第6話 手合わせ

 早朝の冷たい空気を、無数の"鉄"の反響と男たちの威勢のいい声が震わせている。朝だというにもかかわらず、『デュランダル』の拠点内に作られた"修練場"には大勢の隊員たちが集まり、各々の鍛錬に精を出していた。


 ある者は気合いを込めた発声と共に素振りを繰り返し、ある者は鍛錬器具を利用して肉体を鍛え上げている。だがやはり、そのなかでもとりわけ、隊員たちの"熱"が滾っているのが、中央に設置された即席の"試合場"だろう。


 土の上に石灰で白線を引いただけの簡易的なものだったが、すでに大勢の隊員が人だかりを作っており、その輪の中心で二人の男が激しく刃をぶつけ合っている。


 大柄な男が相手の剣を弾き飛ばすと、周囲から「わあ」という歓声が上がった。


 武器を失った痩せた隊員目掛けて、大男が"とどめ"を刺そうと一歩を踏み出す。しかし突如、修練場に響いた大きな"女性"の声で、その場にいた隊員たちが一斉に動きを止めた。


「やあやあ、皆、おはよう! 遅くなってすまない!」


 全員の視線が一点に集中した。血気盛んな隊員の視線を一挙に受け止め、それでも"女騎士"はまるでぶれることなく、爽やかな笑顔で歩いてくる。


 青いサーコートと軽鎧を身にまとったアテナの姿を確認し、隊員たちに緊張が走った。一人が「整列ッ!!」と号令をかけると、それぞれが訓練を中断し、武器を携えて一斉にアテナの前へ集合する。


 散り散りになっていた隊員たちは躊躇することなく、瞬く間に隊列を組んでしまう。その統率の取れた見事な動きに、アテナのすぐ後ろについていたリオンは圧倒されてしまった。


 隊員たちの毅然とした姿にほんのわずかに感心してしまったリオンだったが、一方ですぐさま、自分目掛けて叩きつけられる無言の"圧"に辟易してしまう。案の定ではあるが、隊員たちは皆、アテナが連れてきた"義賊"の姿に早くも良い印象を抱いていないらしい。


(そりゃあまぁ、歓迎されるわけはないか……)


 ため息をつきそうになるリオンだったが、すぐ前に立つアテナは意気揚々と、大声で目の前に並ぶ『デュランダル』の構成員たちに向けて言い放った。


「合同訓練を開始する前に、まずは皆に紹介しておきたい。こちらが、以前から話題に上がっていた"義賊"――数々の大富豪たちから金銀財宝をかっさらい、巷を騒がせていたリオン君だ! この度、正式に我々7番隊と協力体制を取ってもらうことになった。皆にも今後、よろしくお願いするよ!」


 アテナの報告に兵士たちは沈黙を保っていたが、突然名を挙げられたリオンは思わず目を丸くした。笑顔を浮かべたままのアテナに、リオンは小声で問いかける。


「ちょ……おい、なんだよいきなり!?」

「ここにいる面々は、我々7番隊とも連携を取ることが多いからな。せっかくだから、君のこともよく知っておいてほしいと思ったのさ」

「いや、だからって……何も、こんな大勢の目の前で直接言わなくても……」

「そう、恥ずかしがることじゃないさ。強面な連中だが、皆、良い奴ばかりなんだ」


(いや、そういうことじゃあなくて……)


 まさか、これほど大勢の隊員を前に、あっさりと自身の素性を明かされるとは思っていなかったのだが、どうやらアテナにはいまいちこちらの心境は伝わっていないらしい。


 リオンはそれ以上言及することはやめ、ただため息をついて黙ってしまう。目の前に並ぶ隊員たちも黙してはいるものの、それでもアテナの発言を受け、彼らから降り注ぐ視線の"圧"がいささか強さを増したように感じた。


 独特のやりづらさに目をそらしてしまうリオンだったが、突如、列の後方にいた一人が黙って手を上げる。アテナは「おっ」と声を上げた後、すぐさま隊員を指名した。


「君は確か、第4部隊所属のロゴス君だったな。何かな?」


 名を呼ばれたことで、坊主頭の巨漢・ロゴスは一度深々と頭を下げた後、「はい」と答えた。角ばった大きな体から発せられる声は、リオンが予想した通り非常に野太く、重々しい。


「隊長。お言葉ですが、我々としましてもまだ、その男のことを信用しきれません。彼にはまだ、"富豪殺し"の疑惑がかけられています。いつ、本性を現して裏切るか、いささか今回の判断は危険すぎるかと」


 ロゴスの言葉に反論する者はいなかった。恐らくそれは彼だけでなく、この場に並ぶ隊員たちの総意でもあるのだろう。ロゴスの眼差しは明らかな敵意をもって、リオンを捉えていた。


 しかし、やはりアテナはあっけらかんとした調子で、まるで揺らぐことなく切り返してしまう。


「もっともな意見だな。彼については私のほうでも色々と見極めさせてもらったが、特に問題ないだろうさ。万が一に備え、"魔法印"を施した枷もつけてもらっている。皆の懸念は理解できるが、そこまで心配しなくても大丈夫だ」


 相も変わらず堂々と言ってのける姿に、リオンまでもが唖然としてしまう。隊員たちが納得していないのは明白だったが、一方で隣に立つアテナは正真正銘、心からリオンのことを「大丈夫」だと思っているのだろう。


 質問をした巨漢・ロゴスはどこかバツが悪そうに言い淀んでいたが、これまでとは少しだけ調子を変え、なおも問いかけてくる。


「それに――先ほど、"協力"とおっしゃいましたが、見たところ線の細い、いかにも"盗人"といった風体の男です。我々のような猛者と肩を並べて調査に当たれるほど、頼りがいがある存在には見えませんが」


 ロゴスのこの一言で、ようやく他の隊員たちにも動きがあった。そこかしこから「クスクス」という乾いた笑い声がいくつも上がる。明らかにその場の空気が変わったことを察し、なおもリオンはため息をついてしまった。


 それは明らかな侮蔑の言葉であった。元より彼らに快く受け入れてもらえるなどとは思っていなかったリオンだが、その明確な敵意の表れには眉をひそめてしまう。


 案の定、アテナたち"7番隊"が変わり者なだけで、『デュランダル』の面々にとってリオンは今だ、多くの富豪を殺した"殺人犯"の疑惑を持つ男なのだ。いくらアテナが太鼓判を押したところで、「はい、わかりました」と納得できるわけがない。


 ロゴスという大男の一言が、リオンと隊員たちの間に刻まれている大きな"溝"を明確化してしまう。整列した隊員たちは表情こそ変えていないが、誰もがロゴス同様、仄暗い感情をその眼に宿していた。


(結局、晒し者にされただけか……)


 また一つ、ため息をつくリオンだったが、大柄な隊員の一言を受け、アテナが「ふむ」とうなる。


「なるほど。確かに確かに。君たちはまだ、彼の実力を理解していないものなぁ」


 彼女の意味深な一言に、隣に立つリオンはもちろん、皮肉を投げかけたはずのロゴスまで眉をひそめてしまった。あくまでマイペースに、はつらつとした笑みを浮かべたまま、アテナは「そうだ」とどこかわざとらしく手を叩く。


「良い機会だ。これからちょうど"合同訓練"なのだから、実際に誰か、彼と"手合わせ"をしてみてはどうだろうか?」


 一瞬、リオンは彼女の言葉の真意を汲み取れずにいた。しかし、思わず隣に立つ女騎士の横顔を二度見し、「はあ!?」と声を上げてしまう。リオンほどではないにしろ、目の前に整列している隊員たちも嘲笑をやめ、明らかに動揺しているようだった。


「手合わせ……え、俺が!?」

「そうそう。百聞は一見に如かず、というじゃないか。実際に皆にも、君の実力を体験してみてもらったほうがいいだろう」

「本気かよ? 俺がここで――戦うって?」


 ついには冷や汗すら垂らしてしまうリオンだが、アテナはまるで動じることなく「ああ」と笑顔でうなずく。初めて出会った時からそうだったが、この女騎士の思惑が何一つ読み切れず、ただただその言葉に振り回されてしまう。


 リオン同様、しばらくは『デュランダル』の隊員たちも騒然としていた。しかし、やはりアテナの提案に、あの大柄な兵が名乗りを上げる。


「隊長のおっしゃる通りです。我々も是非、その男の実力を知りたいと思っていたのです。その手合わせの相手、私にやらせてください」


 全員の視線が最後尾に立つ大男・ロゴスに注がれる。鎧を着込んだ彼は背筋を伸ばしてただ立っているが、その体からはすでに"闘志"のようなものがふつふつと湧き上がり、大気へと染み出しているようだった。


 じっとりと汗をにじませた坊主頭の隊員と、リオンの視線が交わる。離れた位置にいる二人の明確な敵意が、見えざる力となって空中で火花を散らしていた。


 結局、アテナの無茶苦茶な提案はそのまま、即座に実行に移されてしまう。隊員たちは広場の中央――即席で作られた"闘技場"を取り囲むように円陣を組み、今か今かとその時を待っている。すでに対戦相手のロゴスは愛用の大剣を携え、開始位置で黙していた。


 そんななか、リオンは壁際に用意されたテントの下へと案内される。そこには隊員たちが訓練で使う武具が置かれており、まずはその品揃えに圧倒されてしまった。周囲で看護兵が心配そうに見守るなか、アテナが意気揚々と説明してくれる。


「一応、どんな"型"も鍛錬できるようにと、古今東西の武器を取り揃えているんだ。剣や槍はもちろん、斧に槌、鎌なんてものもあるぞ。盾だってサイズが色々あるんで、自分に合うものを好きに取っていってくれ」


 アテナの言葉を聞きながら、リオンも目の前に並ぶ武具の数々を眺め、思わず言葉を失ってしまった。彼女の言う通り、その品揃えは見事という他ない。


 思わず近くにあった剣を手に取ってみるが、軽く指で刀身をなぞると、それらがすべて"刃引き"と呼ばれる工程によって切れ味を潰していることが分かる。あくまで訓練用ということなのだろうが、その丁寧な作りにため息が漏れてしまった。


「すげえな。よくもまあ、こんな量を揃えられたもんだ」

「都市中の鍛冶屋に協力してもらい、揃えたんだ。なにせ、木製の武器じゃあ軽すぎて、実践的ではないからな」

「なるほど。俺の対戦相手の、あの"ジャガイモ君"の持ってるやつも、訓練用なんだよな?」


 言いながら、リオンは試合開始を待っているロゴスの武器を確認した。本来は大剣という部類になるその武器は、ロゴスが大柄であるがゆえになんだか通常サイズの長剣にすら見えてしまう。


 リオンの口にした「ジャガイモ君」という呼称が気に入ったのか、アテナは「あっはっは」と笑った後、笑顔のままうなずく。


「もちろん、切れ味なんてないさ。しかし、こう言っちゃあなんだが、彼は強敵だぞ? 昨年、加入したばかりの新参者だが、それでいてあの体躯から繰り出す剣技の数々は凄まじい威力でな。同期の中では間違いなく、彼がナンバーワンの実力者だろうさ」


 なぜそんな裏事情をべらべらと教えてくれるのかは分からないが、ロゴスのことを語るアテナの顔は妙に嬉しそうだ。リオンは「ふぅん」とうなずきながら、目の前の得物の数々を吟味していく。


「あれだけの巨漢だから、下手な小細工は通用しなさそうだな。それでいて、一撃でも食らえば即座にお陀仏――まさに"大砲"だ」

「ああ、そのとおり。盾で防ごうとしても、彼の渾身の一撃は一筋縄ではいかんよ」


 リオンは彼方で待ち構えている対戦相手を眺めながら、即座にその戦力を分析していく。アテナが言う通り、恐らくあの体躯から繰り出される一撃は、あらゆる小細工を真っ向から粉砕してしまうのだろう。


 アテナの思い付きによる予想外の展開に振り回されっぱなしのリオンだったが、一方で今、自身が置かれた状況がかなり"まずい"ということも徐々に理解し始めていた。恐らく、あのロゴスという巨漢は試合が始まれば、己の内に秘めた敵意をむき出しに、全力でリオンを潰しにかかるのだろう。


 並のチンピラ相手ならばどうということはないのだが、彼らは『デュランダル』――城塞都市・ハルムートを守護する精鋭部隊の人間なのだ。いかに訓練を積んだリオンと言えど、適当にあしらうというわけにもいかない。


 ならば、とリオンは目当ての"武器"を棚の中から探す。ようやく見つけ出した"それ"を手に取り、覚悟を決めて試合場へと足を向けた。


 相変わらず、会場に戻ったリオンを隊員たちは明らかな敵意の眼差しで迎え入れる。それらを跳ねのけながら、リオンとアテナは輪の中へと入っていった。


 リオンの代わりに、アテナが対戦相手であるロゴスに一言告げる。


「やあやあ、待たせたね。こちらも"得物"が決まったところだ。今回の審判は、提案主である私が引き受けよう」


 言うや否や、アテナはリオンへと振り返り、小さい声で「しっかりな」と笑う。その無邪気な笑顔が相も変わらず場違いで、思わず肩の力が抜けてしまった。


 多くの隊員たちが見守るなか、ようやくリオンとロゴスは開始位置に立ち、互いを睨みつける。改めてロゴスの前に立つと、彼の肉体の大きさが想像以上であることに圧倒されてしまった。


 巨大だということは理解していたはずだが、それでもすぐ至近距離から見上げると、その"圧"が何倍にも増幅して感じられる。ロゴスが生まれ持つ恵まれた体躯もさることながら、彼がリオンに対して抱いた鋭く研ぎ澄まされた"敵意"が溢れだし、錯覚を生み出しているのだ。


 二人が並び立ったことを受け、審判を買って出たアテナが高らかに宣言する。


「ルールはいつも通りだ。リオン君向けに説明すると、基本的には"実戦"と同様、手加減なしで相手を叩き伏せればいい。無論、殺し合いをするわけではないから、"目"や"急所"への攻撃はしないように」


 なんともシンプルなルールに、リオンは黙ったまま一度だけうなずく。おおよそ想定内の事態にさほどうろたえることもなく、彼は腰に携えていた得物――先ほど、数多の武器のなかから選び取った"二刀"を引き抜く。


 リオンが武器を抜いたことで、明らかに周囲の隊員たちが動揺の声を上げる。かくいう対戦相手・ロゴスもまた、目の前の"盗人"が「しゃおん」という甲高い音色と共に手にした武器を、黙したまま見つめてしまった。


 ロゴスが巨大な長剣を操るのに対し、リオンは刃渡り20センチほどの"短剣"を二本、左右の手にそれぞれ携えていた。彼はそれを慣らすかのようにくるくると回転させた後、逆手に持ち、腰の横に下ろす。


 鮮やかな手つきに、審判役のアテナが「ほお」と声を上げる。彼女のきらきらとした眼差しがリオンにとってはいささか煩わしかったが、気にしないよう目の前の大男に集中した。


 リオンが構えを作るのに合わせるように、ロゴスも剣を持ち上げる。大男は柄を両の手でしっかりと握りしめ、脇に引き絞る形で構えを作った。


(馬鹿げている――)


 それはロゴスのみならず、周囲で見ていた隊員たちも抱いた、同様の思いであった。


 ロゴスという巨漢が操る長剣は、並大抵の武器では受け止めることすら叶わない。にもかかわらず、よりによってリオンは数ある武器のなかでも特に小さく、軽量な“短剣”を選んでみせた。


 いかにも“盗人”らしい武器だ、とロゴスは黙したまま微笑む。嘲笑を口元に浮かべたまま、そのぎらついた眼が目の前に立つリオンをしっかりと睨みつけていた。


 巨漢の肉体から湧き出る圧が、その強さを増す。試合開始の合図を待たずして、それは目の前に立つ小柄な“義賊”を飲み込み、押しつぶそうと容赦なく食らいついていく。


 その不可視の圧に屈することなく、リオンは両手の短剣を握りしめたまま、静かに腰を落とした。刃を水平に維持し、こちらを睨みつけるロゴスへと視線を合わせる。


 空気がきぃんと張り詰めるのが分かった。観衆は皆、口を閉じ、今か今かと“その時”を待つ。


 二人の体と心が整ったことを察し、アテナはゆっくりと片手を持ち上げた。彼女はやはり笑みを浮かべたまま、左右に立つ二人をしばらく交互に眺める。


 離れていてもなお、二人が放つ明確な“闘気”が放出され、空間を陽炎のように歪めていく。空気がちりちりと焼けるような独特の感覚に、自然と周囲を取り囲む隊員たちは口をつぐんでしまった。


 向かい合う“戦士”たちの熱気をしっかりと受け止め、アテナはついに腕を振り下ろし、「はじめッ!」と言い放つ。


 隊長の一声を受け、巨漢・ロゴスは大地を蹴り、即座に打って出る。その一歩は地面の土をえぐり飛ばし、圧倒的推進力で肉体を前へとはじき出した。


 “猛牛”は歯を食いしばり、ありったけの力を込めて剣を振りぬく。その軌道上にいる“義賊”はなおも一歩たりとも動かず、静かに構えを作ったまま黙していた。


 当たれば確実に肉が潰れ、骨が砕ける一撃確殺の刃。その先端を見つめ、それでもリオンは決して焦らず身構え続ける。


 熱波が渦巻く修練場のその中心で、“義賊”が心に宿した冷たい刃が今、静かに引き抜かれようとしていた。

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