第6話 それだけのこと

「シチューって、しかもビーフシチューなんですか……!?」


 皿によそったシチューを見て、有栖川は目を輝かせた。


「うん。私、ビーフシチューの方が好きなんだよね。ホワイトシチューも好きだけど」

「すごい……!」


 なにがすごいのかは分からないけれど、ここまではしゃいでくれるなら、ビーフシチューを作っていてよかった。


「飲み物は? 麦茶でいい?」

「はい! なんでも大丈夫です!」


 コップに麦茶を注ぎ、テーブルへ運ぶ。なにが面白のか、有栖川はきょろきょろと部屋を見回していた。


「部屋、どうせ同じでしょ」

「違いますよ。翡翠さんの部屋の方が、ちょっと広いです」

「そうなの? 角部屋だからかな」


 他の部屋がどうなっているかなんて知らない。そもそもこの部屋自体、決めたのはお母さんだ。

 当時の私は受験で忙しくて、部屋選びをしている暇なんてなかったから。


「それに、とっても綺麗で……掃除とか、ちゃんとしてるんですね」

「まあ、それなりにはね」


 部屋が散らかっていると落ち着かないし、アルバイトもしておらず暇なのだ。


「それより、冷めないうちに食べたら?」

「はい! いただきます!」


 有栖川がシチューを食べ始める。一口食べるごとに美味しい、と言いながら、あっという間に完食してしまった。


「美味しかった?」

「はい。翡翠さんって料理上手なんですね!」

「別に、レシピ通りやっただけ」

「でもすごいですよ! 頭もよくて美人で料理もできるなんて、翡翠さんはすごいですね」

「……すごくないよ」


 他の人が相手なら、私はもっと素直に褒め言葉を受け入れたかもしれない。だけど有栖川にそんなことを言われても、虚しいだけだ。


「そういえば翡翠さんって、本好きなんですか?」


 部屋の中にある大きな本棚を見ながら、有栖川が聞いてきた。


「あんなにたくさん本があって、ちょっとびっくりしました」


 本棚に並んでいるのは、私が持っている本の一部だ。全部は入りきらなかったから、お気に入りの本だけを本棚に入れて、残りはベッド下の収納箱にしまってある。


「どんな本が好きなんですか?」


 ちゃんと答えないと。こんな質問に固まってしまう方がおかしい。分かっている。分かっているのに、上手く言葉を繋げない。


「翡翠さん?」

「あ、えっと……」


 答えられないなら、適当に誤魔化してしまえばいい。そう思うのに、それは嫌だと心が拒んでいる。有栖川に……いや、自分に対して、嘘をこれ以上重ねたくない。


「……小説が、好きかな。ジャンルは特にこだわらないし、いろいろ読む」


 そうなんですか、と頷いた有栖川に話を広げられたくなくて、有栖川は? とやけに大きな声が出てしまった。


「有栖川は、なにが好きなの?」

「私ですか?」

「そう。趣味とか、ないの?」


 有栖川は躊躇うような顔をした後、予想通りの言葉を口にした。


「私、女の子のアイドルが好きなんです」

「だろうね」


 好きじゃなければ、アイドル同好会に入ってアイドルのコピーダンスなんてしないだろう。


「そ、それより、連絡先交換しません?」


 不自然な話題の逸らし方をしたのはお互い様だ。私が頷くと、有栖川が鞄からスマホを取り出した。

 透明なスマホケースは少し汚れていて、画面にはヒビが入っている。そしてたぶん、数世代前の機種だ。


 やっぱり有栖川って、貧乏なのかな。


 目が合うと、有栖川は気まずそうな表情になり、数秒の後、諦めたように笑みを浮かべた。


「うち、貧乏なんです。だから奨学金も借りてるし生活費も必要で、バイト三昧なんですよ」


 笑ってはいるものの、有栖川の顔は引きつっている気がした。完璧な笑顔を浮かべているのに、どうして私はそんな風に思うんだろう。


「……そうだったんだ」


 こういう時、どんな反応をすればいいのかが分からない。バイトもせずに暮らしている私には、有栖川の苦労は分からないから。


「あ、別に、だから気を遣ってほしいとか、そういうんじゃないですからね!? それに貧乏ですけど、両親との仲はいいので!」

「分かった」


 私が頷くと、有栖川はほっとしたようだった。もしかしたら、貧乏だと明かすことで、相手に妙な態度をとられることが多いのかもしれない。

 たとえそれが気遣いであったとしても、有栖川がそれを望んでいるかどうかは別だ。


「……私の親、このマンションの家賃だけは払ってくれてるんです。それだけでも、かなり無理してくれてるんですよ」


 有栖川の声には間違いなく両親への愛と感謝が滲んでいた。だけどそれと同時に、どうしようもない絶望のようなものも感じてしまう。


「学校近くの、女性専用の安全なマンションに住むこと。それが、上京の条件だったんです」


 有栖川は若くて可愛い。両親が有栖川を心配するのは当然だ。それに、私が今こうして有栖川と向き合っているのも、彼女の両親のおかげである。


「ねえ、有栖川」

「なんです?」


 別に、貧乏だから気を遣っているとか、そういうわけじゃない。

 ただ……ただ、有栖川のことをもっと知りたくなってしまった。それだけのこと。


「私、料理多く作りすぎちゃって、余らせる時多いんだよね。そういう時、また呼んでいい?」


 はい! と頷いた笑顔の有栖川が、泣きそうな顔をしている気がした。

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