No,2 朝の憂鬱
1982年
──12月のパリ。
もうじき22歳を迎える豪田明彦は、滞在中の高級ホテルにてその日の行動を開始した。
(パリは疲れる。ああ、早くオックスフォードの学寮に戻りたいな……)
明彦は日本でも有数の一流商社、豪田物産のオーナー社長、豪田耕造の一人息子と言うやんごとなき立場にあった。
しかし明彦は耕造の実子ではない。彼は子供の頃に豪田家の跡取りとして縁組した「養子」と言う、極めて微妙な立場でもあった。
世に言う五大商社の中でもその巨大化した組織の中にあって、未だ創業家のオーナー社長としてその座に君臨しているのは豪田耕造ただ一人。
それだけに社内における耕造の権勢は並々ならぬ強大な物であり、当然のごとく、その社内人事に豪田家の同族会社の感が色濃く現れてくるのも無理からぬ事ではあった。
そんな状況下にあって、明彦のおかれた立場が本人の意志に関わる事無く、全く身動きの取れない不自由を強いられる事は如何ともし難い事実ではあった。
明彦は、自分の置かれたそんな立場を嫌と言うほど理解している。
高校時代──幼少の頃から水泳の好きだった明彦はスイミング・スクールのコーチに目を掛けられ、ぜひ「選手養成コース」へとの勧誘を受けていた。
期待に胸を弾ませ、恐る恐るそれを養父へと報告したが──やはりその答えは否定だった。
豪田の後継者として徹底的な帝王学と経済学を叩き込もうとしていた耕造にとって、水泳とは単に養子の体力と精神力の鍛錬を目的とした、ひとつの手段でしかなかったのだ。
一日二十四時間──明彦の教育のため片時も無駄に出来ない貴重な時間の中に、敢えてスイミング・スクールの時間を組んだのは決して跡継ぎをスポーツ選手にする為ではない。
それゆえに高校における水泳部での活動は許されなかった。競技会へ向けての強化練習や合宿へ費やす時間など、耕造には当然、無駄としか思えなかった。
耕造による明彦への処遇は、全てに渡って次期後継者としての人格と実力の養成──その目的の為だけに取り計らわれていたのだ。
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