「しつけ直して」差し上げましょう。
窓ガラスがガタガタと揺れ、部屋にまで振動が伝わる。
その音にアステリーゼは思わず肩をすくめたが、すぐに気を取り直したようにテーブルを
「ちょっと、お茶」
と
「ちっ」
(今、真後ろから舌打ちのような音が聞こえたけれど、きっと気のせいよね。そうよね。イェニーが舌打ちなんてするわけがないわよね)
コーデリアは、自分のすぐ斜め後ろに控えているはずのイェニーの存在を思い出し、笑顔を固まらせたまま瞬きを繰り返した。ジジッ、と肌を焼くような殺気が背筋を刺すのも、きっと気のせいだろう。
「言われるまで気づかないなんて、ルゼンティアの家ではありえないことだわ。——お義姉様、ちゃんと使用人のしつけをしているの?」
その言葉に、部屋の隅で控えていたミレッタが今にも襲い掛からんばかりの形相になり、さすがのキャリーンもぎょっとして、慌てて彼女の耳を引っ張り、引きずるようにして退出した。
残されたのは、コーデリア、イェニー、アステリーゼ、そして彼女の侍女ルワナだけ。
(それにしても……聖女見習い候補として修業しているなら、どんな令嬢でも侍女を伴えないはずだし、特別待遇なんて許されないはずだけど、どうなっているのかしら? アルマーからそう教えられたけど、違ったのかしら?)
記憶を
ルゼンティアにいた時、アステリーゼは聖女候補になったと祝いの夜会まで開き、義母の勧めで男爵の誕生日の夜会にまで参じ言い広めていたのを思い出す。通常、聖女候補や見習い候補とみなされたら、実家から離されて即修行生活に入るというイメージだったのだが、違ったのだろうか。
アステリーゼの雑音を聞き流しながら、あれこれと思案していると、キャリーンがワゴンに新しいお菓子と紅茶を載せ、楚々とした仕草で部屋へ入ってきた。その所作は丁寧そのものだったが、表情は
アステリーゼはそれに気づくこともなく、紅茶の香りを嗅ぎもしないまま、なおも言葉を続けた。
「ライグリッサはルゼンティアと違って野蛮人が住む場所だって聞いていたし、魔獣も多いのでしょう? ここへ来る途中で魔獣に襲われて、本当に怖かったわ」
とか。
「お母様なんて、お姉様から便りが来ないのは、きっと道中で魔獣に襲われたせいだと言っていらしたのよ」
とか。
「でもま、元気そうで安心したわ。……とはいえ、この城はひどい有様ね。私だったら絶対に住まないわ。かび臭いし、暗いし、汚いし、使用人の質は悪いしなにより、すっごく地味なんですもの」
その言葉を境に、部屋の空気が明らかに凍りついた。
ぐっと下がった室温に呼応するように、ライグリッサ邸の有能な使用人たちの瞳が、さらに剣呑な光を帯びる。アステリーゼの皮肉に満ちた物言いが、彼女たちの忍耐を静かに削っていた。
いち早く異変を察した侍女ルワナは、わが身が可愛いとばかりに何か小声で呟くと、そそくさと部屋を退出した。その様子を眺めながら、コーデリアはティーカップの縁にゆっくりと口をつける。
アステリーゼの言葉はあまりに無神経で、お世辞にも品位があるとは言い難い。だが、屋敷の状況が芳しくないのも、魔獣が多いのも事実だ。とはいえ、ライグリッサの懐事情を彼女に説明してやる義理はない。
彼女の矛先が自分一人に向いているうちは、まだよかった。
しかし、それが他へと及ぶのなら、こちらも相応の態度を示すべきだろう。
コーデリアのティーカップを完璧な作法で新しいものに取り換えながら、シャリーンが小さく「嫌な女」と呟く。その言葉に、激しく同意だと示しかけた瞬間。
アステリーゼは、決して口にしてはならない一言を、無邪気な笑みとともに放った。
「そういえば、さっきライグリッサ伯を見たけど、何あれ? 大きな魔獣かと思ったわ。噂にたがわぬ恐ろしい姿ね。私だったら、結婚するくらいなら、し――」
ミシッ。
カップを持つコーデリアの手が、わずかに軋む音を立てた。
その瞬間、キャリーンの目が鋭く光り、次の瞬間には音もなく動いていた。
乾いた音と共に、アステリーゼの後頭部に鋭い衝撃が走る。
「ダッ! なにするのよ!!」
伯爵令嬢らしからぬ情けない悲鳴を上げ、アステリーゼがキッとキャリーンを睨みつける。しかし、キャリーンは眉一つ動かさず、淡々と白い手袋を静かにはめ直し、あらぬ方向を見ながら感情のない声でこう答えた。
「モウシワケゴザイマセン。五月蠅い虫がいたようですので」
「いやだわ! 虫だなんて! こんな不潔なところ、一秒だって居られない。 お義姉様、別の部屋を用意してくださる!?」
騒ぎ立てるアステリーゼに向け、これまで静かに背後で佇んでいたイェニーが、すっと前へと歩み出た。コーデリアは黒い影のように横を通り過ぎるイェニーの横顔を見てしまい、体を強張らせる。
「――では、すぐにお引き取りを」
冷たい刃のように放たれたその言葉に、アステリーゼの動きが凍りつく。
まるで油切れの人形のようにギギッとぎこちなく首を動かせば——そこには、目を見開き、
「ひっ……!」
ふと気配を感じた。
いつの間にか背後に立っていたミレッタが、コーデリアの耳元に顔を寄せ、そっと囁く。
「コーデリア様、ここはイェニーにお任せしましょう」
「イェニーにお任せあれば、問題ありません」
ミレッタの言葉に続き、キャリーンも珍しく
そんな使用人たちの様子に、アステリーゼの顔がさらに険しく歪む。
露骨に不快感をあらわにしながら、吐き捨てるように言った。
「あら? 使用人風情が伯爵令嬢であるこの私に口答えするなんて、いい度胸だわ。お姉様は本当に使用人のしつけがなっていないのだから、困ったものね」
だが、イェニーは微動だにしない。
怯むどころか、その瞳に凛とした光を宿し、はっきりと言い放った。
「馬車を用意させますので、聖女様ご一行の元へお戻りください」
「あら? そんなこと誰も頼んでいないわ。私は、お義姉様との時間をた――」
「ライグリッサの地では、客人とは礼をもって扱いますが、害となる者は別です」
その言葉に、アステリーゼの表情が一瞬でこわばる。
しかし、イェニーはさらに畳みかけるように言葉を継いだ。
「あなたがここにいても何の役にも立ちません。むしろご迷惑です」
アステリーゼが言い返そうと口を開いた、その刹那。
「お引き取り願います」
イェニーが低く、しかしはっきりと釘を刺す。
毅然とした態度に、アステリーゼは顔を朱に染め、憤怒のままに片手を振り上げた。だが。
「イェニー!」
乾いた音が部屋に響いた。
アステリーゼの腕が振り下ろされるよりも早く、イェニーが鋭い動きで彼女の二の腕を掴み取っていた。
「っ……!?」
イェニーは緋色の瞳を邪悪に染め、底冷えするような笑みを浮かべる。
「聞き分けのないお嬢様には、お仕置きが必要のようですね」
ぞくり、と空気が張り詰めた。
「コーデリア様のご家族ということを踏まえ、内々に——しつけ直して差し上げましょう」
それは、まるで逃げ場を
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