デュランダル・ハーツ
創也 慎介
プロローグ
黒い影がまた一つ、躊躇することなく欄干を蹴り、向かい側の屋根目掛けて跳ぶ。足元の固い感覚が消え、生暖かい風が真っ向から肉体を包み込んだ。
わずかばかりの恐怖はあったが、それでも迷いはない。“彼”は高らかに飛翔しながらも、その刹那で足元に広がる光景をしっかりと見つめる。
武装した衛兵の集団が、慌ただしく走っていくのが見えた。彼らはこちらにはまるで気付いておらず、槍を両手に館のほうへと駆けていく。
もう幾度となく、けたたましいほどに警鐘が鳴り響いていた。だが、兵が建物に集結する一方で、当の本人――今宵、宮殿を揺るがした“侵入者”は屋根から屋根へと飛び移り、優雅に、颯爽と外に向かって駆けていく。
彼が走る度に、背負った麻袋がマントの上で跳ねる。少し欲張りすぎたせいか、乱雑に詰め込んだあれやこれやが袋の中でぐるんぐるんと居場所を変え、時折、痛々しく背骨を打ち付けた。
そんな“幸福な重み”をしっかりと抱えたまま、また一つ彼は大きく跳躍し、即座に取り出した“鉤縄”を向かい側の屋根へと投げつけた。先端を引っかけ、ロープを手繰ることで振り子のような軌道を描き、彼は離れた位置の屋根まで到達してしまう。
一つ、大きな建物を乗り越えたが、その先には巨大な堀が待ち構えていた。足場がまるでないことを受けて一瞬、息をのんでしまったが、それでも彼は立ち止まる気などさらさらない。
加速をつけ、一気に屋根から虚空目掛けて飛翔する。首元に仕込んでいた紐を引き絞ると、彼がマントの下に格納していた“からくり”が一気に展開された。翼竜の被膜をそのまま利用し作り上げた“滑空翼”は、向かい風をふんだんに受け止め、その華奢な体を背負った荷ごと空高く上昇させる。
空を舞い、大きな影は防壁の外まで一気に辿り着く。城下町にそびえ立つ高い時計塔の屋根に降り立ち、彼はようやく足を止めることができた。
振り返ると、彼方の屋敷ではいまだなお松明やカンテラの灯りが右往左往している。警備の者たちが総出で“侵入者”を捜しまわっているのだろうが、なんだかその姿が滑稽でならない。
一切の追撃を振り切り、ようやく彼は顔を隠していたマスクを外し、大きなため息をつく。内にこもった熱が、夜の冷えた空気によってみるみる奪い取られていった。
高い位置に吹く風が、短く、少し癖のある赤毛をもてあそぶ。その端に浮かんでいた汗の球がパッと散り、暗闇へと溶けていった。
足元に下ろした麻袋からは、今日の“戦利品”が覗いている。降り注ぐ白い月光を受け、乱雑に重なった金貨の群れや、光沢のあるゴブレット、宝石を埋め込んだ腕輪がぎらりと下品に輝く。
麻袋から伝わる確かな重みをその手に感じながら、彼は街を見下ろした。先程までいた場所とは違い、この街で生きる人々の多くがその日その日の生活に困窮し、一切れのパンを追い求め泥や砂にまみれて生きている。
その不平等をぶち壊すべく、男は麻袋を担ぎなおした。見事に掠め取ってきた“幸福”を、街の影で生きる“不幸”な人々に届けるべく、再び動き出す。
彼は足に力を込める寸前、ほんのわずかに背後に見える館を見つめる。今頃、顔を真っ赤にして憤怒しているであろう豪邸の主を想い、微かな笑みと共に言葉を投げた。
(――悪いね、ごちそうさん。)
一切の躊躇もなく、時計塔の丸い屋根を蹴り、影が跳ぶ。
微かな灯がちかちかと輝く夜の街目掛けて、一人の“賊”の体が瞬く間に溶けていった。
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