第18話 領地を巡る新たな一歩

 翌朝、私はいつもより早く目を覚ました。


 窓の外から差し込む柔らかな光が淡いオレンジ色に部屋を染めていて、心地よい鳥のさえずりが聞こえる。

 王都とは違う、自然の息遣いにあふれた朝の気配に、思わず深呼吸をした。


 ベッドから起き上がり、ゆったりとしたワンピースを羽織ると、窓辺へ歩み寄った。


 外を見ると、青空は一段と澄んでいるように感じられる。

 まだ朝露が残る中庭の花々が輝いていて、あちこちで緑が朝の光を反射していた。


「美しい光景ね……」


 いつもの習慣で、思わず独り言をこぼしてしまう。


 王都の邸宅では、寝室の大きな窓を開けても中庭くらいしか見えない。

 けれどここでは、少し窓を開くだけで美しい田園風景が広がり、清涼な風が勢いよく入り込んで私の髪をさらりと揺らしていく。


 身支度を整えて、侍女のベスと共に廊下を歩き始める頃には、館内の使用人たちも動き出していた。


 長くこの地に仕える人々の足音は軽やかで、迷いなく自分の役割をこなしているのがわかる。


 私が階段を下りると、執事のホルトが軽く会釈をして迎えてくれた。


「おはようございます、リリア様。昨日はゆっくりお休みになれましたか?」

「ええ、とてもぐっすり。ありがとう、ホルト」


 そう言って笑みを返すと、彼は長い経験に裏打ちされた穏やかな笑顔を見せてくれた。


「朝食の準備が整っております。奥様がお待ちでございますので、食堂へどうぞ」


 ホルトに案内されるまま、私は城の一角にある小食堂へ向かった。大広間での正餐というよりも、家族が気軽に使えるこぢんまりとした部屋だ。


 扉を開けると、母がテーブルについて暖炉の前で紅茶を飲んでいる。


「おはよう、リリア。よく眠れたようね。顔色がとてもいいわ」

「はい。おはようございます、お母様」


 母は相変わらず上品なドレスを纏いながらも、田舎の空気にいくらか和んでいるように見えた。


「あなた、今日はさっそく領内の村々を回るのでしょう? 朝食をしっかり食べてから行きなさい」


 母にうながされて、私は席に着いた。


 テーブルの上には焼き立てのパンやバター、地元で採れた卵を使ったスープなどが並んでいて、香ばしい匂いが食欲をそそる。


 食事をいただきながら、今日の予定をざっくりと確認する。


 昨夜、母と話し合った結果、まずは比較的近い場所にある麦畑と、その周辺の村をいくつか訪問することになったのだ。


 王都の学園で得た知識が、本当に領民の役に立つのか確かめるための一歩でもある。


「学院ではあくまでも理論として習ったことが中心だけれど、実地を見るとまた印象は変わるでしょうね。楽しみにしているわ」

「私も楽しみです」


 スープを飲み、パンをかじるたび、ふわりとした穀物の甘さが口に広がる。


 私は新たな気持ちで一日を迎える喜びをかみしめながら、しっかりとエネルギーを蓄えるのだった。





 


 朝食を終えると、早速出発の準備を整えた。

 今日は馬車を使わず、馬に乗って見て回るつもりだ。


 もっと遠くまで行くならば本格的な馬車が必要だが、今回は近郊の村や麦畑が中心。

 母は館に集まる領の役人たちとの協議があるので、私ひとりが先に視察に出ることになっていた。


「リリア様、こちらの愛馬をご用意しました。王都にいらっしゃる前に乗っていらっしゃいましたよね」


 館の正面玄関には、厩舎係の青年が純白の毛並みをもつ雌馬を連れてきてくれていた。


 名前はソレイユ。

 以前、王都へ移る前に乗っていたことがある馬だ。


 覚えているだろうか、と少し不安になったけれど、ソレイユの瞳はなんだか懐かしそうに私を見つめているように思えた。


「懐かしいわ、ソレイユ。元気だったのね」


 首筋を優しく撫でると、ソレイユはくつろいだ様子で鼻を鳴らした。


 乗馬に慣れていない頃は何度も落馬しそうになったけれど、それを支えてくれた馬でもある。思い出深い相棒に再会できて、胸が温かくなった。


 侍女や護衛の騎士を最小限にして、私は館を出発する。


 先導してくれるのは公爵家の領地管理部門の、ルイスと名乗る係官だ。


 二十五歳くらいとまだ若いが、父の右腕として領地の実務をこなしているとのことで、細かい地形や村の事情を熟知しているらしい。


「リリア様、まずはここから西へ向かい、一つ目の村を通ります。そこでは、麦の集荷場や精製用の小さな施設があり、今日もちょうど収穫期の作業が行われているはずです」


「ありがとう。ルイス、あなたがいれば心強いわ。これも勉強なので色々教えてくださいね」

「もちろんです」


 ルイスは公爵領をとても大切に思ってくれているらしく、案内してくれる顔はどこか誇らしげだ。


 王都の石畳とはまるで異なる、やわらかな土の道。

 右も左も麦畑だらけで、その穂が風にそよぎ、金色の波を繰り返している。


 途中ですれ違う農民たちが、私を見て驚いたような、それでも歓迎してくれているような笑顔を浮かべて挨拶してくれた。

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