1-2.


 愛おしき第二大陸ルーンヴァルハラに生まれた。

 貴族としてジュノは生まれ、貴族とは民を導き、支えるものであると幼い時から親や祖父母に教えられて疑ったこともなかった。 懸命に貴族らしくあろうと心掛けてきたが導き方、支え方の形はざっくりしていたと思う。


 医者になったのも、軍人になったのも第二大陸で最も人気な職業に就きたかったから。 懸命に労働すれば形はなくとも包括的に貴族の義務を果たせるものだと思っていた。

 成果だってついてきた。

 現在ジュノの階級は師位医師加えて軍将補。

 医者としては上から3番目の階級。

 軍人としては上から4番目の階級。 


 ただ努力すれば、目に見えて定量的な成果を出して出世すれば今の自分に満足して出来る。 それをあの日まで疑わなかったのだ。


 ジュノは新しい職場の廊下を歩く。

 服装は自由と言われたが正解が分からないので新調した軍服を着用していた。

 その隣をジョヴァンニが無音で通り過ぎる。 長身にしなやかな筋肉がついた黒毛の青年である。 シャツに桜の羽織を掛けた格好でどことなく色っぽく、肌は砂糖菓子のように甘そうで実際甘い匂いがする。


「おはよう」


「おはようございます。 外部顧問」


 彼は国位医師及び軍将。

 この大陸の医者の最高位で二番目の軍人。

 前まで部署は違ったが立場上、上司と部下の関係だった。


 ジュノが配属になったのはシエスタ機関と呼ばれる軍部外の部署。

 主な業務は専門学による三つの大陸の支援。

 予算規模や構成人数を調べても、ジュノの元職場よりは小さな部署であり、構成員は各大陸から優秀な者が集められていると聞いている。

 そんな部署に最高位の医者が所属しているから異質なのだ。


 昨日出向いた執務室には第一・第二・第四大陸の担当者が集まっていた。

 職員が席について始まった月初めの報告会では三大陸の支援内容が報告される。

 第一大陸の担当者は方言混じりで今年度の予算の内訳を読み上げる。


「第一大陸からの経費依頼は大陸横断魔導鉄道の研究チームへの協力と大陸間通信機の開発支援。 協力・支援って言い方がやらしいよな。 嫌味だけど第一大陸民らしい要求」


「どっちも真藍あいが報告書でよく使う文言じゃない」


 ジョヴァンニが皮肉を入れると真藍と呼ばれた担当者は、はあとため息をつく。


「どっちも経費でギリギリ片付く内容でないのが非常にやらしい。 どうする? どつく?」


 真藍は自大陸のことをボロクソに言う。 祖国より職場の方のウエイトが重いのだろう。 ただ初めて聞いたがどつくという言葉はどこか物騒なニュアンスを感じる。

 それはジョヴァンニも同じらしい。


「そのどつくって言葉の意味を前から聞きたかったんだけど、ドスで突くの略とかそういう物騒なやつじゃないよね?」


「そんな物騒な方言あるわけないやろ。 金属バッドで引っ叩くの略や」


 物騒じゃん。 つがないし。


「つがないやないか」


 ジュノの代わりにもう一人の第一大陸担当者が真藍に突っ込んでくれた。


「小さなつが入っとるわ」


 どっくじゃん。


「それじゃどっくになるがな」


 担当者間でイタチダンスみたいな漫才を始めたのでジョヴァンニはさっさとこれを打ち切る。


「じゃあどついちゃって」


 次、第二大陸の担当はイヴァルディと呼ばれている金髪の青年。 軍部でも話題になっている叩き上げのエンジニア。 軍人としても優秀と聞く。


「第二大陸の経費案件は3件。 1つ目はイヴァルディ人形の実用化。 ある程度コストは嵩んでも仕方ないから市場に出してくれとのこと。 2つ目は古代遺跡の調査です」


 引き当てられた予算を見てみると10億ルーン。

 遺跡調査の部署は別に存在するが、その場所と比べると少し安い。


「2件ともダンテ様に助力頂きたいと考えておりますがよろしいですか?」


 ダンテと呼ばれた職員に了解を取って第二大陸の報告は終了し、第四大陸の担当者のダンテから報告がある。


「第四は主に以前から継続してるものが挙げられてます。 魔法薬中毒の治療と新薬の開発、新しい結界式の提案」


「クスリ中毒の治し方聞いといて、新しいクスリ欲しいってのが第四らしいよな」


 真藍が茶々を入れるとダンテは苦笑いする。


「今、真藍ちゃんの薬の言い方にとても悪意を感じました」


「とりあえずスキップしようか」


 ジョヴァンニが進行を促すとダンテは頷いた。


「承知しました。 そして加えて大規模案件で原罪教会の攻略の依頼。 一つ攻略につき100兆マルムだそうです」


 これだけ報酬額が頭一つ抜けていた。 第二大陸のどの部署でも対応できない内容である。 精鋭の集まりとは言え、この部署でもこれを受注するのは容易ではないらしい。

 ジョヴァンニも他の職員も黙っているので真藍が現状を整理した。


「編成的にエンジニアがもうちょい欲しいな。 薬学できそうな子と工学出来る子……そっちのお嬢には何してもらうの?」


 そっちのお嬢ことジュノにようやく話が振られるとジョヴァンニが代わりに答えた。


「医療系案件は全部やってもらうつもりだよ。 新薬開発は出来なくても魔法薬中毒は治癒魔法で全て治せる」


 ジュノの仕事はジョヴァンニの仕事を減らすこと。 そしてジョヴァンニがより他の案件で動きやすくすることのようだった。 肝心の薬学と工学は力になれないが医学なら対応できる自信があった。

 予算の報告も大方片付くとジョヴァンニは今後のスケジュールを決めた。


「3ヶ月後に第四大陸に行く。 それまでにお嬢さんには魔法薬の解毒を覚えてもらうよ。 ダンテはベアトリーチェ持ってきて」


 報告会が解散し、職員が去った後、執務室に一体の人形が持ち込まれた。

 ジュノが子供のとき持っていたようなご令嬢の人形だ。 サイズこそ小さいものの細部まで彫りがしっかりと描かれている。

 しかしこれが何なのかはピンときてない。


「そもそもお嬢さんは魔法薬学が何か知ってる?」


「魔法植物から調合した薬物を研究する学問のこと?」


 知っている限りを答えるとジョヴァンニは概ね合っていると言った。

 魔法薬はスポーツの世界で言うところのドーピングに近い。 それでいて麻薬とは少しだけ棲み分けが難しい立ち位置に思える。


「魔法薬に依存した身体とは、我々ヒューマノイドの肉体がヒューマノイドであり続けることを維持できなくなること。。 例えばこのベアトリーチェ人形は中毒状態を演じているが臓器、筋肉、骨の数や身体の役割自体は我々と何ら変わらない」


「……」


 難しい。 やはり魔法薬学は未知の学問であるが故に中毒状態がどうしても通常の中毒状態を想像してしまう。


「説明はこの辺で。 お嬢さんにはこのベアトリーチェ人形を治せるようになってほしい」


 唸るジュノにジョヴァンニはとりあえず人形の中毒を治癒魔法で治してみろと言う。

 通常の治癒魔法の手順を試してみる。

 ジュノは魔力を手に溜めて赤く発光させると光をベアトリーチェに当てて中身を診察する。 外面だけ見る限り、ベアトリーチェの関節部に黒い斑点が浮かび、脚が病的に痩せていた。


 では内部は? ベアトリーチェは臓器がやわい。 弾力なく水に濡れたら穴が開く薄い紙みたく嫌な脆さだ。

 斑点が見られた関節部と心臓に穴が空いており、その穴から魔力を注入することで肉体の内部から強化を行う仕組みになっているらしい。


……初めて見る症状だ。


 そしてガリガリに痩せていた脚は筋肉や骨がヒビが入ったりして傷んでいた。 魔力強化が歪で耐えられなかった結果そうなった?

 仮説であるがこのベアトリーチェは運動能力が高いが、脚部の構造が理に叶っていないため、これ以上歩けない。

 この場合、関節部と心臓の穴が中毒の影響のように思えるがこの穴を埋めれば治るのだろうか?


 想像力を働かせて検討するがせいぜい思いつくのは治癒の順番くらい。

 まず弱い臓器を丁寧に保護しつつ、心臓の穴を埋める。 その後に間接部の穴、弱りきった脚を治していく。 それしかないと思う。

 試行錯誤を繰り返し、ジュノが臓器の保護に取り掛かると突然ベアトリーチェの心臓が破れた。


 紙風船が内部から大量の風が吹き荒れたような破裂ぶりだった。

 直後、ぷつっと嫌な音がジュノの芯に届く。

 医療に従事して何度も経験した絶命の音。


 ベアトリーチェは腰が砕けたように体が落ちると眼から血涙が流れた。



 ベアトリーチェは死亡したのだ。

 人形なのに、殺してしまった後味の悪さが胸に残っている。


「獣医とはまた違う……」


「そうだね。 ヒューマノイドの肉体という基盤があってそれが魔法薬に染められているわけだから完全に別の生物という解釈はできない」


 死因は何となく分かる。

 だが結果論的に気づいたもので診察中に気づけたかと言われるとかなり厳しい。

 学びが足らないとジュノは感じていた。


「魔法薬学を教えて欲しい」


 頭を下げて再度ジョヴァンニにお願いする。

 ジョヴァンニが意地悪で魔法薬学を教えないわけではないことは分かっている。 魔法薬学は第四大陸の学問であり、個人の意思で勝手に国外に持ち出せないから。


 だからジュノはネックレスに提げた小瓶をジョヴァンニに見せた。 小瓶の中の液体は本来、この大陸の貴族しか内容を知らない物だがジョヴァンニは当然の様に知っていた。

 小瓶をジョヴァンニの指が突いた。


「一応確認するけどその瓶の中はミーミルだね?」


「うん」


 ミーミルとは契約魔法の究極系が封じ込められている聖水。 ジュノの瓶に入っているのは皇帝の領地の源泉から頂いたものだ。

 ミーミルは契約を行う二者が体に取り込むことで契約遂行の強制・利益関係の公正化を取り仕切る。


「何年か前までミーミルは役付き貴族しか持ち歩けなかったんだけどね。 なんで若いお嬢さんが持ち歩いているのか不思議だったよ」


「私みたいな貴族の娘にはいざという時の契約に備えてお守りとして渡されることになってる」


 最近は国際結婚が増えたので外に嫁いだ時の自衛手段という役割が多いと思う。


「初めて会ったばかりの男に渡す物じゃない」


「貴方に会ったのは昨日が初めてじゃない」


 ジョヴァンニに会ったのは初めてではない。

 初めて会った時はジュノの一方的な目撃だった。


「そうだったかな?」


 ジョヴァンニが思い出そうとするがもちろん覚えているはずもない。


「私が発注するから貴方が契約条件を作成して受注して欲しい。 報酬は言い値を払うから」


 本来の契約は契約を持ち掛ける側、発注者が契約条件を作成し、報酬を提示するものだ。 その契約条件を作成する権利と報酬を決める権利を受注者に渡す。

 極めて不利な契約だが違法にも門外不出の学問を学ぼうというのだからそれくらいの誠実はあって然るべきだ。


「分かった」


 ジョヴァンニは惜しむように言い残し、棚から契約書類作成用の用紙を取り出す。

 一度ペンのインクを落とせば50枚に渡って文章を書き綴っていく。 手作業で書かれているとは思えないほど素早く綺麗な字で使われている文言もお手本のような契約書だ。

 ジョヴァンニは50枚の契約書をジュノに提示する。


「なら、これが僕の契約条件と報酬。 契約条件の細部は1ヶ月毎に更新して煮詰めよう」


「ありがとう」


 ジュノは全ての契約条件と報酬を了承するとその場でジョヴァンニと契約した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る