猫になっても母はうるさい
めがねあざらし
第1話
これは俺と『母』のちょっと不思議な物語。
久しぶりに帰る実家の玄関は、妙に静かだった。
佐久間隼人はスーツケースを引きずりながら門をくぐり、ポケットから鍵を取り出した。
「……ん?」
鍵穴に差し込む前に、ドアが押せた。
鍵が、かかっていない。
「母さん?」
声をかけても返事はない。
不審に思いながら、隼人は靴を脱がずに廊下を進んだ。
リビングに入った瞬間、冷たい空気が頬を撫でる。
カーテンが少し開いたままになっていて、薄い冬の日差しが差し込んでいた。
──その部屋の中央で、母は倒れていた。
***
「死後三日です。最期に猫が一緒だったのがせめてもの救いですね」
医者の言葉は淡々としていた。
母が運び出された後の部屋は、生活の痕跡をそのまま残していた。
テーブルの上には飲みかけの紅茶と、読みかけの文庫本。
こたつには古いひざ掛けが置かれ、その端で一匹の猫が縮こまっている。
「ちょび……」
キジトラ模様の猫が、隼人をじっと見上げた。
母が「ちょび」と呼んで溺愛していた猫だった。
隼人がソファに腰を下ろすと、ちょびはのそりと歩いてきて、膝の上に丸くなる。
小さな体は、意外なほど暖かかった。
「母さん、何で……」
独り言のようにつぶやいたが、返事はない。
そのまま膝の上のちょびを撫でていると、不意に涙がこぼれた。
海外赴任を終え、これから久しぶりに顔を見せるつもりだったのに——。
間に合わなかった。
「俺が、もっと早く帰っていれば……」
膝の上のちょびは、喉を鳴らしているだけだった。
***
葬儀はあっけなく終わった。
親戚は少なく、母が生前親しくしていた近所の人が数人参列しただけだった。
淡々と手続きを進めるうちに、悲しみはどこか遠くに置き去りになっていく。
「これ、どうしようかな……」
母の遺品を前にして、隼人は途方に暮れた。
実家に戻るたび「片付けなきゃ」と思っていたはずなのに、いざ目の前にすると手が止まる。
残されたちょびが、そんな隼人の足元に擦り寄る。
「お前を置いていくわけにもいかないな」
隼人はちょびを抱き上げ、自分のマンションへ連れ帰ることにした。
「俺の部屋、猫飼っていいんだっけ……まあ、今さらどうでもいいか」
そんな独り言に、ちょびは静かに鳴くだけだった。
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猫になっても母はうるさい めがねあざらし @megaaza
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