5-1 キュラス神父の教え
「ほらフィクス、ご覧なさい。あの女の人を」
片手で杖を付いているが、背筋はさほど曲がってはいない。老いてなお溌剌としたキュラス神父が、少し離れた場所を歩いている若い女性に目を向けている。
その人を最初、幼いフィクスは「ふーん」程度にしか思わなかった。
「おなか、ふくらんでるね。赤ちゃんがいるんだ」
「そうです。無事に産まれるようにとプレグナ様に祈りを捧げにいらしたんでしょう」
キュラス神父は生涯変わらずプレグナ教の信徒だった。女神プレグナは繁栄を司る。動植物が豊かに地に満ちること。とりわけ人が多くの子を育てることを祝福する。
マタニティウェアに包まれた丸いお腹を撫でながら、その若い妊婦は石畳の中庭を通り抜けてゆっくりと礼拝堂へ進んでいく。
「神父として勤めて半世紀以上。たくさんの妊婦さんを見てきましたよ。たくさんのカップルを祝福しましたし、この子の名付け親になってくれと頼まれたこともありましたね。……最近は少し、妊婦さんの数が減っているようで気がかりですが。……まさか魔王のあの言葉は」
「神父さん、それで?」
「ああ、妊婦さんは素敵だって言いたいんですよ」
「……すてき?」
キュラスは慈愛に満ちた目で教え子を見下ろす。
「妊婦さんというのは、この世でもっとも素敵な人の姿のひとつです。何と言ってもそのお腹で命を育み、この世に生み出すのですから。とっても偉いことなんですよ」
「そうなんだ」
「そうなんです。偉いだけでなく、美しい。あの宝物が詰まっているような曲線。まさしく女神が人に与えたもうた美の極致です」
フィクスはかつての勇者パーティの一員だったキュラスを尊敬していた。治癒魔法を応用して農業に改革をもたらし、世界に豊穣をもたらした逸話を絵本で何度も読んで感動した。キュラスもまた勇者メアニルの血族であるフィクスを、生まれた時からひ孫のように可愛がっており、物心が付くや植物や魔法薬の知識を授けていた。
そのキュラス神父が言うのなら、そうなのだろうなと素直に信じた。礼拝堂に入っていく若い妊婦の姿が、途端に素晴らしいものに思えた。
「赤ちゃんって、どうやってできるの?」
「もう何年かしたら学校で習いますよ」
「神父さんって、こどもいないんだよね」
「ええ、残念ながら」
個人的に守るものを抱えていれば、あまねく人々を導けない。そんな理由でプレグナ教では神父の職にあるものは妻帯できず、子供も持てない決まりがあった。
自分自身は子孫繁栄できない代わりに、多くの若者たちの結婚・出産を促し、言祝ぐ。その女神の道に邁進できるのを、キュラスは誇りに思っていた。
「勇者メアニルと魔法使いガーベラにも、子供はいなかったんですよ。勇者パーティで子孫を残したのは戦士ベンダー……カリカのひいおじいさんだけです」
「どうしてそうなったの?」
「さて、どうしてでしょうね。しかしその分、メアニルもガーベラも世界中の人々のために働いた。あのふたりの偉業は、今後ずっと語り継がれるでしょう。自慢の仲間です」
でもね、と神父は寂しそうに言う。
「私が言えたことではないのですが……子供を作らないで仕事や趣味を頑張る。そんな人は、あまり多くないほうがいいはずです」
「ええと……?」
「フィクスも大きくなったら、やりたいことがたくさん出てくるでしょう。今の世の中、なんだってできる。どんな道に進んでも楽しいはずです。だけど……」
「ボクは神父さんみたいな、植物のおしごとをしたいな」
「嬉しいですね。だけど、それだけじゃなくてね。大好きな人と子供を作ってほしい」
大好きな人。幼馴染の少女の可愛い顔が頭に浮かんだ。
「あのね、ボクはカリカのことが好きなんだ! 誰にもひみつだよ」
「そうですか。……ふたりの子供が見られる未来があっても、さすがに私はもう生きてはいないでしょうねぇ」
「えっ? やだよ、神父さん死なないでよ!」
「ははは、なるべく頑張りますよ」
キュラスが女神プレグナの元へ召されたのはそれから数年後だった。
神父の数々の教えは少年の胸に深く刻み込まれた。きっと生涯変わることのない、信仰にも似た強固なものとなって。
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