たとえそれが青春と呼べなくても

椎木結

第1話 その装備は登山というよりピクニックであったーーー

 春風が芽吹く新年の幕開け。

 新しい学校に期待を向ける者や、新社会人となり社会の荒波へと出向く者。制服を身に纏い、懐かしむように新たな門出を微笑ましい表情で歓迎する先人達。

 全てが一変し、一新する。

 新しい日常へと変化していく一歩を踏み出し始めた四月一日。そんなある者にとっては大切で、かけがえの無い日に俺は山へと繰り出していた。


 場所は関東よりの東北。春先芽吹く新芽が青々とした『春』を一番感じられる場所に来ていた。


 服装は『登山』と言うよりかは『ランニング』と見られるであろう半パンにタイツ。ランニングシューズに長袖。それっぽい帽子はないかと家の中をこねくり回した結果発掘した麦わら帽子を被り、リュックサックには水筒と昨日の夜に入手できた半額の弁当。服装はランニングだが、持ち物はピクニックである。


 今年から古咲こさき高校の新一年である俺、遠崎斗真とおさきとうまは目的を持って入学式をブッチしてこの場所に来ている訳ではない。

 思春期あるあるな『自分探し』でも『将来に役立てる為』とか『見聞を深める為』などの高等な理由などは存在しない。ただそこにあるのは『やってみたいから』と言うだけの至ってシンプルな、そして深い理由もない行き当たりばったりな理由である。

 なので、入学式に行かずにこの場所にいる理由を真摯に聞かれると困るし、親身になって聞かれると心苦しいものがある。だって理由はないんだもの。


 今日も今日とて会社に向かう両親を見送り、準備していた衣装を身に纏い、リュックサックを背負う。ただその行為だけで俺の心は満たされ、気持ちは高校生ではなく『登山家』になるのだ。持ち物はピクニックで完全に登山を舐めているのだが。


 やってみたいから、とそんな理由なので登山をしにこの場所まで自転車をかっ飛ばしてきたのだが、奥深くまで登るつもりは毛頭ない。だって熊とか猪とか怖いし。迷子になるのだって怖い。意外と俺は小心者なのだ。好奇心が旺盛なだけで。

 なので俺のやってみたい登山も、ハイキングコースに沿って十分弱登り、小休憩のスペースがあるこじんまりとした広場が目的地なのだ。リュックサックを下ろし、清々しい自然の空気を肺一杯に溜め、一気に吐き出す。都会の喧騒から逃れ、大自然に身を置いたこの状況は非日常感と、少しだけの高揚感。そして言い難い罪悪感が胸一杯に広がる。


「……弁当食って学校に行くか」


 小学生、中学生時には年齢的な問題と、親の目があり実現出来なかったこの『非日常感』に少しだけ物足りなさを感じながら、リュックサックからレジャーシートを取り出し、自分だけの空間を作り出す。この小スペースにはベンチが何個かあるが、それに座って弁当を食べたらそれこそピクニックである。そっちの方が楽でも、自分を律する心が大事なのだと自分に言い聞かせ、準備を終わらせる。レジャーシートを引いて、弁当を取り出すだけだが。


 腰を落ち着かせ、麦わら帽子を自分の側に置く。良い天気だ。燦々と降り注ぐ太陽の日差しは、暖かく、体を熱らせる程で、夏のような嫌な感じはしない。これが春の陽気か、これが登山なのか、と徐々に湧き出るワクワク感に頬を緩ませながら弁当の蓋を取る。ハンバーグ弁当だ。特に何もせずリュックサックに仕舞い込んだので、若干蓋がずれ、ハンバーグのタレがリュックの中に溢れていたのはこの際気にしないことにする。家に帰ってからゆっくりと絶望を味わうとしよう。


「……帰りたくねぇなぁ」


 そんな、家に帰ってからどのように綺麗にしたら良いかの悩みが浮かび、深いため息が溢れてしまう。俺の言葉に呼応するように周囲の木々が風に吹かれ、草花が揺らぐ。それに隠れるように一つの足音が聞こえ、一人の女性が俺の前に来た。


 サンバイザーを頭に装着し、長袖長ズボン。靴はガッチリとした一目でわかる登山用。背負ったリュックサックは人間でも入っているのか? と疑いたくなるようなデカさ。両手にはどこかの番組で見たハイキング的な杖を持った、若干茶色みがかったショートヘアーの美少女だった。一瞬だけ山の怪異か? とギョッとしてしまう。年齢的には自分と同じか少し上だろう。一般的な少年少女は学業に勤しんでいる時間帯だからだ。

 和かに腰を落とした彼女にびっくりしながら声を出す。


「えっと、こんにちは? 良い登山日和ですね」


「うん、こんにちは。君もサボってここに?」


 山の怪異と言う線は恐らくなくなった。こんな美少女は山の怪異にして置くには勿体無いからだ。


 彼女の言葉に少しだけ言葉が詰まる。サボり、サボりかぁ。確かに常識的に見て、四月一日の金曜日。平日の十時半に山にいる少年を見たらサボりか、自分探しの旅に出かけているのだと予想出来る。多分俺も同じような人が居たら彼女みたいに声は掛けなくても同じように思うだろう。

 だが、そんな彼女の問いかけに対し、一言「サボりです」と言えないのはどこか、自分の中にサボりではない高尚な理由があるからだと思っているからだろう。これはサボりじゃないし、やってみたい事をやってみる行動力に溢れる将来有望な美少年だし! と、反抗心的なものが浮かんでしまう。


 そんなあーでもない、こーでもない、と表情を千変万化させている俺を見て、彼女は笑った。


「ごめんね。私も多分同じようなものだから、変に言葉で形容して欲しくないよね。うん。ちょっと失礼だったね」


 同じようなもの、と言う事は彼女も行動力が暴走している系なのだうか? と、一瞬考え、んな訳ないと一蹴する。自分で言うのもなんだけど、そんな変人が複数居てたまるか。彼女に対し、弁明する。


「いや、俺は純粋に登山してみたいなぁ、て思って来ただけなんでサボりとかではないです。だって学校よりも山の方が面白そうじゃないっすか」


「面白そう……確かにね。でもそれってサボりだよね」


「見方を変えたらサボりかもしれないですね」


「じゃあ私と一緒だ」


 隣良い? と、聞かれ首を縦に振る。よっこらしょ、と見た目同様に重たいリュックを地面に置き、彼女は俺の隣に腰掛ける。パーソナルスペースクソ狭いなこの人。

 ほぼカレカノみたいな距離感になったのだが、美少女が側に居て不満を持つほど人生に満足してないので特に何も言わない。柔軟剤の匂いと、彼女の汗が混ざってめちゃめちゃ良い匂いがする。多分香水にして売ったらアホほど儲かるだろう。


「私もね」


 と、数秒の間をおいて彼女は話し始めた。


「あ、そうだ。私は相園千花あいぞのちか、気軽に千花ねぇとでも呼んでくれたまえ」


 悪戯っ子のような笑みを浮かべる彼女に合わせて俺も自己紹介を返す。


「じゃあ遠慮なく。俺は遠崎斗真、気軽にととくんとでも呼んでください」


 そんな青春の一ページのようなやり取りを挟む。最早俺にとって彼女がお姉さんなのか、歳下なのかは些細な問題だった。こんな年上オーラをプンプンと醸し出している女性に「年齢って聞いても良いですか?」と質問出来るほど俺の心は鋼鉄に出来てない。そして雰囲気を感じれないほど冷徹な心をしていない。


 お互いに照れくさそうに笑い合う。


「実は、今年から高校生になるんだけどね、」


 そんな彼女の前置きが俺の耳を通り、鼓膜を刺激し、言葉として脳みそが理解するまで相応な時間が掛かった、ような気がした。実際はそんなに時間は掛かっていない。彼女の背景ストーリーを聞かされる前に、千花ねぇとととくんの間柄は終わってしまったのだと理解した。俺にとって彼女はお姉さんではない。まぁ、彼女から見た俺はととくんなのは変わりないのだが。


 言わなければいっか、と決まり、彼女の話を聞く。


 纏めれば、去年の中三の終わりに此処に引越して、人間関係を構築する前に高校進学が決まったらしい。元々人付き合いは得意な方ではなく、そんな自分自身に飽き飽きして積極的にコミュニケーションを取ろうとしたのだけど頓挫。中学からハマった登山に、気が付けば登山服に身を纏って登頂を目指してこの場所に来ていたそう。


 ほーぅ。


 聞かされ、疑問に思った。気が付けば登山に来るってエグいね、と。そこまで山が好きなのか。それとも逃げる先が山しかなかったのか。

 そのどちらなのかは俺には判断出来ないが、恐らく同じような境遇だと思って俺に話してくれたのだ。初対面の異性に。恐らく年下で、恐らく二度と関わらないであろう相手に。

 そんな意図を感じ、言葉を考える。思い付きで山に来た俺に何ともまぁ、すごいね。うん。


「俺は千花ねぇじゃないんで何とも言えないですけど、山に来て何をしたかったんですか?」


「何を、って」


「逃げたかったのか。気を晴らしたかったのか。立ち向かう準備なのか」


 喉が渇き、水筒の蓋を取り麦茶を注ぐ。少し迷って隣の彼女に軽く差し出し、受け取られる。びっくりする。自身はラッパのみで喉を潤す。


「言っちゃえば初対面なんで深い事は言えないし、深い事は何も知らないですけど、逃げたって良いと俺は思うんですよね。だって何にだって立ち向かえる程強くないし、立派じゃないし。でも、そこで逃げたままじゃなくて立ち向かう意思があればどれだけ遠回りしても良いんじゃないすか。だってまだ子供だもの」


 俺は逃げた結果の登山じゃなくて、好奇心での登山だけどね!


 コクコクと、美少女は麦茶を飲む音でさえ美少女なのかと新しい発見をしながら待つ。特に何か返事をして欲しい訳じゃないが、小っ恥ずかしい事を言ったのだから少しくらいは反応が欲しいなぁと思う。だって子供だもの。


「どこまで自分を律しても、自分を強く見せても、大人からしたらどうしようもなく子供っすもん。多分。親も、教師も、先輩だってどこかしら迷惑を掛けて、勝手に納得してもらって、で、自分が大人になって振り返って『あぁ迷惑かけたなぁ』って思って少しずつ恩返ししていくもんだと思うんすよね」


 でも


「だから俺くらいは全肯定してあげますよ。だってととくんだもん」


 最早何を言っているのか分からなくなりつつあるから本格的に何か反応が欲しい。何を言ってんだって笑い飛ばして欲しいし、何なら変なやつだなぁ的な表情でどっか行ってくれたって良い。なんで登山に来て人の悩み事を聞いているんだか。俺的には今後の学校生活の方が気になりつつあるのに。


 彼女がどんな意図で此処にいるのか知らないが、そこら辺は両親とでも相談してくれ。俺には何も、どうだってする事は出来ないよ。同じ学校に通ってるんだったら仲良くする事も出来るけど、多分ここら辺の人なんでしょ? 良いじゃん。自然が近くにあって。放課後に登山とか憧れるなぁ。登山ガールだっけ? 前に話題になったもん。新しい登山ガールの新星の誕生かぁ??


 と、木々が擦れる音、鳥が囀る音だけが聞こえる自然の無音が響くこの空間で、何か納得がいったのか、彼女は飲み干した水筒の蓋を置き、目元を拭った。


「うん、うん。少しだけ楽になったよ。お茶、ありがと」


「いいえ、どういたしまして。お茶くらいだったらいくらでも飲んで大丈夫ですよ。弁当は流石にあげられないですけど」


「ふふっ。ハンバーグ、好きなんだ」


「ハンバーグが好き、と言うよりかは腹が減ったのであげられないってだけですけどね」


「へぇ〜?」


 と、彼女は悪戯っ子な表情を浮かべ、俺の手から割り箸を奪ってハンバーグを一口。三分の一が食われた。


「えぇ? 話聞いてました?」


「キザな男の子に、少し位は意地悪したくなるってもんだよ」


「理由になってなくないっすか」


 彼女は立ち上がり、俺に水筒の蓋を返す。


「色々とありがとね。……じゃ、行こっか」


 ちょっとだけ泣きそうになりながら欠けたハンバーグを見ていたら手を差し伸べられる。首を傾げる。何処に? 家? な訳ないか。

 少しだけ疑問に思いながら出された手を握る。


「ここに来たら行くところは一つでしょ」


 そう、たんぽぽのような眩しい笑みを浮かべながら指を刺す。その方向は山頂である。


「いや、俺は登山に来たっていってもほぼピクニックと言うか……準備も全然出来てないし、弁当も食べれてないし……」


 弁当七割、準備三割くらいの割合である。本気で言ってんの? 登山って舐めた装備で行くと死ぬんじゃないの? テレビで見たことあるよ、俺。

 そんな心配を他所に、彼女は俺の服装を見る。そして頷いた。


「うん、格好は完璧だね。何で麦わら帽子を持っているかが謎だけど、ランシューに長袖長ズボン。完璧な装備だよ。ってか登山って言ってもこの山は道が整備されているし、野生動物も殆ど姿を見せないらしいからね。急がなくても二十分もあれば山頂に行けるよ」


「そんな事じゃ……」


「誰しも、山に来る理由は登頂して、普段見れない景色を見る事なんだよ」


 それは人それぞれなんじゃ……?


 と、思う俺の心を他所に、彼女は満面の笑みを浮かべて手を叩く。


「よーし、それじゃあ登頂目指して頑張ろー! 大丈夫、千花ねぇがついてるから!」


 そう言って彼女は無い胸を叩き、自信満々に言う。


 溜め息を一つ溢し、レジャーシート諸々をリュックに仕舞い込んでいく。経験則、と言うか空気感的にこれはついて行かざる負えない感じだ。これで「いや、学校に行かいないといけないんで」と言って山を降りれる雰囲気では無い。こんな青春ラブコメの一ページが繰り広げられているのに途中下車は出来ない。気持ちは下っているが。


 リュックを背負い、ルンルンと待っている彼女の隣に進み、俺たちの登山は始まった。


 俺が背負っているリュックよりも遥かに重い荷物なのに、足取りは軽く、若干鼻歌を歌っている彼女は自称する『千花ねぇ』らしいお姉ちゃん味を感じる。

 恐らく、新学期一日目の登校は無理そうです。流石に遅刻はしても登校しようと思っていたのに、ごめんねママン、パパン。俺、不良少年になっちゃったかも。


 不純異性交遊だけには手を染めまいと、意思を強く足を進めていく。




 三十分弱。息も絶え絶えで登頂した先に見えた景色はとても素晴らしいものだったが、正直疲れの方が優っていたので記憶にない。まぁ、千花ねぇと一緒に写真に写ったので後でデータ送るね、と連絡先を交換したので家に帰ってからの楽しみにとっておこうと思います。メッセージアプリのアイコンがどっかの山頂から撮った朝日だったのは、本当に千花ねぇは山が好きなんだなぁ、と思いました。

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