2章-2話 生きるか!死ぬか!
試合会場に隣接する、空調室。
「なんだこの空調......気持ちわりぃ......。」
整備士の男はすっかり濡れた肌着を脱ぎ捨てた。足元では空っぽのペットボトルが転がっている。しきりに連打しているボタンはコロシアム試合会場の空調だ。基本は16℃で固定されている。
オーダーがあれば5度から35度まで臨機応変に変更するのだが、なぜか異様な数字が表されていた。
「く、苦しいぞ......俺は室温が40度を超えると息ができなくなるんだ....。」
何者かによる工作か。何度ボタンを押しても表示される気温は下がらない。
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▶︎▶︎▶︎場面遷移▶︎▶︎▶︎
「なんで」
一方の勝確。残るは虐殺。そうなったとき、会場は冷えてある種の緊張状態に包まれる。それを吹き飛ばしたのはサーシャの絶叫だった。
マンモスに引きつけられた注目を再び集めるために、手足と髪を振り乱して叫ぶ。
「私が負け確みたいになってんのーーーー!!??」
彼我の戦力差は、正にアリと象だった。もちろんサーシャがアリだ。けれど彼女は逆境においてこそ凶悪に笑い、チェンソーのギアをまた上げる。
いや、チェンソーだけではない。サーシャの腹がアイアンメイデンのように開き、無数の凶器が牙を剥く。触手に操られて、ネイルガン、プロペラが凶悪なドローン、ドラバサミ......とにかく痛々しいもの全てを集めて。
ゾリッッッッッ、と水っぽい音とともに、それらが赤茶けた色の嵐となってマンモスに降りかかる。皮膚が薄い口元を切り裂き、刃が食い込み、人間と同じ赤色の血が出ていた。
そこで初めてマンモスはサーシャを敵と認識したようだった。
クジラのように巨大な両眼で見据え、ぶるんと嘶き、奮い立つ筋肉は食い込んだ鋼を粉砕する。
その猛悪な姿に、観客席からぽつぽつと「サーシャ」コールが上がる。逆転なんて期待していない。ただ活きよく暴れて潰されてくれ、そのくらいの精神で。
「パフォーマーだね。」豚御曹司が笑う。
「あん?」
「もう死ぬっていうのに、少しでも盛り上げるように訓練されてきたんだろう。見世物根性が染み付いてる。あんなのに毒狼ちゃんが絆されるなんて。」
「あ?口に入れるものも出すものもマトモじゃねぇな。」
「ククク……けど、彼女逃げ回ってるばかりだよ?」
彼の手元にあるワインには定期的に波紋が発生していた。
モニターの中では、ひたすらランペイジマンモスが力任せに暴れている。
赤と鋼の荒らしとかして暴れ回るサーシャを、足による踏みつけ、鼻の吸引、巨大すぎる体で捕らえようとする。
マンモスの一動作のたびにコロシアム全体が揺れ、観客席にもブーという振動が伝わる。かつてないサイズ感に会場が興奮で満ちていた。
「おっ、でもマンモスも苛立ってきたみたいだ。そろそろ終わりそうだぞ。」
マンモスの巨大な脚がサーシャの逃げ道を塞ぎ、袋小路のサーシャに巨大な吸引鼻が近づけられる。呑まれた末路はさっき職員が証明してくれた。消化液に溶かされ、一貫の終わり。
迫りくる大鼻は、巨人の掃除機のよう。サーシャの0.1トン近くある全身がぶわりと浮き上がった。
刹那、吸引力を利用し、サーシャは体の内から吐き出した缶や瓶をシュート!
缶ビンが破裂すると同時に、マンモスは嗚咽して大きく仰け反った。眼から鼻から涙を流すと共に、飲み込んでしまったものをぶちまける。
お お お お お お お お お(マンモスの叫び声)
「「「なにっ なんだあっ」」」
マンモスが飲み込んだのは大量の酒だった。透明な超強化アクリルに濃厚なアルコールが吹き付けられる。
「ヒャアァーーーーッ!お前つれねぇーなぁーっ!?」
悶え苦しむマンモスをゲラゲラとサーシャは笑い飛ばす。
「「サーシャさいて!!!」
「「マンモスかわいそうだぞーっ」」
笑い混じりの罵声が会場を包む。このコロシアムは基本武器の持ち込みは禁止だ。しかし、プロレスラーのヒールが毒霧で観客を沸かせるように……それがエンタメとして成立している限り、見逃される慣習がある。
他にも、試合会場に立ち込める異様な熱気もそうだった。
「客を盛り上げてはいるけど、時間稼ぎばっかり。勝負は見えてるっていうのに客も一々反応するなよ。さっさと惨めに潰されないかなぁ。」
豚御曹司が苛立たしげに机を叩いた。自分のペット《マンモス》がいいようにやられているのに我慢ならない様子だ。そんな豚を狼は嗤う。
「ああ、確かに勝負は見えたな。………サーシャの勝ちで。」
マンモスは二度同じ手を踏むまい、と脚のみでサーシャを追い詰めようとしていた。彼が脚を踏み鳴らす度地面が震え、まるで大地の悲鳴のようだ。普通の獲物なら衝撃で身動きができないだろうが、軟体のサーシャは足並みを崩すこともない。
(かわいそう)
単調なマンモスの足攻撃を避けながら、軽やかに跳ねるサーシャの内心は冷え切っていた。
マンモスはこの戦いでポテンシャルの1%も出していないのだろう。彼の本領はパワーにある。山のような巨体に筋力:A、そしてあの強靭な牙が合わされば城ですら単騎で潰してしまいかねない。
しかし、よく深い人間の都合でこんなところに連れてこられ、そして今は
気まぐれに、チェンソーで脚を切りつけてみる。鋸歯は直ぐに毛で絡まり動かなくなる。これほど強靭な体は一体何年かけて築き上げられたのか。
(同じ魔物として、きみと闘えることを、誇りに思う。……けれどそろそろ時間だ。)
単調な、このまま逃げ回るだけの展開が続くと観客が飽きる。
「マンモスよぉ〜〜〜、気がついていないのかぁ〜〜〜い!?」観客にも届くように叫ぶ。
「お前の足場、すでにガタガタ。これ以上動くとどうなると思う〜〜〜!?」
言葉が伝わったわけではあるまいが、不意にマンモスは動きを止めた。彼はさっと血が引いたことだろう。自分が踏みつけすぎて、普通絶対壊れないはずの足場が崩壊寸前になっている。超強化コンクリの足場は所々崩れ、ガスや下水を処理する管が顕になっていた。
他の足場を探そうにも、コロシアムは超絶アクリル板で覆われていて逃げ場がない。ピクリとも動けない様を、サーシャは同じ底辺から嗤う。
いつの間にか試合会場は熱々に熱され、圧力は限界まで高まっていた。
「……自分のせいで一転窮地のマンモスくん。ところで、君さっき私のアルコールをめちゃくちゃ撒いてくれたよね。さらにぃ、私が持ってきた魔導TNTがあります☆これどうなると思う?」
赤い「TNT」とプリントされたブロックを見ても、マンモスに理解できるはずがない。底知れぬ人の悪意など。
巨大な瞳は一様な怒りしか映さなかあった。
だから号令の後で、結果を端的に伝えよう。
「イッツ……」
(許せ、とは言わない。けれど。君の犠牲は無駄にしない。)
「ショウターーイム!!!」
TNTが地面に落ちる。直前にサーシャは丸くなり、表皮を奥から段階的に固くする。
これまでの何よりも大きい、地面がひっくり返るような衝撃があった。効率的に衝撃を逃すよう設計した表皮でも、内蔵がひっくり返るかと思った。というか、一回死んだ。
観客たちが見たのは閃光、マンモスを包むアクリル板内の青い炎。
ボッ、といっそ情けないくらいの破裂音があった。TNTの火花はアルコールに引火し、爆発的な燃焼がマンモスの五感を引き裂く。
床が崩れ、砂やコンクリは上に下に、波のように弾け飛んだ。マンモスは体の半分ほどを地下に落とされ、かれの頭上には熱され、半ばマグマと化した土砂が降り注ぐ。いかに銃弾をも退ける熱い皮膚があろうと、炙られてしまってはたまったものではない。
獣油でギトギトに濡れた毛皮に炎が引火し、その半身を炎が包む。
一瞬にして彼は地獄に落とされた。熱く/くらく/これまで体験したことない灼熱地獄。手も脚も動かせず、加えて言うなら。悪魔のような鬼のような形相のスライムが、眉間に立っていた。
マンモスが爆発に悶えている間に、有刺鉄線を駆使したワイヤー・アクションで移動したのだ。
ここにきて彼は始めて思った。逃げなければ、と。ここは彼の生存圏ではない。
頂点捕食者であったはずの彼の頭上に、悍ましい悪魔のような生物が立っている。周囲は透明な板と、悪魔と似た形の生物、そして血と腐臭で満ちていた。
しかし逃げ道を探すマンモスの目に、マシンガンが突きつけられた。
暴力的な爆風、発光、そして一万ドルぶんの鉛玉。
0距離から、両手と触手を使った9ミリパラの嵐が吹き付けるそれは射撃良いとより掘削に近い。
あまりの苦痛に、マンモスが暴れ身を捩る。頭をアクリル板に叩きつけるたび会場が震え、眼窩にいるサーシャも全身を叩き潰されるような振動に襲われる。
天と地の平衡を失い、叩きつけられ、食いしばった齒は折れ、マシンガンの銃槍が湾曲する。
しかし吹き出す血を養分に、露出する神経に全身を絡みつかせ、引き金を握り続ける。
打ち上げられる銃弾の雨を、流れる血を、巨獣の悲鳴を、観客は残酷に喜んだ。
赤い夕日が溢れていた。
マンモスは死に、その体内から血みどろの少女が現れた。
腐臭と硝煙が立ち込める中で銃口を天に向け、もう片方の手でガッツポーズをとりながら残弾を打ち尽くす。このジャイアントキルに、今日だけで何億という金が動いただろう。
サーシャに血と鉄、歓声が降り注ぐ。
「マンモスもいいけど、豚も食いたくなったな......。レアでね。」
整備室の仕込みはうまくいったようだ。グイッとスパークリングワインを傾ける。喉を刺す小さな針が気持ちいい。
「ば、ばかな……。」
「2億、きっちり取り立ててくれよ?」毒狼は立会人にネイルの先を向ける。
「くそ、なんなんだお前ら!なんのためにこんなことをしてる!?」
んーーーー、と腕を伸ばし薄い胸を震わせ、フードのついたコートを翻し、毒狼は席を立つ。
あどけない、というには毒毒しい笑みで返した。
「望みを叶えるためよ」
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