拳を掲げて怒るわたしにハティはふふふっと笑った。


「手荒いとはこういうことですよ」


 まだ言い終わってないのに、投げ込むように服を渡してくる。

 なるほど、手荒いとは雑のことだな。安心した。彼女とは何でも話せそうだ。


 少し気持ちが楽になった。


 スカートと一体になった薄手の肌着に袖を通そうとしたところで、違和感に気づいた。


「さらしはあるか?」


 ハティが首を傾げたので、別の言葉で言い直す。


「包帯のようなものだ」

「まだ体が痛みますか?」


 ハティは具合が悪いのではないかと心配そうにこちらを見てくる。


「いや、違うんだ……。布の帯を巻いて、胸を潰したいんだ……」


 騎士団では男の身なりをして生きてきた。

 幸いにも、女にしては拾い肩幅と起伏の小さい胸のお陰でさらしを巻けば、男のような四角い上半身を形作ることができた。皮の胸当てを装備し、その上から騎士団の制服を着用すれば体の曲線を隠すことができた。

 鍵を閉めた部屋なら素肌のまま寝ることはあったが、それも稀で、胸にさらしを巻いていないと不安になる。


「その必要はないと思いますけど。……肌着の上にはこれを」


 軽く受け流され、要望は聞き入れて貰えなかった。先ほどまで楽しく会話をしていた雰囲気が重くなる。


「ん……」


 わたしは返事のかわりに唸った。何か機嫌を損ねるようなことを言ってだろうかと不安になる。


 促されるままに、素肌が透けて心もとない肌着の上から、厚手の白いローブに袖を通す。胴衣とスカートが一体となっていて、胴の留め具を前を閉じればドレスのような格好になった。前開きの裾からは肌着のスカートがチラリと覗く。祖国ではドレスの裾からペチコートを覗かせるのがお洒落だと聞いたことがあり、それと少し似ていた。


 さらしがない胸は衣服を纏っていても外界に向けて無防備に解放されているようで着心地が悪い。


 もじもじしているハティがため息をついた。


「なぜ美しさを隠そうとするのですか?」

「美しい⁉」


 変なところから声が出た。とっさにローブの上から胸をおさえる。


「ええ、レラ殿はとてもお美しい方だと思います」


 ハティは胸の上で組んだわたしの腕をほどき、ローブの腰についている紐を絞った。


「わたくしたちとは違って肌は白くて、キメが細かい。柔らかくて、滑らかで……うらやましい限りです」


 腰紐を絞ると、背筋が伸び、スッと胸が上を向いた。今まで感じたことがない清々しさで胸腔内が満たされる。

 ハティはわたしの前へ回ると胸元を整え、わたしの短い髪に触れた。


「しなやかに輝く黄金の髪。そして、綺麗な瞳。左右で瞳の輝きが異なるのもまた、素敵ですわ。まるで天からの賜りもののようです」


 心なしかハティの声はうっとりとしている。珍しいものを見ているかの様子だ。


「……褒めるな。こそばゆい」


(髪も瞳も褒められたことなんてない)


 ハティは脱衣場に置いてあった姿見をこちらに向けた。


「ほら、お美しい」


 そんな大袈裟な。と、うっすら目蓋を開けて鏡を見る。


「これが……わたし?」


 目を見張った。

 そこには、見たこともない、わたしの姿が映っていた。

 自分の姿と認識できない。まるで別人だ。どこからどう見ても、〝女性〟なのである。


 物心ついた頃からズボンしかはいたことがなく、ヒラヒラした服、スカートやドレスと言うものをはいたことがなかった。一生身に付けることがないと思っていた女物の服を今、わたしは身に纏っている!


 言葉にできない興奮がふつふつと沸き上がり、小刻みに肩が震えた。

 これが感動と言うものだろうか。


 わたしに起こった感情の変化により、「わたしは女物の服を着たかったのかもしれない」と言う願望を初めて思い知った。


「お似合いですよ」


 鏡に見入ったまま、わたしは同じ言葉を何度も繰り返した。


「これが、わたし? 自分じゃないみたいだ……」

「レラが殿は商人が見せてくれた工芸品の女神像のようですもの。美しいはずですわ」

「……ああ。……えっ? 何て?」

「いいえ、何でもありません」


 ハティが何を言ったのか頭に入らないくらい、鏡の自分に驚いていた。

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