第13話 予感は的中する

 ラインの実を摘み終える頃には、持ってきたかごはすっかりいっぱいになっていた。

 赤くぷっくりとした実が陽の光を浴びて輝いている。その光景を見ていると、ほんの少しだけほっとした気持ちになった。ラインの実は結構定番の果物で、そのまま食べても美味しいし、ジュースにして飲むとかなりまろやかですっきりする。


「これで十分かな?」


 私はかごを持ち上げ、シャーレナの方を振り返った。彼女は私より少し手早く作業を終え、手についた汚れを丁寧に布で拭っていた。


「これだけあれば十分ですね。王都に持ち帰れば報酬も確実でしょう」

「やったー! クエスト成功だね!」


 私は軽く小さくガッツポーズをし、シャーレナに笑いかけた。彼女は少し呆れたように首を横に振ったけど、口元にはうっすらと微笑みが浮かんでいる。


「嬉しいのは分かりますが、アテナ様。王都に戻るまでがクエストですよ。浮かれるのは早すぎます」

「わかってるってば。早く王都に戻ろうよ。ルカにもいい報告ができそうだし!」


 そんな家に帰るまでが遠足ですよみたいなこと言わなくても。

 私は弾む気持ちを抑えきれず、かごをしっかりと抱えながら歩き出した。エミリナさんとのことも無事に解決したし、これで少しはルカの力になれたかもしれない。それに、あの時計が彼女の手元に残ったことで、彼もきっと喜んでくれるはずだ。

 王都は広い草原の向こうに見える。帰ってからがすごく楽しみだ。


「……ん?」


 シャーレナが突然足を止めた。


「どうしたの?」


 私が振り返ると、シャーレナは周囲を警戒するように辺りを見渡していた。


「……焦げ臭い匂いがしませんか?」

「焦げ臭い……?」


 そう言われてみれば、確かにどこか焦げたような匂いが微かに漂っている気がする。私は思いっきり空気を吸い込んだ。


「確かに、言われてみれば……何だろうね。近くで何か焼いてるのかな?」

「いいえ、これは……」


 シャーレナは険しい表情を浮かべたまま、遠くの方に目を向けた。その目が捉えたものに、私もすぐ気づいた。

 黒い煙だ。

 遠くに見える集落の方角から、黒い煙が空へと立ち昇っていた。その煙の量は尋常ではない。何かが燃えているのだ。それも、かなり大きな火事に違いない。


「え……嘘でしょ?」


 私の胸に一気に不安が広がった。あの煙がどこから上がっているのか、嫌でもわかってしまう。あれは、エミリナさんたちの村だ。


「急ぎましょう!」


 シャーレナが声を張り上げると同時に、私はかごを抱えたまま走り出していた。胸の中がざわざわと騒ぎ、不安が体中を支配している。

 どうして? 何が起こったの? エミリナさんたちは無事なの? そんな考えが頭をぐるぐると駆け巡る。

 村に近づくにつれて、焦げ臭い匂いはますます強くなり、視界には燃え盛る家々が見え始めた。村全体が火に包まれ、悲鳴や怒号が入り混じった声が風に乗って聞こえてくる。


「……あれは……!」


 私の足が止まる。目の前に広がる光景に、頭が真っ白になった。

 村の中には見たこともない魔物が溢れていた。翼を持った黒い影、赤く輝く体、鋭いツノ。そして、空を飛ぶ巨大なドラゴンの姿。その全てが、村を蹂躙していた。

 地面には無数の死体が転がり、剣や矢が散乱している。村人たちが必死に戦った痕跡だ。だが、その努力も虚しく、村は完全に魔物たちに支配されているようだった。


「こんなの……」


 私は足が震え、動けなくなっていた。この地獄のような光景を前に、体が拒絶反応を起こしている。


「アテナ様、しっかりしてください!」


 シャーレナの鋭い声が私の耳を打ち、現実に引き戻された。


「ここで立ち止まっている場合ではありません! 早く目立たないところへ行きましょう。風神よ、今そのお力の一端を我に──【大真空刃ヴォルテックス】!!」


 シャーレナが放った風の刃は近くの木をなぎ倒した。バタァンと勢いよく倒れた木と地面の間に隠れるにはちょうどいい隙間ができた。


「まずは身を隠しましょう」

「で、でも……エミリナさんが……」


 私は震える声で言いながら、燃え盛る村の奥を見つめた。炎に包まれる交易所の近くで数名の冒険者とエミリナさんの父が、飛び回るドラゴンを相手に応戦している。けど、そこにはエミリナさんの姿が見えない。


「アテナ様、危険です! 一人で行動しないでください!」


 シャーレナの叫び声が聞こえたが、私はそれを無視して駆け出していた。足が勝手に動いてしまう。エミリナさんを助けなきゃという思いだけが私を突き動かしていた。

 燃え盛る交易所に近づくと、魔物たちの姿がさらに増えていった。彼らは人々を襲い、喰い散らかしている。お手伝いさんらしき女性が悲鳴を上げながら倒れ、彼女の体に魔物が群がっている光景が目に飛び込んできた。


「嘘……こんなの……」


 身体中のものが逆流しそうになるのを必死に抑え込んで、私は奥へと進んだ。全身が恐怖で固まりそうになる。それでも、進まなければならなかった。エミリナさんを確かめるために。

 私は震える息を押し殺しながら、崩れかけた交易所の廊下を走った。壁や天井は炎に包まれ、熱気が肌を焼くようだった。焦げた木の匂い、血の臭い、肉が焼ける異様な匂いが入り混じり、喉が痛くなる。


「エミリナさん……!」


 私は奥へと続く扉を押し開けた。そこはまだ炎の被害を免れていたが、空気が異常に重かった。血の臭いはより濃く、まるで何かがこの部屋全体を支配しているかのような、圧倒的な邪気が満ちていた。

 そして、私はその「何か」を目撃した。

 深紅の翼を持ち、漆黒の爪を携えた異形の存在──魔族だ。

 その肌は血のように赤く、その目は暗闇で妖しく輝くルビーのようだった。背中から伸びる大きな翼はまるで悪夢の化身のように広がり、その存在がこの世のものではないと直感させた。

 そいつは倒れ込むエミリナさんを見下ろしていた。彼女は傷だらけで、意識を失いかけている。震える手で床を掴み、何かを言おうとしていたが、声はかすれて聞こえなかった。


「待てぇぇぇええ!!」


 私は無意識に駆け出していた。剣を抜くよりも先に、エミリナさんの前へと飛び込む。

 が、魔族は攻撃の手を止めなかった。

 次の瞬間、私の視界が歪んだ。

 強烈な衝撃が腹に突き刺さり、私はエミリナさんと一緒に壁際へと吹き飛ばされた。

 ゴッ……!

 鈍い音と共に背中が壁に叩きつけられる。肺の空気が一気に押し出され、息ができない。

 視界が一瞬真っ白になり、全身の感覚が鈍る。だが、幸いにも壁にぶつかっただけで、骨が折れたり、即死したりするほどのダメージではなかった。


「ぐ……っ……」


 必死に体を起こし、隣にいるエミリナさんを確認する。彼女も同じように壁に叩きつけられていたが、意識はまだあるようだった。


「ア、アテナさん……どうして……」


 弱々しく、震える声。


「……逃げて、ください。……私のことは……いいから……」


 私は思わずエミリナさんの肩を掴んだ。


「何言ってるの!? そんなの、できるわけないでしょ!」


 彼女を見捨てるなんて、絶対にできない。エミリナさんだけは、死なせちゃいけない。

 ──カツン。

 後ろで硬質な足音が響いた。

 魔族がゆっくりとこちらへ歩いてくる。炎に照らされたその赤い瞳が、まるで私たちを弄ぶかのように細められた。


「ほう……この状況でまだ立ち上がるとは。人間というのは、本当に愚かで面白いな」


 魔族は愉快そうに笑った。


「お前たちは幸運だ。我が魔王ギザージュ様の偉大なる計画を、この身をもって知ることができるのだからな」


 魔族は長い爪を私たちに向けた。


「魔王ギザージュ……?」

「ふふ……知らぬか? まあ当然だ。貴様らのような下等な生物にとって、まだその存在は『噂』の域を出ないのだろう。しかし、それも今日で終わる」


 魔族の目が妖しく輝く。


「これは序章に過ぎぬ。世界は今、我が主の手によって新たな支配を迎えるのだ。愚かな人間どもは滅び、選ばれし者のみが生き残る。そして、お前たちの世界は、我々魔族のものとなる」


 その言葉が、私の怒りを沸騰させた。

 これが、これが、王様の言っていた魔王による軍事侵略、なのか。


「ふざ、けるな……!」


 私は背負っていた剣を鞘から抜き、一歩前に出る。


「魔族と人族は境界線で干渉が禁じられているはずだ。……なんで、こんなことを」

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