スカーラハの死神
春髷丼
第一章 旅の道連れ
第1話 運のツキ
しんと静まった暗闇で、ぴちょんっ、と水滴の弾ける音が反響する。
地上から地下へと染み出た水は冷たく、洞窟の冷ややかな空気を保っていた。
腰に提げたランタンを掲げ辺りを照らす。
水気が強いためか、岩壁と足元は湿っていて苔むしていた。足の踏み場を間違えれば滑ってしまうだろう。
更に洞窟の奥へ進むと開けた空間に出た。天井はさっきよりも高く、シグの頭が岩肌に擦れる心配も無い。それでいて腰に帯びた長剣を存分に振り回して戦えるくらいの広さがある。
洞窟や遺跡に関する知識は殆ど無いが、何となく、人の作為があると直感が告げていた。人の手が加わっていない森に都会の建物が急に現れたような違和感だ。
そして空間の最奥。そこへ灯を向けると何らかの設備の一端や散乱した書物らしき物がにわかに照らされる。依頼主の話がデマでなければあそこに目当ての物があるのだろう。
渡された物の使いどころか。
腰のポーチに手を伸ばし、中から翡翠色の石を吊り下げたペンデュラムを取り出した。
依頼主によれば、この翡翠石には魔力を感知する術を施しているらしい。魔術罠や目に見えないまやかしがあればこの石が反応するそうだ。
眼の前にペンデュラムをぶら下げ、揺らさずにじっと石を見つめる。
さほど間を置かずに翡翠石は微光を帯びて一人でに揺れ始めた。
これが言っていた反応か。確かめるべく周囲にペンデュラムを向ける。壁や天井には特に反応を示さない。では、としゃがみこんで足元に向けると、光が強まり更に速く振れだした。
当たりのようだ。さて、どうするべきか。
隻眼の冒険者、煤衣の剣士シグがこの依頼を受けたのは一昨日のことだ。
依頼主は神学者を名乗るエルフとその弟子を名乗る少女の二人。依頼を受けたのは報酬額が美味かったから、ただそれだけである。
田舎の若者が夢見る運命や栄誉とやらは冒険者ギルドの酒場には転がっていない。金と酒精と、不幸な人間の生死が往来しているだけだ。
肝心の依頼内容だが、この洞窟内に存在するという古代魔術師の隠れ家の調査と、魔術師が所蔵していた本の回収だ。
洞窟を住処としていた怪物───狼種のワーグが居たが、道中で粗方片付けた。
後はこの奥へ踏み込むだけなのだが……最後の最後にこれである。
罠か否かの判別はつかないが、わざわざ洞窟に手を入れて作った仕掛けだ。こちらを害する結果をもたらすのは確実だろう。
シグは魔術の知識に疎い。怪物の討伐や隊商の護衛ならばともかく、この手の魔術的な遺跡、遺物の調査は門外漢に等しい。魔術罠の解除なんてその最たる分野である。こんな事ならば洞窟の入口で待っている弟子の少女を引っ張ってくれば良かっただろうか。
とにかく、雇われたからには仕事を果たさなければ。
懐から〈囮〉のルーンを刻んだ石を取り出し、前方へ放り投げる。広間の中間あたりに落下した瞬間、突如として広間に魔術陣が展開された。
やはり罠か。看破した直後、陣の中央──広間の真ん中に大きな穴がぽっかりと開き、そのままルーン石は虚空の中に飲み込まれてしまった。
これは〈落とし穴〉の魔術罠だ。
あの虚空に落ちてしまうと二度と外に出られないだとか、はたまた異界の魔物に食われてしまうとも噂されているが、真偽は不明である。〈落とし穴〉を解除した事例は数あれど、落ちて生き延びた者の話など聞いた試しが無い。
ともあれ、罠の発見に把握。ひとまず斥候の役目は果たした。
ルーン石は惜しいが、命を拾っただけありがたいと思うべきか。
魔術罠の解除は流石に専門外である。ここからは彼女に任せよう。
「シグだ。聞こえるか?」
懐から取り出した乳白色の石に話しかける。
……が、特に何も起きない。
おかしいと思い何度も繰り返し話しかける。
「おい。 ……おい、聞こえるか?」
ようやく石が振動して少女の声が響いた。
『あーもうっ! そう何度も話しかけなくても聞こえてるってば! で、なに!?』
「最深部に〈落とし穴〉を見つけた。その先に何か設備らしきものが見える。恐らくあんたらの目当てだろう」
『ほんと!? 先生の与太だと思ってたけど……実在したんだ』
実在が疑わしい物の調査をさせられていたのか、とは言わない方が良いのだろう。その方が話が進みやすい。
『それじゃ、さっさと金目の物と、研究資料とか売れそうな物集めて持ち出して。ついでに伝承とかカルポス関係の本も全部──』
「魔術罠の解除を頼みたい。俺にはできないんだ」
『え、できないの?』
「魔術呪術の類は専門外だと依頼を受けた時に言った筈だぞ?」
『あぁー……えぇー……もうっ。分かった、少し待ってて』
最後に溜息を吐かれたきり、少女の声はしなくなった。
それにしても応答が遅かったのは取り込み中だったのだろうか。
……まあ気にすることでもないだろう。
しばらくして、シグの居る広間に身軽そうな装いの少女がやってきた。……のだが、やけに疲れた様子である。
「あ゛ぁーしんど……足元はでこぼこしてて歩き辛いし途中にワーグの死体がごろごろ転がってるし……まったく、このリーフさんをこんな所へ呼び出すなんて、不遜だよ? 雇われさん」
「適材適所だ。悪いが、さっそく取り掛かってくれ」
「はいはい。で? 例の魔術罠ちゃんは?」
「あそこだ」そう言って広間を中心に広がる魔法陣を指さすと、リーフは近くまで行ってからしゃがみこんだ。
魔法陣を見るなりリーフは「んー」と唸りながら考え込み、文字を書くような動きで指を空に走らせている。何か魔術的な儀式か、あるいは意味の無い指先の運動なのか、シグが見ても判別はつかない。
「できた!」
いくらなんでも速くないか?
訝しみながら声を上げたリーフの下へ歩み寄る。
「もう解除できたのか」
「ネアザ朝時代の典型的な魔術式。学院時代に専攻してた友達に教わったの。さ、解除したんだから家探し家探し!」
「うおっ!」
上機嫌なリーフに背中を押され〈落とし穴〉の陣に足を踏み入れてしまう。
───何も起きる気配は無い。
「よし、ちゃんと解除できてる! 流石わたし!」
「……魔術学院じゃ安全確認には他者の命を使え、と習うのか?」
「起動しなかったんだから気にしないのー。細かい事を引っ張るのは心に毒だよ」
己の生死を細かい事で済ませられるのは甚だ遺憾である。しかし今それを言っても話が進まない。後で苦情の一つ二つは入れてやろう。上手く運べば報酬金額を吊り上げられるかもしれない。
工房に入ったリーフは真っ先に実験場所らしき机に向かって行った。
「
「空気が乾いているようにも感じるな。同じ洞窟とは思えない」
「環境調整の術も修めてたのかも。死後数百年も持続してるのだとしたら、かなりの使い手だわ」
「少し見ただけでそこまで分かるのか」
「そりゃあそこらの魔術師とは目の付け所が違うし? リーフさん程となると朝飯前だよっ」
「ならさっさと済ませよう。もうじき昼飯時だ」
魔術道具の類はリーフに任せ、シグはめぼしい書物を探すことにした。
依頼主に頼まれているのは各地に根付いた伝承や神話、とりわけカルポス神話の文献を探し持ち帰ることだ。
豊穣と繁栄の女神アスール、審判の神デュオニクスを始めとした多様な神が属する神話体系。それがカルポス神話。
殆ど学の無かったシグでさえ数名の神を認知できていた程に世の信仰を集めている伝承だ。
その人気が故か、カルポスの神を対象に研究する学者も多い……らしい。リーフと依頼主に聞いただけで真実定かではない。
『審判の黎明』『アグネィの種火物語』『愛欲神に抱かれて』『カルポス島の歩み』
散乱していた中でめぼしい書物はこれくらいだろう。他は依頼と関係の無いものばかりだ。
あとは本棚に残った書物群だが、これも数が多い。中々骨が折れそうだ。
「『花と音楽』『料理の始めはゆで卵から』……本棚も無関係な本ばかりだな」
魔術師とは無駄を拒み合理を好む性質の者が多いと聞いていたが、ここの主は例外だったようだ。
「題名から本の中身は読めず、だよ。雇われさん」
傍で工房の魔術道具を検めているリーフが言った。
「何だって?」
「物事の表面を見ただけじゃ本質は見えないってこと。魔術師はこの世で最も無駄無意味を嫌う。研究に必要の無い本を大金はたいて大量に手に入れるなんて絶対にありえない。所有物には全て理由がある」
「理由……これが全部研究資料とでも?」
「流石にそれはない。でも、『読む暇も無いのについ衝動買いしちゃったー』よりかは全然あり得る」
「そういうものか」
書棚に並んだ背表紙に目を向け考える。
この本がここに有る理由。
魔術師が研究に無用な本をここに並べたのは何故か。
棚の本は背の高い順から丁寧に並べられている。
だがよくよく観察してみると、歴史書の隣にガーデニングの本が置かれたり、物語の巻数が歯抜けになっていたりと並べ方に統一感が無い。
読書家でなくともこの書棚に秩序が無いことが分かる。
リーフの語った魔術師の価値観に照らし合わせれば読む以外の目的で入手した線が濃い。一度読んで無用になったなら売って金に換えるだろうし、大事に保管したいなら丁寧に扱う筈だ。
これが自分の部屋であれば、どうしてこのちぐはぐな整頓をするだろうか。
掃除をしたつもりだった? ……掃除が目的ならそれこそ丁寧にわかりやすく並べるだろう。第一足元の本を放置する理由が無い。
どうでもいいものだから雑に並べた? しかし雑と言うにはいやに背が並んでいるのが気持ち悪い。
謎解きに思考を回しながら物色を続けていると、ある本に目が止まった。背表紙に刻まれたタイトルの文字に他には無い手癖がある。それが気になったのだ。
世に出回る本のタイトルは装丁師の手で刻まれる。手癖が文字に表れないよう訓練を積み、組合の審査に合格した選りすぐりによってだ。
文字の歪み具合を見るに、その専門家が手掛けたようには見えない。恐らくは個人の手で製本されたのだろう。
タイトルにはこう綴られている。
『環境位相転写および置換について』
「これは……」
棚から引き出してペラペラと捲ると中身も同じ手癖の文字がビッシリと綴られており、文中には何かを示す図形や魔法陣が差し込まれていた。
軽く流し見ても内容はさっぱりだ。だが、この本は他と違う。それだけは無知なりに分かる。リーフに見せれば何か情報が得られるかもしれない。
読むのを諦めて本を閉じ、懐にしまった。
その瞬間。
工房の手前、〈落とし穴〉のあった広間中央から烈光が迸る。
「ぐっ……!?」
「なにっ、なになになに!?」
長時間洞窟に居た事で暗闇に慣れ切ってしまったシグにとって、陽光を直視するに等しい眩さ。しかし、長年の鍛錬のおかげで辛うじて目を細めるに留まった。
「まっぶしっ……! 雇われさん変な物触った!?」
「覚えに無いがっ、タイミングを考えれば俺が原因なのだろうな……!」
リーフが何かおかしな物に触れた可能性もあるが、さっきの本も然り、シグに心当たりがあり過ぎる。
目を焼かんばかりの光はやがて徐々に弱まっていき、ようやく二人の視界が戻った。
「お、収まった……?」
「……そのようだ」
「───っ、びっくりしたぁぁ……今の光、何だったんだろ。特定の条件下で発動する二重罠? 〈落とし穴〉の術式に組み込まれてた……でもあれは明らかに単一の術式回路になってたし……」
「切り替えが早くて何よりだが、考え事は後にしてくれ───何か居るぞ」
「えっ」
光の消えた広間の中央。シグが鋭い目を向けるその先に、暗闇に溶ける何かが居た。僅かに映る輪郭から人型、それも並みならぬ大きさの体躯である事は分かる。
その存在が身動きすると、ガチャ、ガチャ、と重い金属が触れ合うような音が響いた。
長剣を鞘から抜き臨戦態勢を取る。この暗闇を重装備で、それも明かりを点けずに迫って来る時点で真っ当な輩ではない。姿が見えた瞬間に仕掛けるくらいが丁度良い。
左手で腰のランタンを外し、前方が見えるように高く掲げる。
辺りが光に暴かれると共に、それは姿を現した。
「──鎧?」
それは全身を重い鉄の鎧で覆った、重装兵だった。
鎧の至る所に何らかの意匠や紋様があしらわれている様は、まるで伝説に現れる騎士を思わせる。
一歩進むごとに重い鉄音を響かせる騎士は大剣を構え、出口を塞ぐように二人の前に立ちはだかった。
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